85話 商人たちの覚醒
ヴァレリア商会の支店が完成した。
完成したと言っても、普通の商会支店ではない。
巨大倉庫。
商品保管庫。
宿舎。
訓練場。
教室。
研究棟。
治療院。
食堂。
広場。
村の職人街に隣接する形で建設されたその施設は、一つの小さな街に近かった。
建設には土属性魔法使い達が参加した。
アースウォール。
ストーンウォール。
石材加工。
構造理解。
職人達の技術。
全てが投入された。
完成までわずか数日。
王都の建築業界が見れば卒倒する速度だった。
そして完成したその日。
空には大量の飛行部隊が現れた。
風属性魔法による飛行。
大型輸送箱。
荷車。
資材。
人員。
次々と運び込まれていく。
やって来た人数は数百人。
ヴァレリア商会の精鋭達だった。
商人。
会計士。
交渉人。
物流担当。
鍛冶職人。
革職人。
染色職人。
裁縫職人。
建築技師。
酒造職人。
薬師。
様々な専門家達が集まっていた。
その中心に立つのは。
赤い髪の美女。
マーガレット・ヴァレリア。
「本当に来ちゃったわね」
彼女は苦笑した。
隣にはトミーがいる。
「だから言っただろ」
「得しかしないって」
「まだ来たばかりよ」
「帰る頃にはもっと驚く」
マーガレットは笑った。
その時だった。
広場の向こうから鐘の音が響く。
カーン。
カーン。
カーン。
村人達が動き出した。
職人達も動く。
教師達も動く。
子供達も動く。
マーガレットが首を傾げる。
「何?」
トミーが答える。
「授業開始」
「授業?」
「見れば分かる」
広場には数千人が集まり始めていた。
老若男女。
人族。
獣人。
エルフ。
ダークエルフ。
ドワーフ。
魔族。
鳥人族。
全員が席に着く。
そして。
壇上へ。
ケルナインが現れた。
歓声は無い。
拍手も無い。
静かだった。
村人達は知っている。
授業は遊びではない。
人生を変える時間だと。
ケルナインは周囲を見渡した。
そして。
いつものように話し始める。
「今日は新しい仲間が来ている」
視線がヴァレリア商会へ向く。
数百人の商会員達。
少し緊張している。
ケルナインは続けた。
「魔力は才能じゃない」
「技術だ」
「魔法は奇跡じゃない」
「知識だ」
「覚醒は運じゃない」
「積み重ねだ」
マーガレットは静かに聞いていた。
王都では聞いたことのない授業だった。
魔法学校とも違う。
貴族教育とも違う。
冒険者学校とも違う。
もっと実践的だった。
もっと現実的だった。
授業は続く。
魔力循環。
魔力操作。
感覚の掴み方。
呼吸。
身体の使い方。
集中。
放出。
制御。
理解。
そして。
二時間後。
最初の声が上がった。
「あっ!」
若い商会員だった。
手のひらに水球が浮かぶ。
周囲が驚く。
本人が一番驚いていた。
「で、出来た……」
涙ぐんでいる。
二十五年間。
魔法の才能が無いと思っていた男だった。
ケルナインは頷く。
「続けろ」
それだけ。
褒めもしない。
騒ぎもしない。
当たり前のように言う。
その姿勢が逆に商会員達を驚かせた。
一人目。
二人目。
三人目。
水属性。
風属性。
土属性。
光属性。
次々と覚醒していく。
歓声が上がる。
泣き出す者もいる。
マーガレットは言葉を失っていた。
「本当に……」
「本当だったでしょ」
トミーが笑う。
「才能が無かったんじゃない」
「教わらなかっただけ」
その言葉に。
マーガレットは静かに頷いた。
午後。
今度は戦闘訓練だった。
商会員達が訓練場へ移動する。
「商人が戦闘?」
と困惑する者もいた。
しかし村では当たり前だった。
非戦闘職も戦う。
最低限の自衛は行う。
盗賊。
奴隷商。
傭兵崩れ。
この世界は優しくない。
だから守る力が必要だった。
教官を務めるのはエミリー。
狼獣人の女戦士。
「構え!」
声が響く。
商会員達が慌てて木剣を持つ。
ぎこちない。
弱々しい。
だが。
村人達も最初はそうだった。
エミリーは笑わない。
真剣だった。
「転んでもいい!」
「失敗していい!」
「続けろ!」
商会員達が汗を流す。
必死だった。
その姿を見て。
村人達は自然と声をかける。
「もっと肩の力抜いて!」
「そうそう!」
「上手い!」
教える文化。
助ける文化。
それが村全体に染み付いていた。
さらに。
索敵訓練。
ミシェルが担当する。
「目で見るな」
「感じろ」
商会員達が困惑する。
だが。
数時間後。
何人かが反応を示した。
風。
魔力。
振動。
音。
気配。
世界の見え方が変わる。
商会員達の表情が変わっていく。
夜。
支店宿舎。
マーガレットは机に向かっていた。
疲れている。
だが。
目は輝いていた。
「信じられない」
その時。
手のひらに冷たい感覚が走る。
水。
小さな水球が生まれた。
マーガレットは固まる。
水球を見つめる。
消えない。
本物だ。
彼女は三十年近く生きてきた。
魔法は才能だと思っていた。
選ばれた者だけの力だと思っていた。
違った。
覚醒した。
水属性。
翌日。
風属性も覚醒した。
さらに翌週。
光属性まで覚醒した。
商会員達が騒然とする。
「会頭すげぇ!」
「三属性!」
「化け物じゃねぇか!」
マーガレットは苦笑する。
だが。
本当に驚いているのは本人だった。
さらに授業は続く。
水球。
ウォーターボール。
ウォーターランス。
ウォーターバインド。
水拘束。
水索敵。
水操作。
風属性。
ウィンドボール。
ウィンドカッター。
風圧。
飛行。
索敵。
探索。
光属性。
ライトボール。
ヒール。
浄化。
精製。
光索敵。
光探索。
次々と習得していく。
吸収速度が異常だった。
元々優秀だったのだ。
商会を率いる頭脳。
判断力。
記憶力。
行動力。
それらが魔法学習にも発揮される。
一か月後。
マーガレットは空を飛んでいた。
風属性飛行。
しかも安定している。
下には商会員達。
村人達。
広大な農地。
紡織工場。
酒造工房。
学校。
治療院。
そして巨大な市場。
彼女は笑った。
「凄いわね」
横にはエレノア・グランディア侯爵が飛んでいた。
「そうでしょう?」
「本当に人が育つのね」
「環境が育てるのですよ」
エレノアは微笑む。
元老侯爵。
今では若返った美魔女。
彼女もまたこの村で変わった人間だった。
二人は空を飛びながら下を見る。
職人街。
そこでも変化が起きていた。
ヴァレリア商会の職人達が。
村の職人達へ技術を教えている。
王都式染色技術。
高級織物技術。
革加工技術。
精密金属加工。
商会独自の製造技術。
逆に。
村の職人達も教えている。
魔法利用。
魔力加工。
効率化。
構造理解。
教育技術。
双方が学ぶ。
双方が成長する。
一方的ではない。
本当の意味での交流だった。
ベルンが笑う。
「なるほどな!」
商会鍛冶師が笑う。
「こっちも勉強になる!」
リーザ達も喜んでいる。
紡織産業はさらに成長した。
品質が上がる。
生産量が増える。
商品価値が高まる。
村全体が発展する。
マーガレットはその様子を見ながら思った。
最初は支店を出すつもりだった。
今は違う。
ここは支店ではない。
もう一つの本拠地だった。
人材が育つ。
技術が育つ。
商売が育つ。
魔法が育つ。
環境が人を育てる。
その言葉の意味を。
彼女はようやく理解した。
夕暮れ。
教室。
授業が終わる。
ケルナインはいつものように席を立った。
特別なことは言わない。
演説もしない。
英雄らしい言葉もない。
ただ。
一言だけ。
「続けろ」
それだけだった。
だが。
その一言が。
数百人の商会員達を動かした。
商人達。
職人達。
専門家達。
全員が立ち上がる。
学ぶために。
成長するために。
そして。
誰かを育てるために。
村はまた大きくなった。
土地ではない。
城でもない。
人材が増えた。
それこそが。
ケルナインが最初から作り続けてきたものだった。




