41話 瑠璃ちゃんのママ【麗奈視点】
私たちがちょうどクレープを食べ終えた頃。
周りを見回していた歩が、通路を行き交う人混みの中に知った顔を見つけたのか、声を上げた。
「麻莉さん!」
……えっ、麻莉さん?
さらりと下の名前で呼んだその響きに、私の思考が一瞬停止する。
瑠璃ちゃんのママのことだよね? 近所の奥さんを下の名前で、しかも親しげに? 怪しい。怪しすぎる!
私の胸に、得体の知れないざわつきが広がる。
呼びかけに反応した一人の女性へ、彼は気心の知れた様子で、「こっちこっち」と手を振った。
「あ、ママ!」
歩のそばで安心しきっていた瑠璃ちゃんも、その姿を捉えるなり、弾かれたように駆け出していく。
母親の方も、必死の面持ちで我が子を探し歩いていたのだろう。瑠璃ちゃんの姿を認めた瞬間、その表情に深い安堵の色が広がった。
彼女は膝を折り、胸元へ飛び込んできた小さな体をぎゅっと抱き止めた。
そんな2人の元へ、歩はやれやれというように歩み寄っていく。
私は一歩遅れて、疑惑に満ちた探るような視線を向けながら、彼の後を追った。
「歩! ありがとね。瑠璃を見つけてくれて!」
麻莉さんは瑠璃ちゃんを抱きしめたまま、歩へ満面の笑みを向けた。
……えっ、嘘でしょ。この人が、瑠璃ちゃんのママ!?
艶めく栗色のショートヘアに、零れ落ちそうなほどぱっちりとした大きな瞳。高校生だと言われても全く違和感がないほどの、驚くべき童顔の持ち主だ。……まさか10代じゃないよね?
というか、この人も歩のことを名前で、しかも呼び捨てにしてるんだ。
「うん。まあ偶然会っただけだけどね」
「そっか。でも良かった!」
麻莉さんは歩に柔らかく微笑んでから、腕の中の瑠璃ちゃんへと視線を戻した。
「こら、駄目じゃない。勝手にうろうろしちゃ。心配したんだよ」
「……こめんなさい」
瑠璃ちゃんはしゅんと肩を落とす。どうやら、好奇心に負けてお母さんの手を離してしまったらしい。やっぱり子供ってうろうろしちゃうんだ。
娘を優しく諭し終えた彼女の視線が、歩のすぐ後ろで所在なさげに控えていた私へと移った。
「えーっと…………それで、そっちの子は……」
「あぁ、この子は、俺の彼女だよ」
麻莉さんは「えぇっ」と弾かれたように目を見開いた。
「歩、彼女出来たの!?」
「うん、まあね」
「えー、おめでとう。物凄い美人じゃん……あ、もしかしてデート中だったの?」
「そうだよ」
2人の空気感も、何だか遠慮のなさを感じる。……この人、本当に歩と仲が良いんだ。
「そっか。あなたも……えっと……」
「あ、麗奈だよ。で、この人は瑠璃の母親の麻莉さん。近所の神社の巫女さんなんだ」
「どうも。初めまして」
歩に紹介され、私は軽く頭を下げて会釈をする。へー、神社の巫女さんなのか。歩がよくお参りに行くとか?
こいつの場合、神社で祈るより、教会へ行って懺悔でもした方がいいんじゃなかろうか。私を騙したり泣かしたり、色々前科があるでしょ。
「うん、よろしくね! 麗奈ちゃんもデート中なのにありがとね」
「あ、はい。全然大丈夫です」
明るくて、屈託なく笑う、可愛い人だ。
そんな挨拶を交わしていると、瑠璃ちゃんが何かを思い出したようにハッとした表情になり、麻莉さんの服の裾を引いた。
「ママぁ、この人、歩お兄ちゃんの恋人だって」
「うん、そうだね」
麻莉さんが瑠璃ちゃんに微笑みかける。
「歩お兄ちゃんは、瑠璃の将来の旦那さんじゃないの?」
しかし、その無邪気な問いかけが投下された瞬間、麻莉さんの表情がピタリと固まった。
あ、この人、自分が瑠璃ちゃんに言ったことを忘れてたっぽい。
「うーん。瑠璃も頑張らないとね! 歩お兄ちゃん、女の子にモテるから。勝てばお嫁さんになれるよ」
……何だって? 今聞き捨てならないことを聞いたような気がするんだけど。まさか、私と瑠璃ちゃん以外にも女がいるのか!? この男、一体何人の女を誑かしてるの!? これは彼女として後で徹底的に尋問しないと!
瑠璃ちゃんはまたガーンとショックを受けたように顔を歪めている。頼みの綱だったママに、無責任な応援をされるだけという突き放しを食らったのだから無理もない。
歩はといえば、呆れたように眉根を寄せ、2人を眺めている。
瑠璃ちゃんは麻莉さんの腕からするりと抜け出すと、潤んだ瞳で歩の手を取った。
「歩お兄ちゃん……瑠璃じゃ駄目……?」
歩は困り果てたように眉を下げてその場にしゃがみこみ、彼女と視線を合わせた。その瞳には、年下を慈しむような優しい光が宿っている。
「ううん、駄目じゃないよ」
おい。
「でも瑠璃はまだ子供だろ? 幼稚園に好きな男の子とか居ないのか?」
「瑠璃、歩お兄ちゃんがいい」
「「マジか」」
歩と声が重なる。そんなにこの男がいいのか?
私の幼稚園時代のことを思い返してみるが、こんな幼い頃に高校生の男の子を好きになるなんてことは全くなかったな……というか、砂場で泥団子を作ったような記憶しかない。
歩は瑠璃ちゃんの頭を優しく撫でながら、助けを求めるように麻莉さんへ視線を投げた。つられて、瑠璃ちゃんも縋るように母親の方を振り返る。
「ん? 何? 私なら全然OKだよ! 頑張れ瑠璃!」
おい、こら巫女。
幼稚園児に一回りも年上の相手との結婚を焚きつけるなんてどんな親だ。大体、現役の彼女である私を差し置いておかしいでしょ。これはもう戦争ね。
再び、瑠璃ちゃんが歩の方を向く。
「歩お兄ちゃん……」
「わかった。じゃあ俺がこのお姉ちゃんに捨てられたら、また一緒に考えようか」
「人聞きが悪い!」
思わず突っ込んでしまった。
というか、何であんたが被害者みたいな顔をしてるのよ! 被害者面して泣くのは私の特権でしょうが。
「歩お兄ちゃん、捨てられるの? 可哀想……」
「だろ? 酷いよな」
「酷い!」
「ちょっと! 私が悪女みたいになってるじゃない……ほら、瑠璃ちゃん、私のこと超睨んでるし!」
瑠璃ちゃんが、まるで最愛の人を虐める魔王でも見るような鋭い視線で私を射抜いている。完全に悪役のポジションに据えられてしまった。魔王はこいつだってのに。
「はは、まあそんな感じで。俺たち、もう行くよ」
いや、全然そんな感じで終わらせていい雰囲気じゃないんだけど。何一つ納得がいかない。
「あぁ、うん。デート中だもんね。私たちも買い物に戻るよ」
「じゃあ、また。瑠璃もまた遊ぼうな」
「……うん」
瑠璃ちゃんは名残惜しそうに、小さな声で頷く。その視線はまだ私のことを「歩お兄ちゃんを捨てる悪い女」として認識しているようだ。何でよ……
「麗奈ちゃんもまたね。機会があったら昔の歩の話でも聞かせてあげるよ!」
「えっ!」
昔の歩の話!? ちょっと聞きたい!
「ぜひお願いします」
「やめろ。どうせ変な話ばかりして笑い者にするつもりだろ」
「そんなことないよ。可愛い話もいっぱいあるよ」
「そのことを言ってるんだよ!」
「ぜひお願いします」
私は頭を下げ、麻莉さんに念を押した。
「うん。じゃあね! 行くよ、瑠璃」
「嘘だろ?」と表情を強張らせる歩をよそに。
麻莉さんは満足げに微笑むと、瑠璃ちゃんの手をひいて、人混みの向こうへと去っていった。




