第十五話 『クロルピリホス系』の強烈な殺虫薬
カセットボンベじゃ心許ない──
そう判断した俺は、倉庫から一升瓶サイズのLPガスボンベを取り出した。
背負えるようにハーネスで固定し、背中に装備。
「……ガチ装備、整ったな」
自撮り棒くらいの長さのロングリーチバーナーを手に取り、
娘たちにも、小型の照明ヘルメットと安全靴を再装備。
「それでは……洞窟探検ごっこ、始めまーす!」
「いえーい!」
「わたしも燃やすのです!」
テンションだけは絶好調の娘たちを引き連れ、
おっさん、まさかの親子火炎放射部隊として、横穴の先へと歩みを進める。
湿った岩壁に炎の反射がゆらりと揺れ、
埃まじりの空気が、ほのかに焦げた匂いを混ぜはじめた。
スライムは、そこら中にいた。
天井にも、床にも、壁にも──ぬるん、とした気配。
サッとバーナーを当てれば、パァン!と破裂して、
中から小さな魔石のコアをポロリと残す。
「……楽なもんだな」
飛びかかってくるわけでもなし。
意思があるふうでもない。
ただ、そこにいるだけ──ぬめぬめと、無気力に揺れている。
「この魔石……いったい、何に使えるんだか……」
拾っては土嚢袋に放り込み、慎重に、ゆっくりと歩みを進める。
道中、見つけるスライムのコアは、それぞれ微妙に違った色をしていた。
赤っぽいもの、青白いもの、濁った緑色──
どれもどこか、くすんでいて、不気味な輝きを放っている。
おっさんはため息をひとつ吐き、
ひとつひとつ確かめるように、袋へと放り込んでいった。
──楽すぎる仕事は、いつもろくなことにならない。
胸の奥に、じわりと不安が滲む。
ラジコンカーを先行させつつ──
俺たちは、その後をゆっくりとついていく。
バーナーを構え、足元を確かめながら、慎重に。
……とはいえ、集中力にも限界がある。
暗い穴蔵の中、同じような風景を延々と歩き続ければ、そりゃあ神経も磨り減る。
「そろそろ戻るか……」
ぼそりと呟き、拠点の方向をちらりと振り返った──そのとき。
携帯の画面が、
プツリ──
と、唐突に暗転した。
「……は?」
目を瞬かせる。
回線切れ?
電池切れ?
そんなはずはない。まだバッテリーは十分あった。
妙な胸騒ぎに、俺はバーナーを握り直した。
背後の娘たちも、ピタリと足を止める。
闇の中に──なにか、いる…
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カサリ……カサ、カサカサ……
乾いた音が、奥の闇から微かに響く。
「……なんか来るな」
俺はすぐさま娘たちを後ろに下がらせ、腰袋に手を伸ばす。
釘打ち機、チェーンソー、スプレー缶に点火棒──
いざというときに、咄嗟に使える“戦闘用工具”を並べる。
そして──
ズン……ズン……と、地響きにも似た振動。
やがて、穴の奥から姿を現したのは──
蟻だった。
「……相変わらず、でけぇな」
俺は思わず唾をのむ。
全長はたぶん2メートル超え。
黒光りする外殻、うねるような脚。
どっしりとした存在感と、妙に艶めかしい曲線。
たとえるなら──
ハーレー。
ゴリッゴリのカスタム車両を、虫にしたようなフォルム。
そしてその視線は、確かにこっちを“獲物”と認識していた。
「……やべぇな、これ」
俺は汗ばんだ手で、釘打ち機を構えた。
話など通じるわけもない。
なら──
「先手必勝だッ!」
俺は構えていた釘打ち機のトリガーを引いた!
バスバスバスバスバスバスバスバス!
三寸の尖った釘が、怒涛のごとく発射される。
空気を裂き、火花を散らし、一直線に──巨大アリの装甲へ。
ガンッ! ギィッ! バシュッ!
数発は命中し、数発は装甲の硬さに弾かれ、数発は床に突き刺さった。
「……効いてるか!?」
どうやら致命傷には至らないようだ。
だが──
アリは身をよじり、甲高い音を立てて、後退した。
「あ、嫌なんだ……? 釘、嫌なんだ……!?」
少しテンションが上がるが、すぐに油断は捨てる。
「こりゃあ、数が来たらシャレにならんぞ……!」
俺は娘たちをチラリと見やりながら、次の対抗手段を探り始めた──。
蟻が見えなくなったのを機に、
俺たちは全力で撤退した。
拠点まで戻ると、どっと疲れが押し寄せる。
現場用の映画監督みたいな折りたたみ椅子に、ぐったりともたれかかる。
その背中に──
ふわりと、小さな手の感触。
「おとーさん、おつかれさま!」
「がんばったです!」
愛娘たちが、懸命に肩を揉んでくれる。
「……あんちゅーだっぺねぇ……」
思わず、情けない訛りが漏れた。
どうしたもんかと、俺は項垂れる。
蟻が追ってこないのを確認し、
俺は腰を下ろして、コーヒーを淹れた。
ふぅ、と一息。
煙草を咥えたまま、ぽっかりと開いた横穴を睨む。
「……火山のときの経験でも、活かしますかねぇ」
そう呟いて立ち上がる。
作業開始だ。
計30ヶ所ほどあった横穴を──
最後のひとつを残し、すべて封鎖する。
骨組みは、突っ張り棒の原理で角材をキツめに組んでがっちり固定。
その上から気密テープを張り巡らし、さらにコンパネを貼り付けて密閉していく。
娘たちも手伝ってくれたが、それでも半日がかりの作業になった。
「……ふぅ、疲れた……」
俺は、封鎖していない最後の穴の前に立つ。
思い出すのは、昔やった住宅工事のことだ。
シロアリ駆除作業のとき。
床下に潜って──ポンプで薬剤をぶっかけた。
あのとき使った、
『クロルピリホス系』の強烈な殺虫薬。
現場じゃ「これ撒けばゴキも白蟻も一発だべ」とか、
冗談半分に言ってたけど──
ホントに効いた。
俺は腰袋から、異世界版・化学品セットを召喚する。
•【クロルピリホスっぽい農薬】
•【溶剤系の灯油っぽい油】
•【噴霧器】
「よし、やるぞ、まぜたろう!」
ドシン!
まぜたろう(自立式攪拌機)が召喚される。
いつもの混ぜるだけのバカ力。
頼りになるぜ。
中に薬液をドボドボ投入──
農薬原液+油をぶち込んで、攪拌。
グオン、グオン、グオン!!
混ざり合う薬品と油。
工場みたいな強烈な刺激臭が立ち上る。
ゴーグルと防毒マスク必須。
(マジで……死ぬ匂い……)
昔、駆除現場で間違って防護服破ったヤツが、
即日搬送されたっけな……
笑えなかった思い出が、脳裏をよぎる。
「よっしゃ、完成!」
できたのは、リアルな「バルサン」もどき。
いや、バルサンなんか生ぬるい。
半径数十メートルを更地にできるレベルのヤバさだ。
ディスペンサー(噴霧器)に薬液を詰め込み、
最後に残した小さな穴の前に設置する。
「いっくぞ!」
起爆ボタン、オン!
ゴオオオオオッ!!!
噴き出す白煙とともに、
異様な薬品の匂いが洞窟内へ吸い込まれていく。
最初は静かだった。
だが──
カサカサカサカサカサカサカサ!!!
音が一気にデカくなる!!
「……来るぞ!!」
俺は娘たちを後ろに下がらせ、腰袋から釘打ち機を引っ張り出す。
そして──
ドドドドドド!!
穴から、黒い大群──巨大アリたちが、溢れ出してきた。
「ぎゃあああああああ!!」
「おとーさん、やばい!!」
「ダッシューーー!!」
俺たちは、叫びながら拠点へ猛ダッシュ。
ズザァァァ!!
ドアを閉めて、窓を閉じて、空気漏れ防止!
中に酸素ボンベを引っ張り出して、
防毒マスクを被ったまま、酸素を必死に吸い込む。
ズリュズリュズリュズリュ──
外ではアリたちが、拠点を這いまわっていた。
そのまま、数時間──
そして、数日間──
俺たちは、簡易テントの中でゴーゴーと酸素ボンベを回しながら、
気を失うように昏々と眠った。
(……なんで……俺、こんなことしてんだ……)
朦朧とする意識の中で、
かつてシロアリ駆除の床下に潜ってたあの日を思い出しながら、
おっさんは静かに、そしてしみじみと後悔するのだった──。




