相聞歌を…さあ、何とでござんす?
そんな私の患いまで知ってか知らずか眼前の一葉が私に顔をほころばせて見せてくれる。私の喜びを共有してくれるようなその笑みに、道路側にいるヤクザどもの存在を忘れて、私の顔はだらしなく崩れてしまう。この一葉と、文学を語れることほど私にとって嬉しいことはまたとないのだ。それこそ夜が更けるまで語り合っていたい。目は口ほどにと云うが、そう口にせずとも私の目がそれを彼女に語っていることだろう。更になお嬉しいことにはその一葉自身の目も、表情も「ではどうぞ、語り合いましょう」と云ってくれているがごとしなのである。それはちょうどこの出会いの当初から私が欲していた、図っていた、共有を、彼女もしたがっているとも取れるのだった。もしそうなら、これほどの果報があろうか…。
しかしとは云うものの、実のところ本当にどうなっているのだろう?この出会いの筋書きと顛末のほどは(もしあれば、の話だが)。そして彼女の心の内は。斯く云うわけは始めの邂逅以来ただの一度でもこの超常状態、すなわち本郷から大森への一瞬の内の移動を、その真偽のほどを、確かめたいとか、早く家に戻りたいとかのことを彼女はいっさい口にしていないのだ。いったい何故なのか?聞きたくもあったがしかしそれも出来ずにいた。この奇跡の演出家に対してそれは背任行為にあたると思うからだが、だがそれにしても老婆心を起こさざるを得ない。母上のお滝さん、妹の邦子さんは今頃どうしておられるのか。心配していはしまいかなどとつい思ってしまう。それを云おうか、もし失念しているのなら気づかせてあげようか…実に悩ましいところだった。ただ、こちらも不思議なのだがひょっとして一葉がこちらの世界に、すなわち彼女の時代から数えて百八年後のこの現代社会に、このまま止まってしまうのではないかと心配する気は全然起きなかったのだ。なぜかそれは決してあり得ない気がする。何かの気ひとつで、例えば今にでも彼女はすっと消えて、帰ってしまうことだろう。不思議と確信があるのだった。とにかくそんなことを私が気に病んでいるうちにも、彼女は最前の笑みをたもったまま、なんとこう申し出てくれた。「もしそうでしたら(私が文芸を、和歌や小説をするならばということだ)、いかがですか?さきほどのお礼代わりに相聞でも致したいのですが。自分のことを胸の奥まで判ってもらえることほど嬉しいことはありません。ほんの少しでもお返しして差し上げたい。しかしとは云っても 若輩の私の身ではあなたのことを聞く術もありません。もし和歌でもお詠みいただけるなら、あなたのことを少しでもわかってあげられる気がするのです。御存知かどうか…僭越ながら私も歌塾で師範代をしている身ですので…さあ、何とでござんす?ほほほ」。名作「たけくらべ」の中の、みどりが信如へ心中で迫る折りの名決めゼリフまで使っていただいたりして。まあ、それこそ本当に‘何と’いうことを思いつく人なのだろう。御存知も何も、小説はもとより、私が和歌を始めたのは一にも二にも彼女、一葉の和歌を見たからなのだ。今でも相当数の彼女の和歌を諳んじている。まさに師匠と思うその人と相聞歌を為すなど…それこそ至福の至りなのだが、しかし「はたやはた」でもある。名人とド素人が将棋を指すようなものだからだ。痛し痒しなのだが、しかしここはもう清水の舞台からと思ってやるほかはない。意を決めて「いや、光栄です。私はいままであなたの和歌を手本にしてやって来た者ですから…その師匠に私こそ大僭越なのですが…」と云って暫し黙考し、どうにか一首をひねり出した。彼女が余所衣を脱いでくれたことに感謝しつつ、その誘いとなってくれたものをこそ、私はこう詠んだのだ。「をのこやも我泣きごとを云ひもぞするもばら受けなむ尚泣けよかし、君」と。一葉はその拙歌をはっきりと聞き取り、やおらそれを声に出しては繰り返し、続いてこう受けてくれた。「泣けばこそかかる清しき思ひすれをのこの胸はありがたきかな」。それを聞いていやこそばゆいこと、そうでないこと。嬉しさ余ってそれこそ本当に清水の舞台から飛び降りてしまいたい気持ちにもなる。これ以上云っても仕方ないから云わないが、私にとってこれ以上はないシチュエーションでの、これ以上はない果報なのである。一葉がこの私を、世になさけなさすぎる私を、‘男’として認めてくれたのだった。この嬉しさをお察しいただきたい…。