小説返歌(私も歌人)
私は横ポケットの付いた作業ズボンに作業服姿、その上から安物の紺色の防寒着を着込んでいる。現代人が見るなら一目でブルーワーカーと知れようが車上生活者とまで見抜くかどうかはわからない。文字通りお互いに‘お見合い’をしながら会話は進められた。
「そう…です。新橋、品川と来て…川崎へ至る前の大森駅です」と明治の東海道線の駅順に心を致しながら私は答えた。ついでに「私はその先の横浜に下宿していました。そこでその…車夫をしていたのですが、事情があって止め、宿も払って、今は宿無しのあぶれ者です」と、聞かれもしないのに簡略な身の上まで述べてしまう。ここまで落ちぶれる前私はトラックの運転手をしており、それなら彼女の時代では車夫に近かろうと思ったのだし、横浜でのアパート住居を彼女にわかりやすく下宿と伝えたのである。誰に対しても飾るのは嫌だったし(もっとも飾りようもないが)まして相手が心酔する一葉ならなおさらだった。すさんだ倒錯心理のなせるわざと云えなくもないが、しかし誰かよく信ずるものの前で虚飾に走るだろうか。むしろ有体にみずからをさらけ出し、理解を賜らんとするのではないだろうか。勝手に師匠とも同志ともたのんでいた一葉に斯くみずからをさらすのは、私にとって至極当然なことだった。しかし当の一葉にしてみれば初対面の自分の前であぶれ者などと臆面もなく云い、まして目をすがめてよく見れば、我父母に等しき年配者なる私をはたしてどう思うだろうか。第一私はまだ彼女の‘拙作’「うもれ木」への感想を述べていない。年甲斐もない興奮の中にいるとはいえ非礼だし、何より本郷から大森へのワープに度肝を抜かしているだろう彼女の心の内をまったく慮っていなかった。
「小説返歌」
いみじき世せちなる世とぞ何かせん世に迎へらる我ならなくに
人見れば厭はしく声聞かば憂し手負いの獣牙剝くごとし
風を聞く森の千葉のそよげるを人の世みにくただ風を聞く
―上三首、著者
卯の花のうき世の中のうれたさにおのれ若葉のかげにこそすめ
とにかくも超えるを見ましうつそみの世わたる橋や夢の浮き橋
世の人はよも知らじかし世の人の知らぬ道をもたどる身なれば
―上三首、樋口一葉
※「返歌」とはわが国古来より続く「長歌」の形式で、本文の長歌を和歌一首にまとめたような、あるいは長歌に応じるように詠まれた和歌一首を云うのです。私は小説のほかに和歌を日頃からつくる身ですので、ここではその形式にならってみました。ただ和歌一首ではなく、一葉と(それとは比ぶべくもない拙い)私の和歌それぞれ数首を置いてみました。




