学園生活の始まり −4−
「アウローラさん、災難ですね」
四時限目の授業が終わった後、ディーノとベルナルドの二人は、アンジェラから職員室に呼び出されて教室を出て行った。
アウローラが自分の席に戻ると、貴族のクラスメイトたちが何人かで机を囲んで話しかけてきた。
「災難?」
「えぇ、あんな育ちの悪そうな平民の面倒を見なきゃいけないんですもの、さっきだって何かひどいことを言われたのでは?」
その物言いは、アウローラの気持ちを汲んでいるように見えて、ディーノに対する身分だけでの侮蔑がはっきりと含まれているのが嫌でも分かった。
「アウローラさんが構うことないですよ。ずっと不機嫌な顔をしているのだし、放っておけばいいんです」
「だいたい、私たち貴族をなんだと思ってるのかしら? それもよりによってアウローラさんを怒らせるなんて、無礼にもほどがあります」
しかしながら、相手の気持ちを知らなかったとはいえ、不用意に話しかけた自分にも非はあったし、一概にディーノだけを責めるべきではない。
それに、まだ半日も経っていない。
相手を理解しようとするのなら、一度見たきりの印象だけで人となりを決めつけるなど愚かしいことだ。
「でしたら、面と向かってあの人に言えばいいんじゃないですか?」
「そ、それはねぇ……」
アウローラの返しに対して、女子たちは目を泳がせて、さっきまでの威勢が消えた。
当人のいないところでの陰口など、聞いているだけで苛立ってくる。
結局、自分自身の主張を明確に伝えることもできずに、こうやって都合のいい代弁者に寄り集まってくる。
この手の人間に、アウローラはうんざりだった。
「どちらへ行かれるのですか?」
「食事に決まってるじゃないですか。それにディーノさんも案内してあげないといけませんから」
もう話すことはないと言わんばかりに刺々しい口調で、アウローラは席を立ち彼女たちを置き去りにする。
「アウローラ、今日は何食べる?」
「僕も行っていいかい? どうせなら、同性いた方が話しやすいでしょ?」
明るい声がかけられ、その声の主がシエルとカルロだと気づくと、貴族の女子たちには見せないような笑顔とともに教室を後にした。
* * *
「さて、先生にきっちりお話を聞かせてもらいましょうか?」
午前中の授業は四時限目で終わり、昼食の時間に入るのだが、ディーノは職員室の前に呼び出されていた。
自分だけではなく、ベルナルドというクラスの男子と一緒にだ。
理由は言うまでもなく、今朝の一件である。
「僕はただ偶然足が出てしまっていただけです。それを彼は意図的に踏みつけました。足の骨が折れてしまうのかと思いましたよ。そもそも子爵家の僕がなぜ呼ばれなくてはいけないのですか? どう考えても咎められるべきは彼だけでしょう?」
おー、痛たたたたと、大げさに足を上げて自分が被害者だというアピールをして、悪意をごまかそうとしているのは見え見えだった。
「で、ディーノ君は」
表情からして、アンジェラもそれを鵜呑みにしているわけでもなさそうだった。
「足を出して座っているなんて思わなかった。気が付いたら踏んづけていたという話だ。それとも、机からはみ出すほど足を開くのが、貴族様が提唱する行儀のいい座り方なのか?」
ディーノがそうベルナルドに返してやると、この場にアンジェラがいなければと言わんばかりに、苦虫を噛み潰した顔で睨みつけてきた。
「ハァ……今回は二人とも注意だけで済ませます。けど! 次に同じようなことがあったら、反省文か職員用トイレの掃除を一週間やってもらいますからね……返事は!?」
『……はい』
「じゃあ、お昼ご飯食べに行っていいよ」
アンジェラに釘を刺されるだけで、今回は解決ということになった。
彼女にとって身分は待遇の差をつける理由にはならないようで、それだけは信じてもいいと、ディーノは胸中で思った。
「おい下民」
アンジェラが去ったのを確認して、ベルナルドがディーノに声をかける。
今までと明らかに違う、自分の方が上の立場であることを疑わない高圧的な口調。
どうやらこっちが本性のようだ。
「今に思い知らせてやる。この由緒正しき学園は、お前みたい薄汚い下民がいていい場所じゃないってことをな。パパがその気になれば、お前なんか簡単に国外追放させられるんだ」
くだらない。
いちいち人を脅すのに、地位や親の名前を持ち出してくる時点で、こいつは自分の中に『芯』のない男だと、ディーノは確信した。
ため息ひとつついて、面倒だという表情だけを返しながらその場を後にする。
後ろで何か続けて言っているようだが、どうでもよかった。
「あっ、いたいたー!」
教室へ戻ろうと廊下を歩いていると声をかけられ、見知った顔が目に入った。
アウローラ、シエル、カルロの三人だ。
「よっ! おつとめごくろうさん♪」
「カルロさん、ふざけないでください!」
馴れ馴れしく近づいてくる二人の一歩後ろを、アウローラが見張るようについてきていた。
「何の用だ?」
授業中ではないのに、わざわざ一緒にいる理由も利点もありはしないというのに、この三人は何がしたいのか、ディーノはわからなくなる。
「ディーノさん。昼食の場所はご存知ないと思いまして、わたしたちもまだですから、案内もかねて一緒にどうかと思って」
「……そこしかないのか?」
「そーだね。持って行けるメニュー頼んで、教室とか中庭で食べる人もいるけど、学食じゃないと頼めないよ」
「じゃあ、案内頼む」
ずっと拘束されているようで億劫だったが、空腹の状態で午後もあんな感じだと思うとやっていられなくなる。
ディーノは仕方なく三人についていくことにした。
* * *
「下民のくせに……下民のくせに! なんだその態度は!?」
ベルナルドは、何も言い返さずに去っていったディーノを思い出し、階段を下りながら腹立たしげに声を張り上げていた。
子爵家の嫡男たる自身に敬意を示さないどころか、足蹴にしたあげく、担任からの叱責まで受ける屈辱を味わわせた男。
ベルナルドは自分のしたことを棚に上げ、ディーノをそう位置付けした。
「なに大声を張り上げているのかしら? はしたない」
「貴族たるもの、もっと余裕を持たなくてはねぇ」
憤慨するベルナルドの前に、二人の学生が声をかけた。
一人はバーミリオンのロングヘアとグレーのツリ目、同年代から見ても抜きん出たプロポーションが印象的な女子。
もう一人は、金色の瞳が目立つ切れ長の顔立ち、銀髪を首の後ろで束ねている絵に描いたような長身の美男子だ。
「イザベラ様、マクシミリアン様」
ベルナルドはそれぞれの名前を呼ぶ。
学友にして、家族ぐるみの付き合いを持ち、自身より上の家柄を持つ彼らに敬称は必須だった。
「しかし、我々貴族の面目が」
「あなたの言いたいこともわかりますわ。けど、少し雑でないですこと?」
「ぐ……」
イザベラと呼ばれた女子は、毛先を指でくるくるといじりながら、からかうように言い放ち、ベルナルドは続きの言葉を失う。
彼女に口では勝てないのは今に始まった事ではないが、あのままのさばらせておくのはいい気分ではないはずだ。
「しかし、どうしろと?」
「あのような真似はやめるべきね。むしろ、圧倒的な実力差を見せつけてやったほうが効果的じゃないかしら?」
イザベラの発案に、ベルナルドの思考は繋がった。
元教師の直弟子とはいえ、実力があるとは限らない。
ましてや、基本であるはずのアルマと製霊さえも知らない体たらくなのだ。
ならばさほどの脅威になりえないことは、三時限目の授業ですでに分かっていることだった。
「それに、あなたも面白くないでしょう? マクシミリアン?」
イザベラがマクシミリアンに話を振った。
「ベルナルドの進退はともかくとして、アウローラがこの僕を差し置いて付きっ切りなのもいただけないのは確かだね」
「それなら話は決まりね。午後が楽しみですわ」
三人は笑みを浮かべながら、踊り場を後にした。
* * *
案内されてきた学生用の食堂は、ディーノの想像以上に広く賑わっていた。
少なくとも、記憶の中にある故郷の食堂と比べてざっと五倍はある。
テーブルは多くの人数が座れる長いものだけではなく、中央には数人でグループごとに座れる円形のものも散見された。
南側は柱を除いてほぼガラス張りにされており、座席の側は今日のように晴れている日ならば、照明がなくても十分な明るさを確保できる作りになっている。
さらに窓の外にも広いテラスの席が設けられているが、さすがに冬の寒さをじかに浴びながら食事をとる生徒は少ないようだ。
五十人近くの生徒が、料理の並ぶカウンターに盆を持った状態で一列に並び、横に移動しながら料理を乗せていた。
「ここでは、皆さん好きなメニューを注文するんですよ」
アウローラから盆を渡されて、手順を説明される。
よく見れば、これでもかと言わんばかりの多種多様な料理が大きな器や皿の上に盛られており、量が減れば新しい皿と取り替えられていた。
「ほらほら、ボサっとしてると時間なくなっちゃうよ!」
シエルに軽く背中を叩かれて、半ば強引に列に並ばされる。
金がかかっていそうだと、一目見て思った。
そして代金を払わなければいけないとして、何をどれだけ頼むかで話が違ってくるだけに、気軽に皿に乗せていくわけにもいかない。
「金はどれくらいかかる?」
ディーノは率直な疑問をシエルに投げかけた。
「お金? 魔術の先生に聞いてないの? 食事代も学費に入ってるんだよ?」
シエルからの返答で、当面の心配ごとはないにしても、ディーノにはさらなる疑問が浮かぶ。
この学園に自分を入れるために、師はどれだけの金を肩代わりしてくれたのだろう? そして、血のつながりもない自分のために、どうしてそこまでしてくれたのだろうと。
「後ろがつっかえちゃうから急いで急いで!」
シエルに急かされて、ディーノは適当にメニューを選んで取っていった。
ペスカトーレを多めに、鶏肉のソテーと野菜スープを皿に取って乗せる。
選び終わったアウローラたちに連れられて、中央側に円形テーブルが空いていたので、そこに四人で座ることになった。
「やっとご飯食べれるよー♪」
ディーノから見て左側に座ったシエルは目を輝かせながら、マルゲリータのピッツァを手づかみで食べ始める。
他にはオレンジ、イチゴ、バナナと言ったフルーツに、パンナコッタの皿と他の二人に比べて甘味が多い。
その様子を、右側のアウローラと向かいのカルロがほほえましく見ながら食べ始めるのに合わせて、ディーノもそれに倣った。
「ところで、ディーノさん。好きなものってあります?」
話しかけてくるアウローラの盆は、アクアパッツァにボンゴレスパゲッティと海産系の料理がしめ、カプチーノが添えられている。
「特別ねぇよ。虫とか野草を食うよりはずっといい……」
「そいつはサバイバルだね」
カルロが食べているのは、オリーブの実やアンチョビの入った赤いスパゲッティ、プッタネスカ。他にもモッツァレラチーズと生トマトのカプレーゼがある。
「さっきも思ったが、ずいぶんと種類が多いんだな」
「そりゃあ多いよ。僕ら高等部、ざっと三百人分まかなわないといけないから」
カルロは軽く言ったが、それだけの人数がここに集まっていると言う事実に改めて驚かされる。
「でも、ここでお昼を食べられるようになると、成長したんだって思えます」
「どういう意味だ?」
アウローラが感慨にふける理由などわかるはずもなく、ただただ疑問符ばかりが頭に出た。
「初等部と中等部は午前中で授業が終わるの。中等部の子だとクラブ活動する時にここでお昼食べる子もいるけどね」
初等部で五年、中等部で三年、そして高等部で五年間、イルミナーレ魔術学園の就学期間になる。
ディーノのように中途入学もできるが、初等部からずっと通っている生徒の方が多いそうだ。
そして、出身地が学園から遠いなど、家から通うのが困難な生徒は中等部から寮に入ることもでき、ディーノも船が着いたその日には入寮の手続きを済ませていた。
アウローラは初等部から、カルロとシエルは中等部から入学したと言う。
それならたしかに、三年から八年の間、ずっとここで食事をしている先輩を見て育っているということになる。
「で、午後も授業が続くのか?」
あの苦痛に耐えるための気構えと鋭気を養っておこうと、こうして食事しているわけだが、これから何をするのか、ディーノはまだわかっていない。
「午後は学園の外で実地訓練だよ。だから、寮に戻って準備しなきゃ」
そう言ってシエルは思い出したように、食べるペースを上げる。
カルロがそれを見つつ黙って席を立ち、水を入れたコップを持ってきてシエルの近くに置いた。
「ん! んん〜……!!」
喉につかえたシエルは胸をドンドンと叩きながら、その水を一気に飲み干す。
もうこうなるとわかっていたようだ。
「それで、実地訓練って何をする?」
ディーノは我関せずとアウローラに質問を続けた。
「これと言って決まってませんが、模擬戦闘や実際の魔獣退治が主ですね。後者は傭兵の方々が請け負う依頼が回ってくることも多いです」
「まさかと思うが……この動きにくい服で行くのか?」
ディーノは今着ている学生服に対しての疑問を三人に投げかける。
おおよそ実戦向きとは言えない格好のままで命を落としたなんてことがあれば、笑い話にもなりはしない。
「ふっふ~ん♪ 実はねぇ制服には秘密があるんだよ」
シエルが楽しげに、そして意味深にカラカラと笑いながら語る。
「この服はですね」
「あー、ちょっと待ってアウローラちゃん。どうせなら本番までのお楽しみってことで♪」
説明しようとするアウローラをカルロが止めに入った。
「それは少しいじわるじゃないですか?」
「僕らが口で説明するよりも、実際みんながやってるのを見たほうが早いってことだよ」
カルロはムキになって反論するアウローラに、なだめながら真意を語る。
ディーノは三人の会話を聞いていてもさっぱり要領を得ない。
この窮屈な服の説明をもったいぶって、一体なんの得になると言いたくなるが、問い詰めたとしても答えは返ってこないだろう。
やがて、料理を全て平らげると、皿を厨房に返却して食堂を去る。
「集合は校舎の入り口、まぁわかるっしょ」
三人と別れ、ディーノは愛剣を取りに寮の自室へを一度戻った。