246話 国境の意味
世界は変わった。
それは誰も否定できない事実だった。
かつて世界には無数の国境が存在した。
山脈。
大河。
海。
城壁。
砦。
関所。
王国。
帝国。
公国。
共和国。
数え切れないほどの国家が存在していた。
人々は生まれた場所で人生が決まった。
豊かな国に生まれれば生きられる。
貧しい国に生まれれば飢える。
病に倒れる。
盗賊に襲われる。
奴隷商に売られる。
それが当たり前だった。
だが。
二百億人の世界になった今。
教師達は改めて問い直していた。
国境とは何か。
国家とは何か。
そして。
人材こそ国家とはどういう意味なのか。
◇
アルカディア連邦中央研究院。
世界最大の教育研究都市。
そこには数百万もの研究者が集まっていた。
魔法研究者。
農業研究者。
歴史学者。
教育学者。
魔道具士。
吟遊詩人。
医師。
治癒師。
建築家。
職人。
全ての知識が集まる場所。
◇
巨大な会議場。
中央に立っていたのはマイケルだった。
かつて泣き虫だった少年。
自信がなく。
失敗ばかりだった少年。
今では世界中の教師達が尊敬する存在になっていた。
◇
マイケルは静かに言う。
「国境とは何でしょう。」
会場が静まる。
誰もが答えを持っている。
それでも答えない。
考える。
◇
一人の若い教師が答えた。
「文化を守るためです。」
別の研究者が言う。
「法律を管理するためです。」
吟遊詩人が言う。
「歴史を残すためです。」
◇
どれも正しい。
マイケルは頷いた。
「では。」
「国境が消えたら人は不幸になりますか?」
◇
誰も答えない。
◇
今の世界。
転移魔法がある。
空間魔法がある。
超能力がある。
世界中の学校が繋がっている。
情報は瞬時に共有される。
教師も研究者も自由に往来する。
◇
昔の国境は。
既に意味を変えていた。
◇
マイケルは続ける。
「昔。」
「国境は壁でした。」
「外敵から守る壁でした。」
「税を集める壁でした。」
「権力を守る壁でした。」
◇
巨大な映像が映し出される。
数百年前。
貧困村だったアルナ村。
飢餓。
病。
略奪。
奴隷商。
傭兵崩れ。
盗賊。
◇
子供達が怯えている。
村人達が震えている。
◇
その光景を見た若い研究者達は沈黙した。
彼らにとって。
それは教科書の中の出来事だった。
◇
マイケルは言う。
「当時の問題は。」
「国境が無いことではありません。」
「教育が無いことでした。」
◇
会場にざわめきが広がる。
◇
「食料が足りないことでもありません。」
「作り方を知らなかった。」
◇
「病が強かったわけでもありません。」
「治療法を知らなかった。」
◇
「魔力が足りなかったわけでもありません。」
「魔力操作を教える教師がいなかった。」
◇
「才能が無かったわけでもありません。」
「環境が無かった。」
◇
それこそが真実だった。
◇
環境が人を育てる。
その思想は世界中に広がった。
◇
農業革命が起きた。
紡織産業が発展した。
治療院が作られた。
学校が作られた。
研究所が作られた。
◇
そして。
人材が育った。
◇
教師が教師を育てる。
研究者が研究者を育てる。
職人が職人を育てる。
治癒師が治癒師を育てる。
◇
その循環が始まった時。
世界は変わった。
◇
会場後方。
エルナが子供達を連れて見学していた。
孤児院の子供達である。
◇
一人の少女が手を上げる。
「先生。」
「国家って何ですか?」
◇
エルナは優しく微笑んだ。
「難しい質問ですね。」
◇
少し考える。
そして答えた。
「昔は。」
「お城や王様が国家だと思われていました。」
◇
「でも今は違います。」
◇
「学校です。」
「研究所です。」
「治療院です。」
「農地です。」
「工房です。」
「そこで働く人達です。」
◇
少女は首を傾げた。
◇
エルナは続ける。
「人材です。」
「人材こそ国家なんです。」
◇
少女の目が大きくなる。
◇
「じゃあ。」
「私も国家?」
◇
エルナは笑った。
「もちろんです。」
◇
「あなたも国家です。」
「勉強する人も国家です。」
「教師も国家です。」
「農家も国家です。」
「研究者も国家です。」
◇
少女は嬉しそうに笑った。
◇
その姿を見た周囲の教師達も微笑む。
◇
数百年前。
誰もそんな事を言わなかった。
◇
国家とは王だった。
貴族だった。
軍隊だった。
城だった。
◇
今は違う。
◇
国家とは人だった。
◇
研究会議は続く。
◇
壇上に立ったのはアリアだった。
百年以上生きる研究者。
世界最高峰の知識人。
◇
彼女は巨大な地図を映し出した。
◇
かつて存在した無数の国境線。
◇
そして。
現在の地図。
◇
国境は残っている。
国家も存在する。
◇
しかし。
昔とは意味が違った。
◇
アリアは言う。
「国境は壁ではありません。」
◇
「管理区分です。」
◇
「文化圏です。」
◇
「共同体です。」
◇
「敵味方を決める線ではありません。」
◇
研究者達が頷く。
◇
かつて国境は争いを生んだ。
◇
今は違う。
◇
研究成果を共有する単位。
教育を管理する単位。
医療を運営する単位。
◇
人を育てるための仕組み。
◇
それが国家になった。
◇
会場では新しい研究発表が始まる。
◇
魔力循環効率向上。
◇
魔力操作補助魔道具。
◇
教育支援システム。
◇
超能力応用農業。
◇
新型治療術。
◇
魔力吸収研究。
◇
かつて旅人が見つけた基礎技術。
◇
それを二百億人の研究者が発展させていた。
◇
もはや誰も。
一人の天才に頼っていない。
◇
それこそが重要だった。
◇
環境が人を育てる。
◇
良い教師がいる。
◇
良い学校がある。
◇
良い研究所がある。
◇
だから次世代が育つ。
◇
次世代がさらに良い環境を作る。
◇
その循環は止まらない。
◇
会議終了後。
マイケルは窓から外を見た。
◇
巨大都市。
◇
無数の学校。
◇
研究施設。
◇
農場。
◇
工房。
◇
港。
◇
そして。
そこを歩く人々。
◇
皆が学び。
皆が教え。
皆が研究している。
◇
かつての貧困村から始まった流れ。
◇
飢えた子供達。
病に苦しむ人々。
行き場を失った冒険者。
捨てられた神官。
流民。
棄民。
難民。
◇
彼らが育ち。
教師になり。
研究者になり。
職人になり。
国家になった。
◇
マイケルは静かに呟く。
「人材こそ国家。」
◇
それは単なる言葉ではない。
◇
世界そのものだった。
◇
旅人ケルナインはもう表舞台にいない。
◇
命令もしない。
支配もしない。
◇
それでも。
残した思想は生きている。
◇
環境が人を育てる。
◇
人材こそ国家。
◇
教育こそ未来。
◇
その思想を受け継いだ教師達。
研究者達。
職人達。
吟遊詩人達。
◇
彼らは今日も研究を続ける。
◇
より良い学校のために。
◇
より良い治療のために。
◇
より良い農業のために。
◇
より良い紡織産業のために。
◇
病を減らすために。
◇
貧困をなくすために。
◇
そして。
まだ生まれていない未来の子供達のために。
◇
世界は広い。
◇
研究は終わらない。
◇
教師達の旅も終わらない。
◇
だから今日も。
二百億人の教師達は教え続ける。
◇
二百億人の研究者達は学び続ける。
◇
人が人を育てる限り。
世界はさらに豊かになり続けるのだから。




