第十六話 焼肉食べ放題店・厨房ダクト工事/施工済み/予備保管×12本
おっさんは、ぼんやりと目を開けた。
酸素マスクに手をかけ、恐る恐る──
外す。
……異臭は、しなかった。
生ぬるい空気。
ほんの少し、焦げたような匂いが残っているだけ。
横を見れば──
娘たちが、きゃいきゃいと楽しそうに戯れ合っていた。
「……助かったんだべか……」
乾いた声でつぶやきながら、
おっさんは、よろよろとプレハブの窓へ歩み寄る。
そして──外を見た。
そこには、
地 獄 絵 図 が 広 が っ て い た。
黒ずんだ蟻の死骸が、そこかしこに転がっていた。
カサカサに乾き、ところどころ、煤けたような焦げ跡が残っている。
羽根は焼け縮み、触覚は千切れ、地面には異様な腐臭と薬品臭が漂っていた。
岩肌には、吹き付けた薬剤が乾いてまだら模様を作り、
天井からは、気化した毒液が、ぴちょん……と垂れている。
そこは、生命の気配もない、
ただただ、静まり返った──
『死の洞窟』だった。
そーっと、ドアを開ける。
……音はしない。
アリの足音も、羽音も、何ひとつ。
ただ──空気が重たい。
まだ、澱んでいる。
「害虫駆除のあとは、しばらく臭ぇからなぁ……」
そう呟いて、鼻をすすった。
──うっ。
防毒マスクを着けるほどじゃない。
でも、鼻の奥に残る、あの“苦い”匂い。
灯油とも違う。
金属が焼けたような、薬品が焦げたような──
じわじわと粘膜に染み込んでくる臭気。
「……やっぱ強ぇな、あの薬液」
俺はため息をついて、ゆっくりと歩を進めた。
プレハブのドアを開け、外へ一歩踏み出す。
辺りは静まり返っていた。
だが──
「……なんで屋根の上に?」
見上げれば、プレハブの屋根にも蟻の死骸が転がっている。
俺は苦笑した。
「よく平気だったな、この小屋……」
嵐のような蟻の大軍に囲まれながら、窓ひとつ割れず、壁もへこまず。
まるで、何かに守られていたかのようだ。
手近な死骸にナイフを入れてみる。
カチリ。
中から現れたのは──赤黒く光る、楕円の魔石。
「……やっぱりな」
そっと魔石を手に取り、まるで壊れ物を扱うように──腰袋へとしまい込み、娘たちの手を引く。
「帰るぞ。坑道の入り口までな」
「はーい!」
リフトでゆっくりと上昇し──
俺たちはようやく地上近くまで戻ってきた。
「遅くなったな。腹減ったかー?」
トカゲは、まるで犬の伏せをしたような姿勢で項垂れている。
「おお……ちょっと情けねぇ顔してんな、お前」
笑いながら、生肉の塊を投げる。
パクッと食らいつくと、尻尾だけ小さく振っていた。
俺たちは簡単にうどんを作り、静かにすすった。
「……これで、しばらく安全に採掘できるのかねぇ」
薬剤の異臭は、地上近くまで上がればほとんど感じられない。
だが坑道の奥は、まだ当分ヤバそうだ。
「換気、いるな……」
そう呟いて、俺は腰袋から紙のメモを取り出す。
──“焼肉食べ放題店・厨房ダクト工事/施工済み/予備保管×12本”。
(あー……あのときのやつか)
かつて新築で施工した、焼肉店の排気ダクト。
発注ミスか、なぜか本数が倍届いて──引き取る先もなく、倉庫に眠っていた代物だ。
「ま、役に立つってことで……」
おっさんは排気用ダクトを呼び出し、
坑道の底まで、どんどん降ろしていく。
そして鉱山の出口まで、うねうねと伸ばす。
地味だが確実な、異世界の“換気工事”が始まった。
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それから数日──
俺たちは一度鉱山を離れ、陽の光の下でのんびりと過ごしていた。
地上の空気はうまいし、太陽は暖かい。
体も心も、少しずつほぐれていく。
「そろそろ……平気だべか?」
鼻の頭をかきながら、俺は空を仰いだ。
毒の充満した坑道も、そろそろ落ち着いた頃だろう。
休暇と称してダラダラと酒ばかりあおっていた日々にも、いよいよ終止符を打つときがきた。
俺は腰袋を締め直し、装備を整える。
「安全作業で、今日も一日頑張るぞー!」
「おー!」「おー!」
掛け声に合わせて、娘たちも元気よく返してくる。
かくして──
再び“親子探検隊”、坑道へ出発である。




