学園生活の始まり −2−
これが学園というものなのか?
担任教師の後から教室に入ったディーノが最初に抱いた感想だった。
同じ年頃の二十人近い男女の視線が一斉に自分へ向けて集中していた。
「なんだよあの髪の色」
「すごい傷……」
「ちょっとかっこいいかも」
「何言ってんのよ、怖すぎでしょ」
当然ながら、ディーノと同じ黒い髪の人間はいそうにない。
得体の知れない何かを見るような訝しげな表情が大半だった。
「はいみんな静かにして! 自己紹介をお願いね」
どよめくクラスの面々をアンジェラが静止しつつ、黒板に自分の名前を書いてくれていた。
「名前はディーノ。特別話すことは何もない」
ぶっきらぼうな態度で名前だけを名乗ると、クラス中がしんと静まり返った。
気の利いた文句など用意していなかったし、学園にもクラスにもさして興味を持っているわけでもない。
ただ目的を果たせれば、あとはどうでもいいと言うのが本音だった。
「さすがにそれだけじゃ味気なさすぎじゃない? それとも緊張しているのかな? じゃあみんな質問してみようか?」
ディーノが凍らせた教室の空気を和らげようと、アンジェラが生徒の側から対話をさせようと切り出した。
しかし一度悪い方へ転んだ状態を立て直すのはそう簡単なことではない。
ほんの二~三分が数時間にも及ぶと錯覚するような沈黙が続くと思ったその時……。
「はいはいはーい! しつもーん!!」
シエルが跳びはねそうな勢いで手を挙げた。
女子の制服は上着の色こそ同じだが、首に巻いたリボンが赤く、プリーツスカートは黄緑と緑のチェック模様が入っていた。
「じゃあシエルさん」
「どこの学園から転校してきたの? 前の学園はどんなだった?」
「学園には今まで行ってなかった。ずっと師匠の下で魔術を教え込まれていた」
まくし立てるシエルに対して、ディーノは億劫だと言わんばかりに渋々と口を開いた。
「ディーノ君は、ここの先生だった人の紹介で、うちの学園に編入してきたの。基礎的な教養は身についているってことは、その先生のお墨付きよ」
ディーノの返答はアンジェラが補足を加えた。
「その先生ってどんな人ですかー?」
シエルの変えた空気に乗っかるように別の生徒が質問してきた。
「《焔星の魔女》ヴィオレ……」
その名をディーノが口にした瞬間、教室の空気はまたしてもざわついていた。
「ヴィオレって……あのヴィオレ先生?」
「俺たちが初等部の頃に、先生を辞めたんじゃかったっけ?」
「教わろうとした人が、誰もついていけなかったって先輩が話してたの聞いたことあるぜ……」
「ざわざわ禁止! 聞きたいことは直接聞く!」
アンジェラが手をぱん! と叩き一喝する。
(まだ続くのかよ……、こんなめんどくせぇのが学園か……)
ディーノは、まだまだ続きそうな質問攻めと言う名の苦行に、うんざりし始めていた。
「じゃあ僕から質問いいかなー?」
手をブラブラと発言したのは、いかにも軽そうな雰囲気の男子だった。
オレンジ色の髪は跳ねたくせっ毛で、顔はこのクラスの面々では頭一つ抜けて美形、舞台演劇でもやるなら主役を張れそうだ。
やせすぎというわけではないが細身の体型、ディーノより少し背は高く一八〇センチ近くはあるだろう。
「初めて男子からの質問ね。カルロ君」
「ずばり聞くよ……」
カルロと呼ばれた男子生徒は神妙な顔つきに変わる。
(まさかこいつ……)
表情の変化から、ディーノは頭の中で一番されたくない質問の内容を想像する。
この髪と傷のことに触れられるのは嫌だ。
よく見ればクラスの何人かは顔がにやけている。
やはりそう言う人間の集まりにすぎないのかと、見切りをつけて心の中で嘆息したのだが……。
「好きな女の子のタイプは?」
「は?」
一瞬、言葉を失った。
教室に流れる時間が止まってしまった気分だ。
「考えたこともねぇよ……。そもそもなんか関係あるのか?」
最悪の想像とはかけ離れた質問に呆れながら返答する。
「大ありに決まってんじゃん。てゆーか寂しいねぇ、女の子を口説かないなんて、人生の八割損してるようなもんだぜ?」
「それはあんただけよバカルロ!! あんたの頭にはそれしかないわけ!!」
一番激しいツッコミを入れていたのはシエルだった。
「大事なことだよシエルちゃん? どうせなら口説き仲間欲しいじゃないの」
二人のやり取りを見て、先ほどにやついていた何人かがやっぱりと言うような表情を浮かべていた。
どうやらあの二人はこれが日常茶飯事らしい。
『愉快な場所に連れてこられたようだな』
ヴォルゴーレが頭の中で茶化してくる。
正直な話、今の時点で課題の達成どころか、この先やっていけるのかが不安になってきた。
「そこの二人、痴話喧嘩はほどほどにね♪ 時間もないから質問はここまで。ディーノくんの席なんだけど、窓際の一番後ろよ」
「やめてよ先生! あたしが何でこのバカとーっ!」
シエルが真っ赤になりながら否定し、カルロの方はどこ吹く風と言わんばかりに余裕の笑みを浮かべていた。
ようやく解放されると思い、ディーノは言われた席に目をやると、ひときわ目を引いたのは隣に座っている女子だった。
他にも女子はいるはずなのに視線を外すことができない。
「どうしたの? 何か気になる?」
アンジェラに声をかけられて我に返った。
「いや、なんでもない」
素っ気なく返して、ディーノは割り当てられた席に向かう。
机の間を通る自分に対する視線は、まだ人となりがハッキリと分からないことに対しての戸惑い、好奇心、あるいは恐怖、そしてもう一つあった。
真ん中あたりに座る男子の横を通ろうとしたその時、不意を突くように右足を机の外に出してきた。
その顔は無関心を装っていたが、目だけはこちらを見て笑っていた。
どうやら気付いていないと油断しているようだ。
(頭の中はガキと同じか)
黙って思惑にはまってやる義理はない。
ディーノは足を引っかかる寸前で引っ込めて、そのまま勢いとつけて足の甲めがけて踏み下ろした。
「あぐっ!!」
男子生徒は顔をしかめてうめき声をあげた。
「悪いな……。足を出してるとは思わなかった」
ディーノは乾いた声で、口だけの謝罪を相手に送る。
腹立たしげに睨みつけて来ようと関係ない。
向こうだって理由は知れないが、恥をかかせてやろうと言う悪意があることは分かりきっているのだから。
またもざわつく空気の中、ディーノは自分の席にようやく座った。
アンジェラも何か言いたげにこちらを見ていたが、おおよそのことは察したのだろう。
そして、自分だけが糾弾されるのは目に見えたことだと思った。
「ディーノ君とベルナルド君。あとで二人ともお話を聞かせてもらうから」
ディーノはそれを聞いて目を丸くする。
まさか公平な扱いを受けるとは思っていなかった。
「じゃあ一限目の準備してね」
それだけ言い残して、アンジェラは教室から出て行った。
ディーノは改めて隣の席に視線を移す。
「あ、あの……よろしくお願いします。アウローラと申します」
かしこまった口調で名乗ってきたのは、長い金髪が目立つ女子生徒だった。