47話 増えてねえか?
画面では、手足が伸びる男が力尽きて倒れ、姫奈の筋肉ダルマが雄叫びを上げている。くそっ、また負けた。
麗奈はというと、ソファの端でぽちぽちとスマホをいじっている。美味しそうな料理のレシピを探しているらしい。
次のキャラ選択を迷っていると、姫奈がどこか戸惑った様子で声をかけてきた。
「あの、歩君……」
「ん?」
「……何かその人、さっきからずっと歩君に甘えてませんか?」
姫奈の視線の先には、俺の太ももを枕にして横たわる姉さんの姿があった。人のことは言えないけど、あんた寛ぎすぎだろ。
「いつものことだよ」
「普通姉が弟に甘えますか?」
三島家では日常の光景だ。
「麗奈は全然気にしてないみたいだけど?」
「お姉ちゃんは変に順応性がありますからね。流されやすいですし」
「なるほど」
あいつ、妹にそんな風に思われてるのか。
まあ確かに麗奈はそういう奴だ。膝枕も最初は嫌がっていたくせに、最近はやらなくてもいいときまであいつの方からやってくれたりする。正直、意味がわからない。
そんな話をしていると、俺の膝でもにょもにょやっていた姉さんが、むくりと体を起こす。
「姫奈、あなたも歩に甘えてみて」
「えっ? いや、私はいいですよ……」
「歩をお兄ちゃんだと思って」
「歩お兄ちゃん!」
姫奈は即座にコントローラーを放り出し、俺の胸へと飛び込んできた。相変わらずノリのいい奴だ。そして可愛い。
「よしよし」
「ふふ。結構いい感じかもです」
頭を撫でてやると、姫奈は満足そうに目を細め、俺の胸元にすりすりと顔を埋める。
「……」
スマホから顔を上げた麗奈が、無言のまま、ジト目をこちらに向けてきた。無視しておこう。
やがて気が済んだのか、姫奈が俺の体から離れ、再びゲームのコントローラーを構える。
俺もコントローラーを手に取ると、隣から姉さんが手を差し出してきた。
「貸して。次は私がやる」
「あ、はい」
俺は素直に手渡した。
「葵さんも格闘ゲームできるんですか?」
「やったことはある」
「私に勝ったらアイス一本でどうです?」
「乗った」
俺は姉さんにテレビ前の場所を譲り、麗奈の隣へと移動する。
画面の中では、姫奈の筋肉ダルマと、姉さんの美少女兵士の戦いが始まった。
手が空いた俺は、ポケットからスマホを取り出し、英単語アプリを始める。
すると、麗奈がスマホを置いてこちらへ倒れてきた。そのまま俺の太ももに頭を乗せ、もにょもにょし始める。
「頭撫でて」
何か姉さんみたいなことを言い出したな……まあいいけど。
俺は片手でスマホを操作しながら、空いた手で麗奈の頭を撫でてやる。
「……」
ピクリとも動かなくなった。
どうしたのかと思って見下ろすと、そっぽを向いた麗奈の耳が赤くなっている。
「ちょっ、この人意外と強いのですが!」
見ると、姫奈の顔からさっきまでの余裕が消えている。
テレビの画面には『K.O.』の文字があった。
スコアは1対1。どうやら第1ラウンドは姫奈が勝ったものの、第2ラウンドでは姉さんが取り返したらしい。
残念ながらその人は姉らしいことは何もできないけど、姉らしいこと以外は結構何でもできるんだ。
激闘の末、姫奈は「アイスを取ってきます……」と告げて、とぼとぼとキッチンへ向かった。
その背中を見送っていた麗奈が、俺の太ももからむくりと頭を上げる。
「あ……買い物行くの忘れてた!」
今日は突然姉さんもついてきたからな。
あと料理のレシピを探したり、俺の太ももでもにょもにょしたりと忙しそうだったし。
「スーパーとか行くなら付き合うよ」
時刻はまだ十七時半を少し過ぎたところだ。今から買い物へ行けば、夕飯の支度には十分間に合うだろう。
「ありがと。ちょっと冷蔵庫を見てくるわね」
麗奈はまだほんのりと赤い顔のまま微笑むと、立ち上がってキッチンへ向かった。
直後、カチャリと音を立ててリビングの扉が開いた。
「ただいま」
おっさんだ。無精髭に、ネクタイを少し緩めたいかにもくたびれたスーツ姿だ。
最近よくエンカウントするなぁ。出現率高くない? この人の家だから当たり前だけど。
帰宅した一家の主に対し、俺たちはそれぞれ挨拶を返す。
「あ、お父さんお帰りなさいです」
「お父さんお帰りなさい」
「おっさんお帰りー」
「お帰りなさい」
「何か増えてねえか!?」
おっさんは室内を見回すと、ソファの中央にいる姉さんのところで視線を止めた。
「……その子は?」
「この人は歩君のお姉さんですよ。はいどうぞ」
「ありがと」
ちょうどキッチンから戻ってきた姫奈が、バニラアイスを一本姉さんに手渡す。
「歩の姉ちゃんだと? それにしては随分可愛らしいじゃねえか」
「それ、そっくりそのままお返しするよ」
あんたの娘は男子たちに大人気の美少女だし、去年だけで何十回も告白されてるんだよ。あと姫奈も超可愛いし。
「こんにちは。初めまして。歩の姉の葵です」
姉さんがペコリと頭を下げる。
「おう、こりゃどうも。こんにちは」
おっさんも丁寧に頭を下げた。
この親父、俺のときと随分態度が違うな。それにあのときのような怒りや警戒心もない。増えたのが男じゃなく、無害で大人しそうな女の子だったからだろう。
「で、今日は何で姉ちゃんまでうちに来てんだ?」
「姉さんも一緒にご飯を食べたいって言うから」
「あぁ!? てめえら二人して晩飯タカリに来たのか!?」
「そうです。ありがとうございます」
「礼を言うんじゃねえ! まだ許可してねえよ!」
おっと、少々早すぎたか。
「別にいいじゃん。一人増えたって変わんないわよ」
冷蔵庫の在庫を確認し終えたらしい麗奈が、呆れたようにため息をつきながら戻ってきた。相変わらず気前のいい奴だ。
「歩を入れると二人増えてるだろが!」
「歩はいつものことじゃん」
「俺は認めてないんだよ!」
「お父さん、いつも将棋して負けてるじゃん」
「……まあ仕方ないか」
おっさんが急激にトーンダウンしていく。
「だが、それなら今日も勝負してもらおう。もちろんそこの姉ちゃんもな」
やっぱりそうきたか。しかも姉さんも巻き込むのか。
「どういうこと?」
姉さんがアイスをもぐもぐ食べながら、不思議そうに首を傾げる。
「このおっさん、いつも晩飯を賭けて勝負を吹っかけてくるんだよ。将棋で」
「ふーん」
将棋なら姉さんは俺より強いから問題ない。俺に負ける程度のおっさんなら瞬殺だろう。何なら駒落ちでも勝つかもしれない。それぐらい強い。
「じゃあ私はその間に買い物に行ってくるわね」
「俺も一緒に行くよ」
「うん。ありがと」
最寄りのスーパーは徒歩で五分ほどだ。往復と買い出しの時間を合わせても、三、四十分もあれば帰ってこられるだろう。おっさんとの勝負より荷物持ちを優先するべきだ。
「待て歩。今日は人数もいるし、これで勝負しよう」
おっさんが真面目な顔で何かを取り出し、俺たちへ突きつける。麻雀牌だ。真っ赤な文字で『中』と書いてある。だからどこから取り出したんだよ、それ。
「麻雀か」
「おう。これなら同時に二人を相手できるしな」
「あ、私もやります!」
すかさず姫奈が挙手した。お前小学生のくせに麻雀のルールを知ってるのか。
「それはいいけど、先に麗奈の買い物を手伝った方がいいだろ?」
「ちょうどいい。俺に勝ったら今日は特別に寿司を取ってやろう。食えるのは俺より点数が高かった者だけってことでどうだ? そして歩、お前が負けたら麗奈はお前にはやらんぞ」
「「乗った」」
俺と姉さんの声が重なった。寿司を食べられるならやるしかない。高くつきそうだが、おっさんが言い出したことなので仕方がない。
「お父さん、気が早いわよ……」
麗奈が頬を赤く染めて呟く。お前また本物の恋人の気分になってないか? このままいつの間にか本当にゴールインとかしてしまうんじゃないだろうか。
おっさんは「ちょっと待ってろ」と言い残し、部屋を出て行った。
数分後、部屋着に着替えて、嬉しそうに麻雀セットの箱を抱えて戻ってきた。普段は面子が揃わないし、娘二人も遊んでくれないもんな。
「ふふっ。越後の龍と呼ばれていた俺の実力を見せてやる」
おっさんはにやりと笑みを浮かべた。
それ上杉謙信じゃねえか。この前は『甲斐の虎』を自称していなかったか? 大体何で一人に対して甲斐と越後の両方の二つ名がつくんだ。
というか、何でこの人は余計なフラグを立てるんだろう。




