相合傘 14
「私が、剣技指南役ですか?」
黒江は、丸い目をさらに丸くする。
今日の黒江道場には、いつもの、何処かのんびりとした様子は、欠片も無い。
「そうだ、悪い話では無いと思うが、どうだ? 」
その理由は、この男「電光」のアドルパスの存在、に尽きるだろう。
流石に、話の邪魔は出来ぬと、サクラとフィオーレも型稽古にとどめ。
リチャードや門下生達もそれに倣ってはいるが、ちらちら、と上座で圧倒的な存在感を放つ、伝説の男を盗み見ていた。
「僭越ながら申し上げます、先生、お断りしましょう」
坊主頭の猪武者、ズゥロが声を上げた。
門下生達は、ぎょっ、とする。かの「電光」のアドルパスに対して、生意気な口を利いた事に、では無い。
確かに、この師範代は、短気で向こう見ずな所があるのだが、今迄、決して。黒江だけには、意見したり、逆らったりなどしなかったのだ。
黒江もまた、ズゥロを叱ったり、咎めるような事はしなかった。
二人の関係は、義理の兄弟、に、近いものだったのだが、そこには、何かぎこちない、遠慮や不信感のような物が感じられるのだ。
決して、仲が良さそうには思えないのだが、この道場の設立以来、ズゥロは私財と自らの時間を投げ打ち、陰に日向に、黒江を支えてきたのだ。
その男が。
「先生は、その様な真似をしている暇など無い筈です、私との約束は」
黒江は、手を伸ばし、ズゥロを制するが、彼には何を言うでもなく、手を付いてアドルパスに頭を下げた。
「アドルパス様、私などに声を掛けて頂き、もったいなき事ではありますが、このお話は、無かった事にしては、貰えぬでしょうか」
「それは、残念ですな」
横合いから、御用猫が口を挟む。
「この話は、ロッド ドロレス殿からの、強い推薦であったのですが」
手を広げ、大仰に溜息を吐いてみせる、わざとらしい程が良いのだ。
「何だと! 」
ズゥロが立ち上がる、今にも掴みかからんばかりの勢いだが、御用猫は平然と。
いや、むしろ、嫌らしい笑みさえ浮かべて言うのだ。
「最初は、ロッド殿に声を掛けたのですが……昔、黒江殿には世話になっているからと、恩を返したいと、そう、申しておりました」
「巫山戯るな!それで手打ちにしようとでも言うつもりなのか! 」
ついに、御用猫の襟を掴んだズゥロを、黒江が抑えて引き剥がすが、今度は黒江の方に敵意を向けて、怒鳴り始める。
「もうたくさんだ!十年待った!十年以上待ったのだ!私を鍛えると、奴に勝てるまでと!嘘だ!先生は、そんなつもりは無いのだ!姉の仇を、取るつもりも!」
「おい、小僧」
ぐらり、と、ズゥロが傾いた。
「少し、黙れ」
御用猫には、見えなかった、アドルパスが「何か」をしたのだ、ズゥロは膝の力が抜けたのか、両手を付いて、身動きが、取れぬ様子だ。
(これは、抜く瞬間だけに、集中も出来ぬか)
何時もの癖で、自分が戦う場合の模擬想定を行う。
勿論、最善手は、走って逃げる、なのだが。
「黒江よ、これは、俺の不始末でもある、余りに遅過ぎたがな、しかし、あえて聞こう……どうする、どうしたいのだ」
アドルパスの問いに、長い沈黙がおとずれた。
道場は、しん、と静まり返り、門下生達は、固唾を飲んで見守っている。
「……立ち合いを、真剣での立ち合いを、所望したくございます」
がっくりと項垂れたまま、黒江 サルティンボッカは、血を吐くように言葉を零した。
御用猫の目には、見えなかった。
その姿、黒江の姿は、恋人を殺され、敵討ちを誓った男には、見えなかった。
ズゥロの怒りもまた、姉を殺した男に向けられては、いないような。
今も厚く、空を覆うの雲のように。
決壊の日は近いのだ。
この場の誰もが、そう予感していた。




