十九
してみれば、夜は蛹なのであろうか。雲脚は夙に畢った祭の焚火の如く隠然と垂込み、焔の残香は鼻先まで惚けて居そうであった。昵と眼を凝せば眼瞼や吻の仔細は押迫ってくるものの、全体の輪郭が茫も泛んでこない。故と隈取て居るのではなかろうか。無垢の白地に乗っている細工が唯の彩色であることを拒み、*蓬々に奇怪な美観を呈していた。
男は黙っていれば居るほど色気を増し、女は饒舌って居ればいるほど色気を増すものであるが、我々二人は違った。
吃りと云うものは喋舌ろうと云う意志が確認され、初めて不連続に墨汁を垂したかのような声色を持つものだが、私の沈黙は這般の空白なところのみを抽出して、溶接したかのようなものであった。マキナは多弁の齎す美しさを言説自身へ還したためにその美しさに預ることが不可能った。
四辺は、そうしたものの*混淆のために煩しさが蚊柱の如く蟠っていた。血を垂した俄立水のように淋と淀んだ儘、淵から淵へと濁音符が駆巡り、全然異うものへ渝りつつも、その容子は一個も不渝ない。明瞭えて渝るのは恒に我々の孰である。
私の蒼白い顔は風邪気を増し、皮膚を擦剥いたように赤く腫上がっていることだろう。傍のマキナはそれを穏に、しかし恍惚と睨廻していた。その穏な俯瞰は恰度飼い犬を瞰下す主人の形で、忽ち巨な鉄格子が打樹てられるようだ。たったの一瞥で私は竦上がった。
と云うのは、臆病者にとって最も苦痛を伴う罰は罰しないことである。無垢の明みや木洩れ陽の戯れこそ塗炭の極である。それをマキナ識ってはいまいか、囚人に*怜仃の念を植附けるのは行刑官の*笞でも有刺鉄線の渋面でもない。それは面会人の物憂い微笑なのである。
*蓬々…盛んに茂るさま
*混淆…いりまじること
*怜仃…おちぶれて孤独なさま
*笞…刑罰の具




