相合傘 17
ロッドと黒江の決闘は、田ノ上道場の、屋外稽古場で行われた。杭とロープで結界を張った、百三十平米ほどの試合場の中で、今も向かい合っている。
ロッドは白の着長に白の袴、対する黒江は、白いシャツに、濃紺のパンツ、防具、という訳では無いだろうが、シャツの上に、綿入りのベストを着込んでいた。
黒江の背後には、ロープを握り込み、彼ををじっと見つめるズゥロ。
ロッドの方に、付添い人は居ない、昨日の内に、道場は解散してきたのだという。
服装からも、まるで切腹するかの様な、覚悟の程も見て取れるのだが。どこか、両者の間には、諦観というか、退廃的な空気が、流れていた。
「両者、前へ」
結界の外に、椅子を並べて座るアドルパスとマイヨハルト、それぞれの隣に従者二人が、傘を差して控えている。御用猫は結界の中で、仕切りを務める事になっていた。
少し降り出した雨の為に、道場の軒まで下がった田ノ上老と、その他の面々も、声を発する事なく見守るのみである。
「始めい」
ぱん、と御用猫が手を振り下ろすと、二人は長剣を引き抜いた。
ロッドの方は、やや大振りな剣、黒江は、標準的な剣であったが、構えの方はよく似ている、そういえば、かつては同門であったか。
(これは……)
御用猫は、心の内で、自らの不明を恥じた。
構えた瞬間、黒江の気配が変わったのだ。
道場型剣士などと、とんでもない、確かに、ロッドと黒江は同格の実力者だ。
いや、むしろ、どちらかと戦え、と言われたならば、迷わずにロッドを選ぶかも知れない、こうして横から観ているだけで、黒江の強者たる気配は、充分に伝わってくる。
「ちぇい! 」
先に仕掛けたのは、ロッド ドロレス。
鋭い突きから、流れるように、打ち、払い、距離を取って構え直す。
その戻りに合わせ、黒江も突き込んだ。
まるで型稽古のようであるが、一歩間違えば、たちまち、命を落とす。
真剣での、本気の、立ち合いなのだ。
そして、真剣勝負というものは、往々にして、幕切れは呆気無いものである。
片手を伸ばして距離を稼いだロッドの突きが、黒江のベストに絡み付いたのだ。
肩口で一瞬、引っかかり、無防備な腹を晒してしまう。
間合いが近過ぎた為、黒江は長剣のガード部分を刺し込む様に、ロッドの胸を叩いた。
近間からであったが、予想以上に強い当たりだ、肋骨が折れただろう。
がくり、と膝をつき、胸を押さえてロッドが呻く、勝負あったのだ。
「先生! とどめを! 」
ロープの外から、ズゥロが叫ぶ。
黒江は長剣を振りかぶり。
ロッドは顔を上げ、それを受け容れた。
その表情に恐れは無い、満足気ですらある。
恐怖に震えたのは、黒江。
ぶるぶると、道場の軒先から観戦する者達にも見て取れる程に、身体を震わせ、何事か呟いている様子だったのだが。
「できぬ、できぬできぬ! 」
剣を振り上げたまま、滂沱の如く、涙を流し始めたのだ。
「サルティン、良いのだ……私は待っていた、腹も切らず、逐電もせなんだは、お前に斬られる為、だったのだから」
「できないよぅ……あなたを、斬れないよぅ……」
遂に長剣を取り落とし、黒江は膝をつくと、両手で顔を覆い、嗚咽を漏らす。
「サルティン……」
ロッドが、黒江に手を伸ばそうとした時。
「裏切り者! やはり斬れぬか! 斬れぬのか! 姉よりも、その男を取るのか! 」
結界を乗り越え、ズゥロが飛び込んできた、目は血走り、涙と鼻水、涎と共に罵声を飛ばす。
「ならば、私が斬る! 私が、わたしが! 」
駆けながら、剣を抜き、ズゥロが目指したのは、しかし、黒江であったのだ。
黒江は、気付かない、いや、あえて動かなかったのか。
両手で顔を覆い、伏せたままだ。
「ぐぅっ」
ロッドが痛みを堪えて、黒江を庇うように立ち上がる。
それを見た瞬間、ズゥロの顔は、泣いた様な、笑った様な。
「お前さえ! 居なければァ! 」
ズゥロは剣を振り上げた、素人の様に、力任せに、子供が泣いて暴れるように。
と、その時、横合いから滑るように現れた御用猫が、ズゥロの踵を払い上げると、倒れ込んで暴れる猪を殴り付けて、大人しくさせた。
「決闘は水入りとする! 」
立ち上がり大声で宣言すると、雨だしな、と両手を広げた。
一応、確認すると、アドルパスとマイヨハルトも頷いている。
リチャードを呼び、傘を二本、持ってこさせると、御用猫はロッドと黒江にそれを差し出した。
「この猪が目を覚ます前に、何処へなりと消えちまえよ、また殺し合いがしたいなら、それでも良いけどさ」
さめざめと泣く、黒江の肩を抱き、ロッドは、一本だけ傘を受け取った。
けむる雨の中に消える二人を、皆で見送る。
「どうして、もっと早く、最初からこう、しなかったのでしょうか」
珍しくも歯切れ悪く、サクラが呟いた。
「そうさの、年を取れば取るほどに、色々と、儘ならぬ事が増えてゆくのじゃ、そして立ち竦むうちに、身動きもならぬようになってしまうのよ」
いずれ分かるようになる、と田ノ上老は、サクラの頭を撫でる。
子供扱いを嫌うサクラであったが、確かに、今の自分には、何がどうなっていたのかも、彼らの気持ちも理解できぬ。
ただ、何か心にしこりが出来たような、もやもやと、気持ちが悪い、と思った。
(あぁ、稽古がしたい)
何故か涙ぐむフィオーレは無理だろうか、ならばリチャードを連れて。
そう思い彼を探すのだが、はたして探し人は、傷の無い所為で今ひとつ存在感の薄い、御用猫の隣で、彼に傘を差している。
何やら、思うところがあるのか、少し、表情に憂いがあるようで。
不覚にも、サクラは、どきり、と鼓動を高鳴らせた。
「若先生、あのお二人は、当時から、どちらも、そういった想いを抱いていたのでしょうか」
そろそろ、皆は引き上げ始めていたが、リチャードはまだ動かなかった。
「さあな、ズゥロとも死んだ女とも昔馴染みだったらしいが、少なくとも黒江は婚約したんだ、このままじゃ駄目だと、思ったんじゃ、ないのかな」
「そうですか……僕には、よく分かりませんが」
リチャード少年は、何と言って良いのか、と、暫し口淀んでいたのだが。
「その、少し、いいな、と、思いました」
濡れた前髪から、少し、雨粒を滴らせ、儚げに笑うリチャードに。
御用猫は背を向けて、全力で走り始めた。




