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おかしな新婚生活 2

 

 シオンが領地にきてから、領民たちが屋敷を訪れることが増えた。それまでだって、皆気安く野菜だの作ったお料理だのを持って遊びにきてくれてはいた。


 ――のだけれど、近ごろはその比ではない。


 皆自分に会いに、というよりはシオンを見にやってきているのだ。


「シオン様、アグリアちゃん! よかったらこれ食べておくれよ」

「これ、うちの畑で朝採れたばかりの葉物だ! 持ってきな」

「今まで離れ離れで寂しかったろう? やっとこれで幸せを満喫できるなぁ。アグリア」

「籍を入れて早々に戦地に行かなきゃなんて、あんまりさ。でもこれでやっと安心して暮らせるねぇ」


 皆は当然知らない。この結婚が仮初のもので、実はシオンがここにやってきたのは離婚の相談をするためだということを。


 しかもシオンが滞在するのは、たったのひと月だけ。それも最初は一週間だった予定が、父が腰を痛めたせいでひと月に延びただけなのだ。


 まぁ、そのおかげで色々と屋敷の修繕だの父の世話だのをしてもらい助かってはいる。とは言え、これが永遠に続くわけではないのだ。


 もっともそんなこと、領地の人たちには絶対に言えないけれど。


 純粋にシオンが帰ってきたことを心から喜んでくれている様子の皆に嘘をつくのは心苦しいけれど、曖昧に笑ってやり過ごす他ない。

 


 そんなある日のこと、またしても屋敷に領民がやってきた。


「アグリアちゃん? これ、よかったら使っておくれよ」


 その日やってきたのは、領地で一軒しかない雑貨屋の女主人のメリダだった。結婚して間もなく雑貨屋を営んでいた夫を亡くし、あとを継いだのだ。


「これは? 化粧品?」


 メリダがにっこりと笑みを浮かべて手渡してくれたのは、何やらいい香りのするクリームが入った小瓶だった。

 きれいな花の絵が描かれているしゃれた瓶で、実に女性らしい品だ。


「ええっと、嬉しいけど私、普段からお化粧はしないんだけど……」


 こんな田舎で暮らしていると、いくら貴族の令嬢とは言え華やかに着飾って出かける機会も相手もいない。それに毎日忙しく農作業やら家事に追われて、見た目など気にする余裕なんてない。


 よってお化粧なんて、王都に行くたまの機会くらいにしかしない。しかもごく薄いナチュラルな感じだし。


 せっかくいいクリームをもらったところで、あまり使う機会はなさそうだと曖昧に笑ってみせれば、メリダが「そうじゃないよ」と首を横に振った。


「え? ならこのクリームって……?」


 お肌に塗り込んで美しくなる、といったものでないなら、一体何なんだろうと首を傾げた。

 するとメリダは、にんまりと意味ありげに笑い耳元に口を寄せた。


「ん?」

「これをね、夜寝る前に体――特に首元とか胸元に塗り込むんだよ」

「……え?」


 なぜクリームをそんなところに塗り込むのだろう、ときょとんと目を瞬いた。


「ふふっ! そうすれば、体を寄せ合った時にうんといい香りが立つんだよ。女の魅力をうんと引き立てるような、うっとりとするような魅惑の香りがねぇ!」

「はいっ⁉」


 思いもよらない答えに、思わずばっと身を引いた。


「そ……それって、まさか……!」


 噂には聞いたことがある。王都での婚活パーティでも、そういった類の品の話は何度か出たこともあるし。


 なんでも媚薬とまではいかないけれど、女の魅力を押し上げて男の欲をそそるアイテムであるらしい。それを使えば、好きな男性の気を引けるとかその気にさせることができる、とか――。


「寝床に入る前にそれを体にちょいっと塗り込んでおけば、きっとシオン様も夢中になるさ。なんたって、今からようやく新婚生活がはじまるんだからねぇ!」


 そう言うと、なんとも生温い笑みを浮かべクリームをぎゅっとこちらの手に握り込ませたのだった。


(う、嘘っ! そんなの……私とシオンには必要ない! っていうか、そういう関係じゃないんだし……。あ、でもメリダに言うわけには……)


 つまりはこのクリームを使って、シオンと仲良くしろということらしい。そんなこと言われても、困るけど。

 

 とっさに手の中のクリームをばっと隠し、辺りをきょろきょろと見渡した。

 

(よかった……。シオンはどこかにいっちゃってるみたい。聞かれてたら大変だった……)


 ほっと安堵の息をもらし、クリームを見やった。


 大きな声では言えないようなアイテムではあるけれど、せっかくの心遣いをつき返すわけにいはいかない。メリダだって、ずっとシオンが戦地に行ったまま戻ってこないのを心配してくれていたんだし。


「ええと……、使うかどうかは別として、あ……ありがとう、メリダ。受け取っておくわ……」


 仕方なく引きつった笑みを浮かべ、クリームを受け取るしかなかった。


「じゃあ、シオン様にもよろしく伝えておいておくれよっ! あ、もし足りないようだったらいつでも注文しておくれね」

「あ、あはは……。う、うん……。そうするわ」


 もう用は済んだとばかりにメリダが手をひらひらと振りながら玄関へと向かう。と、何かを思い出したように立ち止まった。


「……あ、そうそう! 今さらだけど、アグリア様。本当に結婚おめでとうね。あんなに立派な人と結婚できて、きっと奥様だってお喜びに違いないよ。よかったねぇ……」


 しみじみとそう口にしたメリダの目尻には、光るものがあった。


「本当に安心したよ。シオン様がちゃあんと無事に帰ってきてくださってさ。きっと戦争だってすぐに終わるよ! そうしたら、シオン様だってずうっとここにいられる。その時まできっと頑張るんだよ」


 そう言い残して、メリダは帰っていった。

 

 その後、台所でお湯を沸かしている最中だったのを思い出し慌てて戻ればシオンがいた。


「あぁ、勝手に入ってすまない。湯が沸いていたから、火を弱めておいた方がいいかと……」


 どうやら通りすがりに湯が沸いたのに気がついて、気を利かせてくれたらしい。


「ありがとう! シオン。ちょっとお客様がきてたものだから……」


 すると、シオンが何かを思い出したように口を開いた。


「そう言えば、今朝領地を散歩してたら雑貨屋の女主人からおかしなことを言われたんだった」

「……! ごほっ! ぶほっ……。な、何て言ってたの……!?」


 嫌な予感しかしない。

 おそるおそるシオンにたずねれば、首を傾げながら答えた。


「何だったかな……。確か『効果絶大だから楽しんで』とか、『アグリア様と仲良くね』とか言っていたような……。あれ、どういう意味だったんだろうな」


 思わずその場に崩れ落ちそうになるのを、どうにか堪えた。


「な、なんでもないっ! なんでもないから、気にしなくて大丈夫っ。本当に今すぐ忘れちゃって平気だからっ!」


 そう言えばクリームの瓶は、まだエプロンのポケットの中だ。

 瓶がまるで燃えるように熱く感じる。


(もうっ! メリダがおかしなことを言うから、変に意識しちゃうじゃないのっ。とにかくすぐにこのクリームをどうにかしなくちゃっ!)


 全身からおかしな汗を噴き出しながら、シオンに言い聞かせた。その挙動不審としか思えない行動に、シオンはますます首を傾げていたけれど。


「と、とにかく! そうっ、お茶にしましょうっ。お茶っ! ねっ! シオン」

「え? あ、いや……お茶ならついさっき飲んだばかりで……?」


 戸惑うシオンに無理やり淹れたばかりの熱々のお茶を押しつけ、大急ぎで自室にかけ込んだ。

 ポケットからクリームの瓶を取り出し、きょろきょろと部屋を見渡す。


「えーと……、どこか絶対に人目につかない場所は……」


 そして、普段あまり使うことのない三段目の引き出しの奥の奥に瓶を厳重にしまい込んだ。


 絶対に出番なんてくるはずない。だって自分たちは、こんなものを使うような関係じゃないんだから。


 そう言い聞かせ、深呼吸を繰り返した。

 けれど一度火照った顔からは、なかなか熱が引いてくれなかった。


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