第八話
——あれから、おっさんたちは黙々と階段を登り続けた。
雨も風もない塔の外周階段。変わるのは、目にするモンスターと、その“おかず”だけ。
217階:蜂の巣型モンスターの中に、メープルバター入りのクロワッサンを発見。蜂がカリカリだった。
631階:背中が鉄板のカニに遭遇。甲羅の上でパエリアを炊いて宴。
1205階:スライムに取り込まれて、ゼリー状のポトフを吸い込む羽目になる。
3131階:天井からぶら下がる怪魚の口内が、絶品トムヤムクンの鍋になっていた。
6000階あたり:おっさんが太ももをつり、テティスが軽く担いで歩くようになる。
——そんなこんなで、塔を登り始めて幾日めか…
【9999f】の刻印を見つけたとき、
3人はしばらく、無言で立ち尽くしていた。
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ようやくか…と扉の前に辿り着き、煙草に火をつける。
ずいぶんとかかった気がする。
序盤の頃は、一日に50階。
というなんとなくのノルマを着て歩いていたが、
だんだん進みは遅くなり、休日も増やした。
高度が上がってる感覚はとっくに消え失せ、
景色は写真のように止まったまま。
唯一モンスターだけはヘンテコなので、道具や子供達と工夫を凝らし戦ってきたが、
いかんせん「飽きた…」
もしこれが、古代のドワーフの「試練」だとして、
子供一人にこんな工程…
頭がどうかしているだろう。
ゲロかかって滅んだのも頷ける。
前世も日々現場作業で、毎日一万歩程度は歩いていた気がするが、
現場をウロウロする歩数と、
半日近くウォーキングするのはだいぶ違う。
しかもオール階段。
そういや…
帰りどうすんだこれ?
ウインチとかのレベルじゃ無いぞ。
手すりも無い石の外周階段から、下を見る。
もう雲も下過ぎてみえないし、
かといえ上に宇宙が見えるわけでも無い。
トゥエラとテティスは、何度か作業服を新調してやってるが、
不思議と、靴は汚れてすらいない。擦り減りもない。
対しておっさんの足元は——
何足目かの安全靴が、今日もギュウギュウと鳴っている。
踏んだ段差の数だけ、底が減ってる。
いろいろな思惑が浮かんでは消えるが…
何もかも今更だ。
登らないという選択肢もあったわけだ。
まぁトゥエラの顔をみてれば、
その選択は無かった。
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一服を済ませ、
扉を見れば…
今回はやけに豪華だ。
謎金属製の重厚な戸は、
上部が檻の様になっていて内部が望める。
部屋の広さは今までと変わらないのであろうが、
それが狭くなった様に感じる。
ほどの大きな熊。
ぱっと見でいうなら、ジャンボジェット機?
それが…
以前頂いたチキンライス…
ではなく金色の鮭。を口に咥え、
じっとこちらを睨みつけていた。
動かない。だが、その双眸は明確に——こちらを捉えている。
静かな殺気が、格子越しに漏れてくる。
ぽつりと、口を開く。
「……ずねーんでねんでねえの?」
まるで天井に向けるような、小さな声。
だが、確かに届いた。
格子の向こう、熊の眼が細められる。
沈黙が、塔の空気をさらに重くする。
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おっさんは準備を始める。
今までの化け物もデカいのもいたが、
これは別格。
簡単ではない。
巨大…
デカい物の解体…
経験に思いを馳せる。
数えきれない数多の現場を巡った。
造るだけの場合も多いが、
壊してから造ることも。
そして、鉄扉を押す。
後ろに控える娘達も緊張している様だ。
大丈夫。
段取りは全て終わった。
興奮した熊の動きは早い。
瞬きをしていればその首が無くなるだろう。
まずは散会、狙いを絞らせない。
トゥエラは左手
テティスは右手へ
壁沿いに走る。
俺は…部屋の外にセットしたコンプレッサーから伸びたホース。
その先に装着した釘打ち機を構え、撃つ。
バス、バス、バスッ……!
コンプレッサーの唸りとともに、
連射された釘が、熊の肩、腹、脚へと次々に突き刺さる。
だが——
こんなもの、奴にとっては割り箸のトゲ程度だろう。
ぶっとい毛皮を掠めただけで、すでに釘は曲がっていた。
それでもいい。
視線は、もらった。
熊の目がギラリと光る。
殺意のベクトルは、今や完全に“俺”を捉えていた。
——よし。
トゥエラとテティスは、その間に——
それぞれの「役割」へ向かって動き出している。
鉄砲は撃ち続ける。
効かなくてもいい。
鬱陶しければいい。
ゆっくりと近づきつつ、
ちくちく妙な痛みを与える俺に、
熊は咆哮を上げる。
ゴアァァァァァァッ!!
生臭い息が部屋に充満し、咥えていた鮭も取り落とす。
腕を振り上げ俺に向かい爪を振りかざす。
まるで壁だ。
二階建てのアパートが
特急電車の速さで
迫ってくる。
あと1秒くらいで俺はミンチになるだろう。
ソコに俺はもう居ない。
娘達が間に合った様だ。
熊を遥かに越える高さに跳躍した俺は…
腰袋から召喚した、魔法の絨毯に飛び乗り、
墜落事故防止用ネットを投網のように投擲する。
新築マンション一棟分くらいの在庫を全て。
所詮ナイロン製の頼りない網だ。
人間の落下くらいは受け止めれる。
その程度の代物だが、数も暴力のうち。
網目も見えないほど真っ白に染まる熊。
俺が、熊の一撃を避けられたカラクリ。
それは、直前に娘たちに託した一本のトラックシート用ゴムバンド。
それと、熊の進行方向に“ふわっ”と置かれた一本の単管パイプ。
ギチィッ!
溜め込まれた張力が解き放たれた瞬間——
俺の身体は、スリングショットのように射出された。
ドンッ!!
気圧すら蹴り飛ばすような速度で、熊の爪を真下に見下ろしながら上空へ。
「ハハッ……やっぱ段取りって大事だわ」
もがくほど絡まる熊。
破ろうが千切ろうが、もうろくに身動きは出来ないだろう。
コンパネで娘達を迎えに行き、乗せる。
あとは上空から…
河川を落とす。
前世、大雨による洪水被害を受けた、
福島県。
その復興工事中に堰き止めておいた
川の水。
なんでこんな物が腰袋から出るのか?
それは…
俺が工事の為停めた水。
在庫だからなのだろう。
水は部屋の天井付近まで溜まり
俺たちはコンパネの上で休憩。
牧場ソフトクリームと
ビスケットを振る舞う。
塗ってたべると甘じょっぱくて美味いらしい。
…囂々《ごうごう》と、
恐らくだが水は排出されているであろう。
俺たちが入って来た扉から。
煙草を吸い、焼酎を呑んでも、
待ち時間というのは長い。
1日の作業はあっとゆうまに終わってしまうのに、
何かを待つ、無作業時間は果てしない。
横たわる俺の無精髭を娘達が引っ張ったり抓ったりして遊ぶ。
うとうとしたり、急に梅サワーを呑みたくなったり…
かくして、水は無くなった。
熊は死んだ。
鮭も動かない。
9999階…クリアである。




