失う嘘と7月
プロローグ*
「なんでだよ!なんでそんな嘘ついたんだよ!!そのせいで僕は、僕は」
僕は怒りに身を任せて、目の前の椅子でえらそうにふんぞりかえる父親に向かって叫んだ。
普段は敬語をつかう僕も、さすがに苛立ちにそれを忘れていた。
それほどの剣幕で怒鳴りつけても、父は冷たい目で僕を見据えて、口を開こうとしない。
それが当たり前のことで、喚いている僕がばかだといでも言いたげなその視線と態度に、僕は言葉を詰まらせる。
でも絶対におかしいのは父のせいだ。
立場上逆らえない僕に経営が危ないだとか権力を持ち出してとんでもない嘘をついて、騙して、結果僕は彼女に嘘をついて-・・・・彼女はその次の日失踪した。
僕が嘘をついたことを彼女は知っていたんだと気がついてももう謝ることはできない。
-僕は、「嘘」をついて命よりも大切な人を失ったのだから。
*
父は有名財閥の社長で、その跡取りの僕は、小さいころから暮らしの上ではなに不自由なく暮らしてきた。
家は豪華で、お手伝いさんも居て。
けれど幼い頃からいつも跡取りとしての”人間作り”のために、どこかに出かけるにも誰かがついいて自由はなく、家でさえ勉強ばかりで歳相応の生活をすることはできなかった。
友達とわいわい遊んだ事も、泥だらけになったことも、恋をしたこともない。
だって僕には跡取りにふさわしい「許嫁」だっていたのだから。
それでも僕は文句ひとつ言わずに、自分は跡取りなのだから仕方ない、と自分に言い聞かせてこの家で出切る限りのことをしてきたつもりだ。
そんなふうに頑張って、それでも父は口癖のように「跡取りとしてふさわしい行動をしろ」と幼い頃から僕に言い続けた。認められたことはなかった。
そんなこんなで、僕も心の奥底で鬱憤がたまっていたのかもしれない。
成長するにつれ僕は毎日が苦痛になって、この家の空気がとても息苦しいものに感じるようになった。
妹は令嬢としての立場を僕と違ってとても喜び、受け入れている。
母も今の生活にすっかり満足し、父はいつも偉そうで。
僕以外、全員がこの家で、この暮らしに満足していて、僕だけが苦しんでいるのだと思うと吐き気がした。
そんな生活を続けて二十歳になった春の事だった。
苦しくて、辛くて、息をするのも辛かった僕の世界に彼女が現れたのは。
その日もいつものように、僕は息苦しい生活をしていた。
二十歳を越えて大人になった僕は、昔と違って少しは外出の自由はきくようになっていた。
だから、その頃には家に居ることが嫌だった僕は父から申し付けられている「用」がないとき以外はいつも外をふらふらするか、本屋に出かけるのが日課になっていた。
その日も、僕はいつものように鬱々とした感情で本屋までの道を歩いていた。
重苦しい気分で歩く町は灰色で、家よりはいくぶんマシだけれど息苦しい事には変わりない。
町の人たちもみんな、僕と違って自由で幸せなのだと思うと、いらいらしたから。
けれどそんな灰色の景色に、普段と違う景色が視界にちらっと映りこんだ。
「・・・?」
いつもの通りの、町の隅っこ。
そこに昨日まではなかった改装オープン、と書かれた看板を木製の可愛らしい扉に吊り下げたカフェが僕の視界に映りこんだ。
木や花が店の周りには可愛らしくめぐらされたアットホームなそのカフェは、僕の息苦しい生活からは考えられないほどの幸せな空気に満ちている。色が、あった。
普通ならばなんと落ち着く可愛らしい場所なんだろうと思うだろう。
けれど今の僕には正直言って、その空気は家で感じる「孤独感」に似ていて苦しかった。
僕以外の人間みんなが幸せなのではないかと言う、錯覚。
僕はその感情から逃れようとついと視線を逸らして歩き出そうとした-・・・・けれどそのとき、彼女に声をかけられた。
「こんにちは!近所の方ですか?」
「っ」
幸せそうな弾んだ声に、僕は驚いて足を止め、言葉につまる。
そのままくるりと振り向くとカフェから出てきたらしい女性がこちらを見て微笑んでいた。
ふんわりカールした、茶色い髪に色白で笑顔が可愛らしい女性。
そこで僕はまた言葉を詰まらせた。彼女は。
一言で言うと、花、だった。
僕はしばらく見惚れたようにぽかんとしていた。
けれどすぐにはっと正気に戻り、いつもの作り笑顔を作り出して、顔にそれを貼り付けて質問に答えた。
「ええ、そうですよ。何か御用ですか」
僕がそう、差し障りない返事をすると彼女はふと不思議そうな顔をしてこちらに近づいてきた。
僕は驚きながらも、笑顔を崩さないよう注意する。
家で、相手先のお客様が来たときなんかは、この笑顔を崩したら終わりだ。
だから作り笑顔は得意だった。それなのに、彼女は僕の作り笑顔を見抜くように言った。
「いえ、用と言うことはなくて・・・・。挨拶しておこうかなと。
それと、えっと、あの、そうじゃなかったら申し訳ないんですけど、何かお疲れのような気がするんですが、大丈夫ですか?」
ひやりとして、僕は自分の頬を撫でた。
・・・暗い表情が表に出てしまっただろうか。
僕が黙っていると、彼女はゆったりとした動作でカフェの扉を開いて、微笑んだ。
「よかったら、お茶でもどうですか?今日オープンしたばかりなんです」
これが、僕と彼女の出会いで、はじまりだった。
*
それから僕は、毎日彼女のもとに通うようになった。
「こんにちは、要くん!今日も来てくれたのね」
彼女はそう言って、いつも笑顔で僕を迎えてくれる。
始めこそ僕も彼女もお互いに敬語で、客と店員の関係だったのだが、惹かれあい、今では名前で呼び合う仲になっていた。
僕が敬語を使わないほどに仲良くなる人は初めてで、彼女のところに通い始めてからは彼女とここで過ごす数時間がたまらなく愛おしくて、その時だけは幸せだった。
彼女の前では、作り笑いはしなくていい。彼女の傍ならば、僕もこのときだけは幸せの中に居る。
そう思うとたまらなく嬉しくて、花みたいな彼女が大好きだった。
けれどそんな、ある日のこと。
季節はめぐって春、夏、冬と、寒い12月のクリスマスのことだった。
その日僕は、初めて父に反抗した。
夜になると「用」があるので普段ならば必ず家に帰るのだけれど、その日僕は、彼女と出かけて家に帰らなかった。
付き合って数ヶ月目で初めて彼女と夜を過ごした日だった。
幸せで、彼女がたまらなく愛おしくて、すべてがどうでもよくなって。
けれどそれが僕と彼女の仲を父に知られるきっかけになってしまった。
クリスマスの夜を過ごして朝を向かえ、彼女を家に送り届けたあと僕は重い足で家に向かっていた--・・・・。
そして。
家に着くとさっそく父親からの呼び出しをくらうはめになった。
理由は、わかっている。彼女の事だ。
重く大層な扉を開き、父の部屋に入ると、冷たい目をした父が僕を睨んでいた。
「お前、許嫁が居るにも関わらず他の女と夜中歩き回っていたそうだな。やるべき仕事も、何もかもを放り出して。」
そう静かに低い声で語りだした父はどこで調べたのだろう、すべてを知っていた。
「その娘とは別れなさい。調べたところ、小汚くて安っぽいカフェを経営している貧乏な娘なそうじゃないか。うちの財閥の娘にはふさわしくない。」
はっきり言って言われるとわかっていた内容だけれど頭に、来た。
「・・・なぜですか」
頭に来たのに、抵抗のために出たのはそれっぽっちの少ない反抗心だけだった。
父はそれに答えなかった。わかりきったことをきくな、という表情をえらそうな顔に浮べただけだった。
*
父は、それから毎日のように彼女と別れろといい続け、再び僕の外出を禁じようとした。
それでも僕は、彼女に会いに行くのをやめなかった。
今の僕にとって彼女に会うことだけが幸せなのだから、当たり前だ。
けれどそんな僕の行動を彼女はどう思っていたのだろうか。彼女はいつから僕の家のことを知っていたのだろうかー・・・・。
そんな生活を続けるうち、春を迎えた。
春と言ってもまだ肌寒い、3月末のことだ。
最近ようやく彼女とのことに口を出さなくなっていた父が、久しぶりに僕のことを部屋に呼んだ。
父は、深刻そうな顔をしていた。
「・・・どうされたのですか?」
部屋に入るなり、僕はそっと尋ねる。
手伝い人を部屋からすべて払わせ、人払いをすませた父親の部屋はしん、と静まっていた。
そのことからただ事ではないと感じ取った僕はいつも父ににわかに向けている敵意を押し殺して背をのばした。
父は難しい顔をして、黙り込むだけで何も言わない。
何かあったのは間違いない。が-・・・やはり父は一言も発さない。
「・・・。」
そのまましばらく黙り込み続ける父に、僕はしびれをきらしてもう一度尋ねた。
「どうされたのですか」
今度は、はっきりとした声。
その声に父は眉間に皺をいっぱい寄せた顔でこちらを見て、すぐに視線を落とすと低い声でようやくその事実を、そのまま顔をあげずに告げた。
「会社の経営が、危なくなっている。このままでは我々財閥は、もう・・・・」
僕は目を見開いてその意味を悟る。
父の次の言葉は、もうわかっていた。
「お前の許嫁の家が、持ち直すまで支援してくれる事になった。ただし・・・。少し予定より早いが、お前が婚約してくれればその話だ。」
僕は見開いていた目を落とし、何もいうことが出来なかった。
いつもならば反抗するところだ。けれど子供じゃない僕にもそれができないことはわかる。
「最近はまあ良いだろうと例の娘との付き合いを黙認していたが・・・。婚約は四月半ばだ。それまでに、わかるな」
唐突で、早すぎる終わりに、僕はただ重々しく「わかりました」と答える事しかできなかった。
*
「要くん。」
4月1日のことだった。
いつもはカフェでしか落ち合わない彼女が、僕の家の門のところに立っていた。
彼女はいつも通り綺麗にカールした髪をふわりと揺らし微笑んでいる。
ここに居るということは、彼女はこのときすでに僕の家の事も何もかも知っていたのだろう。
彼女は黙って固まる僕にちょっと歩こうか、と言って先にたって歩き出した。
僕は重苦しい気持ちでそのあとを追う。
もう、四月だ。彼女に早くお別れを言わなければいけない時期だ。
あれからいうことが出来ずに四月にまでなってしまったけれど、いうならば今しかチャンスはない。
実はこっそり僕は朝から心の中でそっと今日で終わりにしようと誓っていたのだ。
そんなことを考えながら一言も僕が話さないで居ると、彼女はくるりと振り向いてまた笑った。
「ごめんね。いきなり来て、怒ってる?」
彼女は申し訳なさそうに目を伏せる。
僕は久しぶりに彼女の前で作り笑いを浮べて首を振った。
「全然。怒ってないよ」
彼女はふっと目をあげて微笑んだ。
夕暮れの日差しがほんのりと彼女の髪を赤く染めている。その目を見ながら僕はぐっと手を握り締め、口を開きー・・・
「ねえ、要くん」
僕がまさに別れを告げようとしたとき、彼女はそういいながら僕に抱きついた。
ふわりと花みたいなかおりがして、僕はそのまま口をつぐんだ。
「明日もまた、会えるよね。」
彼女はそう言って僕を見上げる。
赤く染まった瞳は夕日に光っているせいだろうか、心なしか潤んでいてその顔を見た瞬間、言えなくなった。
彼女とずっと一緒にいたい。
魔が差した弱虫な僕はむりやりに笑顔を作り、嘘をついた。
「・・・会えるよ」
嘘だった。もう会うつもりはなかった。
このままひっそり許嫁の家に越して行くなりなんなりして、彼女の前から消えようだなんて、卑怯な考えで嘘をついた。
あとで知ったことだけれど、彼女はこの日僕の父からすべて話をきいていたらしい。
僕のつく嘘にどう思っただろう。
「そうよね、会おうね。また明日」
けれど彼女はくるくるとまわって僕から離れ、弾んだ声でそう言った。
その表情は、夕日の逆光で見えない。
心にどうしようもない罪悪感が溢れたけれど、僕が何かを言う間もなく彼女はそのまま僕に背を向けてしまい、そのまま少し歩いた。
そして少し離れたところまで行くと首を傾けて振り返って笑顔をいつも通りに浮べて、言った。
「またね、要くん!」
それを最後に、彼女-・・・百合は失踪した。
こちらから本編になります。今回は四人目ぶんのプロローグのようなものになっております!




