ロング・グッバイ
「大丈夫ー、ちゃんと刺さってるよ!」
崖の上から渓の声が聞こえてくる。彼女の声を頼りに俺も登ると、渓がロックの頭を撫でていた。ロックはされるがままに彼女の手を受け入れてるし、渓も思わず頬が緩んでいた。
「えらいなーお前は」
「きゅう、きゅう、きゅう」
なんとなく俺より喜んでる気がして少しだけモヤモヤするけど、まあ可愛いから我慢しよう。
オグも俺にあわせて壁を登ってきていた。流石野生の動物だ。この壁ぐらいわけないってことか。
「マスタぁ~、引き上げてくださいニぃ~~」
下に取り残されたミトナがロープを握って途方に暮れている。
「わーったからお前も自分で登れよ」
「分かってますから、はーやーくー」
仕方なくロープを掴んで引く。
「お゛っっっも……!」
「ちょっ、マスター!またミトナのこと重いって言いましたネ!?」
「実際重いんだからしょうがねえだろ!本当に抱っこできるプロ仕様モデルなんだよなお前!?」
「しょうがないですネ……対知的生命体奉仕型インターフェイスの本気の力の片鱗を少しだけ見せてあげますナ」
「本気?」
俺の疑問を無視してミトナはロープから手を離す。
「―――― 命令・アングラビティ」
ミトナの抑揚のない声とともに、スカートの下から風が勢いよく飛び出した。ふわりとスカートが揺れると、ミトナは再びロープを掴んだ。
「引き上げてください、マスター」
「お、おう」
するすると紐を手繰り寄せる。意外なことに先ほどまであった重さは一切感じなかった。ミトナは紐を掴んだまますらっと背筋を伸ばして、崖の下から登ってくる。
「自身にかかる重力を一時的に無効化しました。次元連結システムのちょっとした応用ですナ」
「ゼオラ〇マーかよ……というか地味にとんでもないテクノロジーじゃないか?」
「そんなことより、これはマスターから抱っこしてもらうための機能ですナ。ほら」
ミトナが両手を前に突き出して抱っこしてくれと言わんばかりの姿勢を取る。
「……本当にしなきゃダメ?」
「この機能使うの、ほーーーんとにエネルギー使うんですからネ。元とらないと勿体ないですナ」
「わーったわーった、こっちこい」
「さすがはマスタぁ~~!」
ぐでーっとミトナが全身でのしかかってくる。触感はあるのに重さは感じないのは少し違和感はある。でも仕方ないのでミトナを抱きしめながら撫でてやることにした。
「マスタぁ~~~、なんだかんだミトナに甘いところ好きですナ~~~」
「お前なぁ……というかだんだん重くなってきてないか?」
「そろそろオーダーの効果が切れそうですネ」
「おいおいおい本当に冗談じゃないって、マジで重くなってきてるって!」
「でもマスターと触れ合えるのは貴重な機会ですし、もうちょっとだけ……」
「おい、マジで重くなってるって!!」
渓に助けを求めるものの、渓は俺たちの方をみると小さくため息をついた。
「遊んでないで行くよ」
「がうっ」
ロックも渓に続いて歩き始める。
「マジでヤバいんだって!!!」
「ん~マスタぁの汗の匂いも悪くないですナ」
「おい!!」
ミトナを強引に転がしてなんとか引きはがす。「んナっ!」とミトナは短く叫んだがそんなのお構いなしだ。
「お前ちょっとは加減考えろ、こっちはお前ほど頑丈じゃないんだぞ」
ミトナは答えない。
「ミトナ?」
「マスタぁ、あれ見てください」
「なんかこんな展開前にもあったような……」
ミトナの視線の先を見る。そこは大樹の一番太い枝で、枝の上には一頭のグリフォンが立っていた。慌てて双眼鏡を取り出して覗き見る。オグと同じ茶色の稲妻の模様が胸毛にある、例のつがいだ。
そのグリフォンは俺たちを一瞥すると、枝から降りて大樹の影に消えていった。
「あ、おい!」
渓にアイコンタクトで知らせると、渓も小さく頷いた。
改めて周囲を観察する。崖の先には小さな平原が広がっていて、草木も種類は違えど登る前と同じぐらいの賑わいを見せている。カラッと乾いた風が土の香りを乗せて運んできて、登山で疲れた俺の頬を優しく撫でた。
大樹はその中央にどっしりと構えるように立っている。まるで自分がこの平原の主だと言わんばかりの様相だ。
「ハルさん、見える?」
遅れて駆け寄ってきた渓を見て、俺は首を横に振った。大樹の影に隠れたグリフォンはあれから姿を現わす様子はない。
「ピュイ……」
オグが力なく鳴いた。
「大丈夫、絶対見つけてやるから」
そう言ってオグの首元を撫でると、オグは不安そうな目でこちらを見上げた。
「ハルさんの言う通りだよ、オグ。みんなであの子を連れて帰るんだ」
「がうっ!」
いつの間に仲良くなっていたのか、渓の肩の上に乗ったロックが元気よく吠えた。
「大樹の裏、根元あたりに反応がありますネ」
「うし、行こう」
「はいナ!」
「がうっ、がうっ!」
俺は気合を入れて、大樹へと急いだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
大樹を近くで見ると改めてその大きさに驚かされる。なによりその太さだ。両手を広げても幹の幅には全く届かない。根も太く後ろに回るのも苦労しそうだ。
それに根元にたどり着くと、他の生物の気配を色濃く感じるようになった。どの生物も姿こそ現さないが、突如入り込んだ異物に対して明確に警戒している、ピリッとした感覚だ。
「気を付けて進みましょうネ」
小声でミトナが囁く。俺も頷いて腰の警棒に手を伸ばした。しかしその手を渓の右手がつかむ。
「オグのつがいを刺激したくない」
「でもヒリついた感覚、渓もわかるだろ」
「それは私達が警戒してるから。動物って私達が思ってる以上に色んなことを理解してるの」
「がーうー」
まるで「その通りだぞ」と返事をするようにロックが言う。俺は警棒から手を放して息を吸った。
「ロック、こっちこい。お前が居ないと不安でしょうがない」
「ぎゅるぎゅる……」
手を差し出すと、ロックはその上にジャンプした。この重さにも慣れてきたものだ。そのままロックはもぞもぞと俺の腕、肩と身体を這わせ、ジャンパーの中に器用にもぐりこんだ。胸元から首だけだすと「きゅう」と小さく鳴いた。
「定位置なんだね」
「きゅうっ!」
肩の力が抜ける。そうだ、結局ここは異世界で、俺たちはある意味での冒険者だ。気楽に行こう。ロックの首元を触って、俺は大樹の根を踏み越えた。
大樹の裏に回ると雰囲気は一変し、薄暗い世界へと変わった。大樹自身と奥の山に挟まれる形になってあまり陽が当たらないせいだろう、じめっとして肌寒い空気が辺りを包みこんでいる。そしてすぐに俺たちはピリっとした空気の原因を知ることになった。
「ぴぃ、ぴぃ」
「ぴぃ」
「ぴっ!」
樹の根の間に隠されるようにそれらはいた。細い枝で組まれた頼りない巣、その中に三羽の雛が居て、必死に振り絞るように鳴いている。そしてその横には――胸に稲妻模様のあるグリフォンが倒れていた。
「マスター!!」
ミトナが叫び、俺もすぐにそのグリフォンに向かって駆け寄った。鼓動があるか確認しようとそれに触れた瞬間、俺の全身に生理的嫌悪感が走った。
「ダメだ、もう死んでる。それも全く温度を感じないんだ。この子が死んだのはついさっきの話じゃない……」
じゃあ俺が見たあのグリフォンは何だったんだ。縋るように周囲を見渡すがグリフォンの姿は全く見当たらない。渓と目が合った。
「ハルさん、今はそれより雛を」
「そ、そうだな。オグ、餌探してきてくれ」
「キュイッ」
ロックがオグの背中に乗って、樹の上へと器用に登っていく。
俺はリュックからミルクを取り出して雛に飲ませた。雛は口を付けた途端力いっぱい飲み始める。ひとまず大丈夫そうで、俺は安心して深呼吸をした。
「ひとまず餓死だけは避けられそうだ」
「良かった……。ハルさん、ありがとう」
「礼ならロックに言ってくれ。このミルクだってロック用なんだ。アイツが居なきゃ俺だって助けられなかった」
「そうなんだ、じゃあ後で撫でてあげないとね」
「ああ、よろしく頼む」
次の雛にミルクをあげる。渓が隣にしゃがみ、ミルクを飲み干してうとうとし始めた雛を人差し指で優しく撫でた。
「ねぇ、ハルさん」
「なんだ?」
「登る前さ、ロックの思い出になったって言ってくれたじゃん」
「ああ」
「ありがとね」
「……どういたしまして。渓もロックと仲良くしてくれてありがとうな」
「本当に親みたいだね」
雛が満足したのかけぷと小さくげっぷをする。渓がくすりと笑った。
「でも、ロックは俺じゃなくてオオミズチに育てられるべきだったんだ」
「そんなこと、幸せそうにしてるじゃん」
「今はな。でもアイツはドッグフードとミルクで育ってしまっている。本当は平原の虫の味を覚えるべきだったし、俺じゃ狩りの仕方だって教えられない。大人になるまで何年かかるかも分からないし、責任も最後まで取れるのかすら分からないんだ」
俺の匂いを付けてしまったから、オオミズチはロックを自分の子供だと思わなかったんだ。俺のエゴが、ロックの人生を無茶苦茶にしたんだ。
渓の指が俺の頬に触れた。
「ハルさん、ロックに空の飛び方を教えた?」
「さすがに無理だって」
笑って答える。
「それでもロックは飛んだじゃん。きっと遺伝子に、本能に刻まれてるんだよ」
「そうかな」
「うん。ロックは賢い子だよ。きっといいドラゴンになる」
渓が目を細めて笑う。彼女の笑顔に思わずどきっとしてしまった。いかん、相手は未成年だぞ……。
「あのーー、いい雰囲気になるのは勝手なんですが、ミトナのこと忘れてませんかネー?」
「あ、ごめん、忘れてた」
「マスタぁ!?」
のしかかってくるミトナを無視して、俺は渓にあの話題を切り出すことにした。
「ところで、渓は決めたのか?ここに残るのか、それとも日本に帰るのか」
渓は空を見上げていた。俺は彼女の様子をあえて見ないよう、ミルクをやるのに集中した。
「あのね、私、ハルさんたちと会うまで、もうこのまま死んじゃってもいいやーって思ってたの」
「そうか」
なんとなく思ってはいたけど、やっぱりそうだったんだ。
「でも、ミトナちゃんとお話したり、ロックと触れ合ったりして思ったの。生き物って暖かくって、みんな生きてるんだって」
「渓サマも生きなきゃですナ」
「……うんっ」
「ピューィッ」
いつの間にかロックを乗せたオグが帰ってきて、渓に頭をこすりつけた。背中に乗ったロックが羽ばたきながら降りてきて、「どうだっ」と言わんばかりの表情で、咥えた芋虫をこちらに見せてきた。
「ほら、言ったとおりでしょ」
渓が笑う。
「降参だ」
俺も笑って、空を見上げた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「本当にオグと別れていいんだよな?」
平原との境界で、俺はオグと渓に言った。
「うん。オグももう一人じゃないし、私だってやりたいことができたから。オグとも話し合ったし」
「ピーイィ」
オグも返事をするように言う。その背中には雛たちが乗っていた。小さな右側の翼で抑えている。
「帰り道でもアングラビティ使ったせいでもうおなかペコペコですナ……早く家に帰りたい」
「大事な場面なんだから、我慢しろ」
「良いよ。もうお別れは済ませてあるから」
「本当か?」
「うん」
渓は振り返ってオグを見る。
「じゃあ、オグ、またね」
「ピー、ピィ」
渓はオグを力いっぱい抱きしめた。俺の胸でロックが「きゅう」と小さく鳴く。
「これ以上いると別れたくなくなっちゃうから、いこうよ」
渓はこっちを見て俺の手を取った。俺が何か声を出す前にすたすたと歩き出した。
平原の芝草をかき分けながら、俺たちは進む。時々振り返る度に山岳地帯はどんどんと遠ざかっていく。少しだけ心の中に寂しさを感じながら、俺は渓に引っ張られていった。
その時だった。
「――――ピーーーッ!」
山岳地帯の方角からオグの声が聞こえてきた。それがオグにとっての本当のサヨナラの声だというのは、俺にも伝わった。
渓が振り返って大声で叫ぶ。
「私もー!頑張って生きるからぁーーっ!!」
その言葉の意味がオグに伝わったのかは分からない。でも、きっと、オグと渓の距離は離れていても、心は近くにあるんだ。




