はじめての異世界
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「はあっ、はあっ、はあっ」
歩く。力の限り早く。
歩く。足が動く限り。
胸が張り裂けそうなほど息を切らしながら、足が動き続ける限り、芝草を精一杯踏みしめて俺は歩いている。
「マスタぁ、待ってぇ……!」
後ろからオレンジの髪の少女――ではなく、少女型アンドロイドの情けない声が聞こえてくる。
「ミトナ、急げっ!!」
俺は汗まみれの手で彼女の手を何とか掴み、力いっぱい引っ張った。
「重……っ!お前中に何詰まってんだ!」
「ちょ、レディにそんな暴言、いくらマスターでも認められないですニっ!!」
「いまそんなこと話してる場合じゃないだろ!」
「いーえ大事なことです!これでも 姉妹機よりずーっとミトナは小型で軽量、人間たちが抱っこできるよう調整されたプロ仕様なんですよ!!」
「ガアアアアアアアアアッ!!!!!」
後ろからオオミズチの咆哮が押し寄せてくる。
「バカなこと言ってないで逃げるぞ!!」
「ミトナは精密機械なんですから、もっと大事に扱ってくださいナ!」
「いいから歩け!」
チクショウ!どうしてこうなった、クソっ!!
汗と涙で虚ろになる視界にこれまでの思い出が景色となって重なる。
これが走馬灯ってやつか――。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
『異世界』――今やその言葉は空想上の異なる世界を表す言葉ではなくなっていた。
2027年の真夏の日、東京の成増というちっぽけな街を飲み込んで現れた亀裂。当初は裂け目だの異次元だの呼ばれていたその空間異常が異なる世界と繋がっているとわかった時、その呼称は自然と『異世界』と統一されていた。
しかしそれに対し、各国の反応は芳しくなかった。
それもそのはずで、入口が日本にあるから日本の領土だとウチは主張しているものの、中にあるのはだだっ広い空間と未知の資源が大量に眠る可能性だ。日本にマルッと渡す国の方が少ないだろう。
そういう事情を鑑みて、日本は調査団を派遣はしていないことになっている――表向きは。
今はその異世界の真っただ中に、俺―― 春馬 晴彦は立っている。迷い込んだ一般人という役割を国から与えられて。
空は晴れわたり、高い樹木もなく見晴らしがいい。夏も終わりかけだというのに日光も穏やかでいたって快適だ。しかし動物の鳴き声はなく、あたりは不気味なほど静かだ。もちろん車のエンジン音や人の話し声など一切なく、それが一番俺を不安にさせる。
膝に着きそうなほどの芝草が揺れ、からかうように俺の膝をくすぐった。
「改めてですが、絶対に片足は地面につけて下さいナ。ルールを破ればワタクシとて無事じゃすまないんですから」
「分かってるって」
少女型アンドロイド――ミトナが軽くステップを踏み、くるくると回る。柔らかな日差しに照らされて、彼女のオレンジ色の髪の毛と白を基調としたドレスが、異世界の緑の芝草と奇妙なコントラストを作っていた。
「世界のルール、って奴だろ?俺にとっては《《異》》世界のルールだけど」
「はいナっ。この平原のルールは【いかなるものも飛んではいけない】。……見せたほうが早いですかネ?」
そう言うとミトナは落ちている小石を拾い上げ、そのまま放り投げた。身の丈より少し上まで飛んだその石ころは、チュン、と小さく高い音を立てて落ちる。
それを拾い上げると、自慢げに俺に見せてきた。
「マスターもこうなりたくなければ、絶対に片足は地面につけるようにして下さいナ」
その石ころだったものは、ぐるぐる捻じれてまるで近代芸術作品のようになっていた。なにより不気味なのが、それがさも自然な状態であるかのようになっていることだった。規則的で幾何学的に捻じくれていて、ひび割れの一つもない。
ミトナはまるで下校時に手頃な石を拾った子供のような様子で、先ほどの石を何度も真上に投げている。そのたびに石はチュン、チュン、と捻じれて落ちた。
「こうやってすると面白い形ができるんですよ、暇つぶしにもってこいなんですナ」
「お前、俺と会う前はこんなことしかすることなかったのか……?」
「んナっ……!そんなことありませんよ!ミトナはご主人様を探すため亀裂に飛び込み、海を泳いでは荒野を駆け……決して遊んでいた訳じゃありませんカラ!捨てないでっ!」
コイツといるとどうも緊張感が抜ける。――それもそのはずだ。実際ミトナにとってこの平原は日常風景で、むしろここにある非日常は俺の方だ。
――異世界に存在する 異常存在の一つ、ミトナ。彼女がどこから来て誰に作られたのか、それは誰にもわからない。判明していることは彼女は異世界の知識を持っていて、なぜか日本へと飛び出してきたということだけだ。
実際俺が入ってきた異世界への入り口というのも厳密には彼女が通って来た出口だった。日本に出てきて最初に見た俺のことを勝手に ご主人様認定して付きまといはじめ、それから紆余曲折あって俺はここに居る。
「でも基本は草食ですニ。大人しい子ですし、滅多に襲いませんナ。基本的にはこの辺の草を食べてるだけなんで」
ミトナは人差し指で「ここ」と示すように真下の地面を指す。地面は獣道のように草木が倒れ地面が禿げており、周期的に丸い窪みが連なっていた。
「まさか、この道ってオオミズチが食い荒らした後なのか?」
「世の中には草を主食とする動物が広くいるとこのミトナのメモリにもしっかり登録してありますナ。この道をたどればきっとオオミズチちゃんにすぐ会えますナ」
「まぁ、それはそうだけど……俺たちが調査する必要あるのか?ドローンとか使うとか、もっと安全な方法があるだろ?」
ふへ、とミトナが笑う。
「ハル氏も間抜けなことも言うんですニw。そ、そのために我々が調査に来てるんじゃないですかぁ」
「え、そうなの?」
「オオミズチって、空を飛ぶんです。飛んだらあんな石みたいに捻じれるはずなのにですよ?だからその秘密を探れば晴れて安全に調査ができるって寸法ですナ」
「あー、 三代さんがそんなこと言ってたような……すまん、忘れてた」
「そんなことも忘れるだなんて、マスターはもう歳なんですかナ?」
「うっせ、まだアラサーだわ」
小さくため息をつく。ミトナの話し方は独特だしどうも調子が合わせづらい。それになぜ彼女は日本や人類についての知識があるのだろうか?
「ふぇ、どうしたんですかマスター。そんなイヤラシイ視線送って……ま、まさか襲ったりはしませんよネ!?」
「……」
彼女がくねくねと身体をよじらせて、セクシーさとは真逆の動きをする。
今度は大きなため息がでた。まさか人生初の異世界がこんな変なロボットと一緒だとは。しかも生態調査をするには彼女の異世界の知識に頼らざるを得ないだなんて。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
”平原”のルール:空を飛んではいけない。
調査対象:オオミズチ
調査目的:”平原”でオオミズチだけが空を飛べる謎の解明
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「本当にこの先にオオミズチってのがいるのか?」
「ええ。もちろんですナ」
もちもちした身体を揺らしながら、サファリのガイドぐらいの気軽さでミトナは言う。
「おわっとっと」
ミトナがバランスを崩す。思わず手を伸ばして彼女の身体を支えた。
「マスタぁ……」
「足は付いてるよな?」
「は、はひ。もちろんです」
彼女はぶりっ子のような上目遣いで俺の顔を見つめてくる。緊張していたこっちが馬鹿らしくなってきて、俺は肩の力を抜いた。
「頼むよ、ここで頼れるのはお前だけなんだから」
「それって……マスターにとって、み、ミトナは必要ということですか!?」
「そうだけど、なんだよ」
「ほ、本当に必要なんですネ!?」
「だからそう言ってるだろ」
「~~~~っ!!」
ミトナが俺の腕をつかみ、頬を押し付け始める。
「マスタぁ~~~~。もう、なんだかんだいってミトナのことが大好きなんですニぃ~」
……本当に緊張感が抜ける。腕を振り回して彼女を何とか下ろした。それでもミトナはくすくすと笑うと、再びるんるん回り始めた。
俺は少しだけ後悔し始めていた。ほとんど着の身着のままでドラゴンが空を飛ぶ理由を解明してこいだなんて、いくらなんでも無茶がすぎるというものだ。それにボディガードとして(勝手に)着いてきたミトナも正直頼りになるとは言いづらい。
そして俺の後悔は目の前のなだらかな登り坂を超えた時、より色濃い物へとなった。
「マスタぁ、あそこ」
「あれが……ドラゴン……」
「オオミズチちゃんですネ」
竜、ミズチ、ドラゴン――その呼称は場所によって様々あるが、それらはどれも共通した特徴を持っている。身体はトカゲ、顔は角の生えたワニのようであり、その背には巨大な翼をもつ。
そしてその全ての特徴を持った生物が、俺の眼下にいた。
「まさか本当にドラゴンがいるだなんて……」
「あそこ!」
ミトナが指差した先にはもう一頭のオオミズチが居た。草の中に隠れるように身を屈めている。
「もう一頭……!」
「近づきます?」
「いや、ひとまずここから観察しよう」
俺は芝草に身を潜め、リュックから双眼鏡を取り出す。
「観察モード、起動……」
ミトナが珍しく抑揚のない声でぽつりと呟いた。
ドラゴン――オオミズチは、ゆっくりと草の上に寝そべって、先端に丸い球体のついた尾を遊ばせている。赤と銀の中間色の鱗がきらきらと陽光を反射していた。
――スケッチもしておこう。三代さんは情報はなんでもあるだけ欲しいという話だったし。
「火とか吹くのかなー」
「そういうのは見た事無いですネ。たまに飛んだりするぐらいで、普段は大人しい子です」
「良かった……」
「というかマスタぁ、絵うまいんですネ」
気づけばミトナはオオミズチを見るのをやめ、俺のスケッチの方を覗き見ていた。
「生物専攻だったし、趣味で絵も描いてたからな」
「なんか芸術家って感じじゃないんですけど、ちゃんと特徴を捉えられてるというか……うーん、いい感じの言葉を検索中……」
「……ありがとな」
ミトナを撫でる。あまり人に絵を見せた事も無ければ、当然褒められたことも無かったから、こうも真正面から褒められるとさすがに嬉しい。社会人になってからあまりこういう特技は使う機会がなかったけど、役に立つというのはなんだかんだ悪い気分じゃないな。
調査と言えば他に何をすべきだろうか。あるだけ欲しいという三代さんの依頼から考えれば、できるなら体組織の一つとか、卵とかあったら持って帰りたいんだけど……。
「そうだ!」
「どうしたんです急に?」
「ちょっとやりたいことがあるんだが……」
「なんです?」
「あいつのフンが欲しい」
「フ……?なんですと?」
「フン。糞。ウンコ」
「う、ウンコぉ!?」
ミトナが素っ頓狂な声を上げた。




