180.3話 寒冷地綿花
巨大温室が完成してから一か月。
サンナ・マリン王国では新たな変化が起きていた。
農民たちの視線が、野菜や薬草だけではなくなっていたのである。
彼らが見つめているのは綿花畑だった。
温室の一角。
広大な区画に並ぶ緑の苗。
最初は誰も信じていなかった。
綿花。
それは本来、暖かい土地で育つ作物だった。
少なくともサンナ・マリン王国の常識ではそうだった。
北方で育つはずがない。
雪国で栽培できるはずがない。
それが農民たちの認識だった。
しかし教師たちは違った。
「環境が合わないなら環境を作ればいい」
それがアルカディア連邦の考え方だった。
巨大温室の中央では農業教師たちが作業を続けている。
土属性教師が土壌を整える。
水属性教師が水分を管理する。
風属性教師が空気の流れを調整する。
火属性教師が温度を維持する。
農民たちはその様子を見ながら学んでいた。
ただ見ているだけではない。
自分たちも魔法を使う。
自分たちも管理する。
自分たちも考える。
教師は代わりにやらない。
教えるだけだ。
それが教育だった。
「見てください」
農業教師の一人が声を上げた。
農民たちが集まる。
綿花の苗である。
以前より明らかに大きくなっていた。
葉が増えている。
茎も太くなっている。
生育は順調だった。
歓声が上がる。
「本当に育ってる」
「すごい……」
「冬なのに」
感動する者も多い。
若い農民たちは興奮していた。
老人たちは目を細める。
長年農業を続けてきた者ほど、この光景の価値を理解していた。
農業教師は説明を続ける。
「綿花は布になります」
「糸になります」
「服になります」
農民たちは真剣に聞いている。
食料だけではない。
衣服もまた生活を支える重要な資源だった。
特に北方ではそうだ。
防寒具がなければ冬は越せない。
今までは高価な輸入品へ頼るしかなかった。
しかし。
自分たちで作れるようになれば話は変わる。
女王マリンも視察へ訪れていた。
温室を歩きながら綿花区画を見渡す。
白い花が少しずつ姿を見せ始めていた。
「綺麗ですね」
女王は静かに言った。
隣にいた農業教師が微笑む。
「収穫できればもっと綺麗ですよ」
「白い綿が一面に広がります」
マリンは驚いた。
その光景を想像する。
雪の国で綿花畑が広がる。
かつてなら笑われた話だった。
今は違う。
現実になろうとしている。
王配アルベルトも感心したように頷く。
「農業が国を変えるとは思っていた」
「だが衣服まで変えるとはな」
教師は答える。
「農業は産業の始まりです」
「食料も衣服も薬も、元を辿れば畑から始まります」
その言葉にアルベルトは深く納得した。
同じ頃。
王都では別の動きも始まっていた。
トミーが商人たちを集めていたのである。
綿花の将来性を説明するためだった。
「今のうちに倉庫を準備しろ」
「輸送路も確保しろ」
「布工房も必要になる」
商人たちは半信半疑だった。
しかしトミーは確信している。
アルカディア連邦で何度も見てきた。
教育。
農業。
物流。
それらが繋がると巨大な産業になる。
今回も同じだった。
綿花が育つ。
糸になる。
布になる。
服になる。
仕事が増える。
雇用が生まれる。
税収も増える。
国が豊かになる。
単なる農作物ではない。
未来そのものだった。
さらに数週間後。
綿花畑は大きく成長した。
白い綿が姿を見せ始める。
農民たちは歓声を上げた。
初めて見る者も多い。
ふわふわとした白い繊維。
子供たちは興味津々だった。
手に取って触る。
柔らかい。
暖かい。
笑顔が広がる。
農民たちは収穫方法を学ぶ。
保存方法を学ぶ。
品質管理を学ぶ。
教師たちは丁寧に教えていく。
知識が増える。
技術が増える。
人材が育つ。
それこそがアルカディア連邦の強さだった。
夕暮れ。
温室全体が黄金色に染まる。
綿花畑の白が美しく輝いていた。
女王マリンはその景色を見つめる。
そして静かに呟く。
「私たちはずっと冬に耐えてきました」
誰も言葉を挟まない。
マリンは続けた。
「けれど、これからは違うのですね」
セリナが頷く。
「はい」
「冬に耐えるのではありません」
「冬の中でも育てるのです」
温室の中には多くの人々がいた。
学ぶ者。
教える者。
働く者。
笑う者。
その姿を見ながら女王は確信する。
サンナ・マリン王国は変わる。
農業革命は終わらない。
次は紡織産業だ。
綿花から糸を作り、布を作り、服を作る。
新たな産業革命の幕が上がろうとしていた。




