番外編7 異世界の赴任事情(後)
ぼんやり座っていると、通りの向こうから馬に乗った騎士様がやってくるのが見えました。
いつも交代で様子を見に来てくれる騎士様かと目を向けました。
休暇のついでのせいか、最初はやる気なさそうだった騎士様方ですが、うちのお女中さんの数が増えて行くと無駄に熱心にくるようになったんですよね。でもそれにしては来る時間が早いな……と思っていたら。
家の前で馬から降りた騎士様は、私を見てにっこりと笑いました。
「お久しぶりです。ミサコ殿」
「あ、パスズール様」
私は慌てて立ち上がりました。
膝に乗せていた分厚い計画書とかメモ帳とかが地面に落ちてしまい、慌てて拾い上げます。
その間に馬の手綱を塀にくくりつけ、パスズール様はそばにやって来ていました。
騎士服に第四師団のマントを翻すお姿ですが、今日はお休みのようです。襟から胸元にかけて、軽くくつろげていました。
……うん、いわゆるちょいエロなお姿でした。
「今日がちょうど休みなので直接お伺いに来ました。お仕事中でしたか?」
「えーっと、一応仕事中ではありますが、どうしようもなくなって休憩中です」
「どうしようもないとは?」
パスズール様が目を細めて聞いてきました。
何か不都合があったのかと思ったのでしょう。不都合といえば不都合なので、現在の上司でもある副師団長様の意見も聞いて見ることにしました。
「あの草……だったものなんですが、どう思いますか?」
「……ずいぶん大きいですね」
「大きくする魔法を使ってみたんですが、ちょっと大きすぎる気がするんですよ。でもよく考えたら、私はあの草のことをよく知らなくてですね。あの大きさが異常なのかどうかもわからないんですよ」
「なるほど」
パスズール様は頷きました。
それから、巨大化した草の近くまで行きました。
周囲の枯れ草をながめ、大人の顔より大きい丸い葉に触れました。匂いをかいだり、葉の端をちぎって舐めたり、青々とした幹を軽く叩いたりしていましたが、やがて腰から剣を抜いて、一振りで丸い葉を根元から切り落としました。
それを両手で拾い、肩に担いで持ってきます。
パスズール様が両手で拾い上げたのですから、けっこう重いようですね。葉の厚さは一センチくらいでしょうか。
でもなんだかいい香りがします。花のような香りですが、もっと違う香りがするような気もしますね。
「これは丸葉草です。この辺りでは時々見る草で、昔から雑草駆除に利用されてきたと聞いたことがあります。ただ、明らかに本来の大きさより大きくなっていますね」
「……ではまわりが枯れてしまったのは、この草の元々の特性でしょうか」
「ここまで枯れてしまうのは初めて見ましたが。……それより、この草を選んだ理由はありますか?」
「いや、何と無く目についただけです。ちょっとかわいい姿だったので」
「そうですか。でもなかなかいい選択でした。これを都に送ったら大喜びされると思いますよ」
「もしかして食用の草ですか?」
「ある意味では、食用ですね」
パスズール様は意味ありげに小さく笑いました。
とても楽しそうな笑顔です。目尻に刻まれるシワが何だか無駄にエロく見えてしまって、一瞬どきっとしてしまいました。
でも目をそらそうとすると、非番仕様の襟元から喉とか鎖骨とかが目に入ってしまって、それはそれで心臓に悪いんです。
私が視線をさまよわせている間に、パスズール様は肉厚の葉をくるくると巻いて両手で握りました。
「手を出してください。できれば両手で水をすくうように」
「こうですか?」
よくわからないまま、私は両手のひらを上にして差し出しました。
その上で、パスズール様は巨大化した葉を一気にぎゅっと絞りました。筋肉が大きく動いたので、かなり硬いのかもしれません。
その動きに気を取られかけた時、私の手のひらにポタリと搾り汁が落ちてきました。
最初はゆっくり、すぐにポタポタと増えていきます。
少し粘性のある汁がたまったところで絞るのをやめ、パスズール様はご自分の手をペロリと舐めてから私にも促しました。
「飲んでみてください」
「これを……ですか?」
私は恐る恐る自分の手のひらにたまった絞り汁を見ました。
どこから見ても、葉っぱの汁です。サボテンを搾ったらこんな感じかな、というイメージです。
青みがやや強い緑色で、ちょっとどろっとしていて、泡がそのまま残っていて……端的に言えばかなり腰が引けますね。肉厚の葉の欠片も混じっている気がします。
……いかにも青臭そうな液体ですね。これを飲めと言われて、にっこり笑えるだけの根性はありませんでした。
でも、香りは確かにいい気がします。
それにパスズール様が勧めてくれました。最初にも舐めていましたし、きっと大丈夫でしょう。
女は度胸。あの青い目を信頼せずして誰を信頼する!
ふうっと息をついた私は、思い切って手のひらにたまった青緑色の絞り汁に口をつけました。
まずは舐めるだけ。……あれ?
さらに一口ごくりと飲み込みました。……ほほう、これはこれは……!
思わず目を見開いて青緑色の液体を見てしまいました。
そっと目を上げると、パスズール様は顔を上向けて口の上で直接しぼって飲んでいました。
私の視線に気づいたのでしょう。手の甲で顎を拭いながらにやりと笑いました。
「いかがですか? 口に合いましたか?」
「……美味しいです」
「それはよかった」
「すごく美味しいんですが、これっていわゆる……お酒ですよね?」
「これが丸葉草酒です。ただの絞り汁ですが、この通り極めて美味い酒のような飲み物なので、非常に高値で取引されています。普通はわずかな量しか取れないから蒸留酒と混ぜて飲みますが、これは本物の丸葉草酒ですね」
そうなんですよ。お酒なんですよ。
巨大化したとはいえ、ありふれた雑草の絞り汁はお酒そのものでした。びっくりです。
色はどろっとした青緑色ですが、飲み口は爽やかでした。
口に含むとマスカットのような香りが広がって、まるで甘口のお酒のような味わいでした。でも濃厚な甘さではなく、ごくりと飲み込んだ後に残るのはほどよく辛口の風味。すっきり爽やかです。
甘口の高級日本酒という感じですね。
はっきり言って、最高に美味い。
和風なつまみが欲しい美味さです。
いや、肉料理でもいいですね。個人的には鳥の照り焼きがいい。でも赤身肉もいい。そういうものをつまみながら、きゅーっと飲んだら最高でしょうね。うん。
手のひらに残る青緑色の液体を、ついつい全部飲み干してしまいます。
パスズール様がいるからしませんでしたが、手のひらをぺろぺろ舐めたいくらいです。あとを引くうまさというか、もっと堪能したい香りと言うか。
そんな素晴らしい飲み物が、葉っぱを絞るだけで手に入るなんて。さすが異世界です。植物は色とか外見以外も異世界仕様でした。
しかし思わず飲んでしまいましたが……よく考えるとまだ日は高かったのでした。
まあ、あれです。この丸葉草酒とやらのアルコール度数がどのくらいかわかりませんが、巨大化したことで成分が変わっていたら大変ですからね。
魔法の施工者として、まず自分できっちり見定める必要がありますよね。魔道研究所の一員としては基本です。
ですからもっと飲んでみたいと思うのは、純粋な探究心からですよ。ええ。
「申し訳ありませんが、あの葉っぱを取るのを手伝っていただけますか? 搾り汁をもっと集めて試し飲みしたいのですが」
「いいですよ。どのくらい取りましょうか?」
「そうですね……壺一杯になるくらいかな」
「了解しました」
パスズール様は剣を使ってバッサバッサと切り落とし始めました。
その間に、私はお女中さんたちを呼んで、壺と搾り作業に使えそうな道具を持ってきてもらいました。
お女中さんたちは不審そうな顔をしていましたが、巨大丸葉草のところにいるパスズール様を見つけて、キラリと目を輝かせていました。
「ああ、やっぱりここまで来た甲斐がありましたわ! クヤマ様のところに騎士様あり!」
「パスズール様がいらっしゃるのなら、きっとまた素敵な騎士様方を呼んでいただけるわね! やる気が出て来たわ!」
……なんだかピラニア嬢たちが元気になっていますね。
その元気のままに、丸い葉っぱをどんどん搾ってくれるので丸葉草酒もどんどん完成していきます。
でも完成した丸葉草酒なんですが……どうみても壺五個分になっていました。
いいんでしょうか。
この搾り汁は作り置きが効くのでしょうか。
私が密かに悩んでいると、剣を丁寧に拭き清めたパスズール様が戻ってきました。
「騎士様の大切な剣をこんなことに使わせてしまって、すみませんでした」
「いや、剣の鍛錬になる切り応えだったので、私もつい楽しんでしまいました。少し多すぎたかと思いましたが……報告は受けていましたが、人手がずいぶん増えましたね」
「あ、そうなんですよ! そのことを相談したかったんでした!」
ようやく本来の目的を思いだしました。
丸葉草酒にうっとりしている場合ではありませんでした。
十キロ向こうから私の相談に応じるためにやって来てくれた騎士様を、巨大化草の収穫に使うなんて、なんて失礼なことをしてしまったのでしょう。
しかし、パスズール様の機嫌は良さそうです。
ベンチに座り、作業用に持ち出したテーブルの上にある壺からたっぷりとお椀に搾り汁をついでもらい、私の隣でちびちび飲んでいます。気の利くお女中さんたちは、いつの間にかつまみも準備してくれていました。
さすが、スペックの高い都のお女中さんです。
こんなにお世話をしてもらったら、独身男なんてイチコロでしょうね。世話焼きババアとしての使命感に燃えますよ。
でも、まずはパスズール様に相談です。
来ちゃった……と次々にやってくる都のピラニア嬢たちの話をすると、パスズール様は楽しそうに笑っていました。
男性にとっては夢の状況なんでしょうか。
一歩間違えると、ストーカー的なホラーなんですが。
「私としても、お女中さんがいてくれるのは助かりますし、こういう作業の手伝いとか変な魔法の後片付けもしてくれる人手は欲しいところです。でも、さすがに十人もの雇用は、私の薄給ではなんとも……」
「魔道研究所へは相談していますか?」
「いえ、まだです」
「ではこの丸葉草の巨大化の件と一緒に問い合わせるといいでしょう。魔道研究所で何人か雇用してもらえると思いますよ。それ以外のお女中さんについては……従軍魔法使い殿に快適に過ごしてもらうためですから、第四師団として雇ってもいいですね」
「そうしてもらえると助かります。……あとですね」
私はそっとお女中さんたちを見ました。
美人で気が利くお嬢さん方の目が、ぎらりと輝いています。
その視線に押されるように、私は彼女たちの本命の目的のための相談もしてみました。
「あ、あのですね。砦の独身の皆さんとの合コンとか……可能でしょうか」
「合コン、ですか?」
パスズール様はちょっと目を見開きました。
まあ、普通は驚きますよね。国境警備を何と心得るって感じですよね。
でもですね、私もどうなのかなぁと思うんですが、十人ものピラニア嬢がいらっしゃるわけで、衣食住の全てを握られている身としては逆らえないと言うか、同年代の独身年増として心情が痛いほど理解できると言うか……!
私が心の中で必死に言い訳していると、お休みなのに綺麗にヒゲを剃っている顎に触れながら考えていたパスズール様は、私の心中を読みとったように低く笑いました。
「大丈夫ですよ、ミサコ殿。もちろん都のように夜というわけにはいきませんが、深酒にならない程度なら許可できます。正式には師団長の承認がいるかもしれませんが、問題はないでしょう」
「それはよかったです……」
今度こそ、ほっとしました。
ピラニア嬢たちの視線が和らいでいるのがわかります。
これでしばらく、美味しい料理と心地よい住居を保ってくれるでしょう。私には無理ですから。都仕込みのお女中さんが来てくれて、本当によかったです。
なんとなく放心していると、目の前に青緑色の搾り汁の入ったお椀が差し出されました。
お椀を持つ手をたどって行くと、やや乱れた金色混じりの黒髪と浅黒いお顔がありました。
私と目が合うと、パスズール様は私の手にお椀を押し付けます。そしてご自分でも持っていたお椀を軽く掲げました。
「あなたの仕事も終わり、懸念も解決しましたよね? 夕方には戻らなければなりませんから、今のうちに飲みましょう」
「こんなに日が高いのに、いいんでしょうか」
口元にお椀を持って行きつつ、私は常識的なことを言ってみました。
そう言いつつも、どろりとした色合いを裏切る良い香りに喉が鳴ってしまいます。このままぐいっと飲んだら幸せいっぱいですね。
しかも、この明るい時間に飲む背徳感。
……最高です!
「日が高いからいいんですよ。それに……」
パスズール様もそう言ってから言葉を切り、お椀をぐいと傾けました。
非番仕様で騎士服の前をくつろげているので、ごくごくと喉が動くのがわかります。ただ丸葉草酒を飲んでいるだけなのに、思わず見入ってしまうほどエロいのはなぜでしょう。
あんなにエロいのに、青い目は冷ややかで、でも私に向いている時はなんとなく優しげに見えるんですよね……。
「ミサコ殿はあまり自覚していないようだから言いますが、この辺りでは夜が近い時間に男を酔わせてはいけませんよ」
「どうしてですか?」
「砦に戻れなくなるからです」
「ああ、酔っ払って十キロ馬を飛ばすなんて危ないからですね」
「そうです。……そういう口実で、男が泊まり込んだら大変でしょう?」
大変、でしょうか?
道中が危険だったら泊まってもらうものでは……。
……あ、そうか。
例えば、パスズール様と夜にお酒を飲むとします。
お酒には強い方ですが、いくら夜目が効くこの世界の人とはいえ、真っ暗な夜に十キロの道のりを馬で戻るのは危険です。ゆっくり歩かせると時間もかかります。
そうなるとこの村にお泊めすることになるのですが、高位貴族出身で副師団長の肩書を持つ騎士様に、色っぽいお姉さんがいる宿やヒラ兵士が馬鹿騒ぎする宿に泊まっていただく訳にはいきませんよね。
お泊めするとすれば村長さんの家か、この村では大きい部類の私の家となるでしょう。
私の家は分不相応に大きいですから、お客様用の部屋はあります。
でも夜は私一人です。防犯システムは私の無差別魔法でお釣りが出ますが、今のところ女性のお客様以外は想定していません。
そこであえてお泊めするってことは、その……えーっと……つまり……。
うん、昼間しか飲ませてはいけない理由を理解しました。
たぶん私は真っ赤になっているでしょう。
目を泳がせながら、お椀からちびちび飲み続けます。
そんな姿が面白いのか、パスズール様は笑っていました。
でも笑い声が近いな、近づいたのかなと思ったら……パスズール様のお顔がすぐそばにありました。
え?っと思った時、硬い指先が私の顎に触れました。
パスズール様のお顔がますます近づいて……鼻と鼻が触れるところで止まりました。動きを止めたパスズール様は硬直する私の顔を見ていましたが、やがて顔の向きを変えました。
右の頬に、柔らかいものがゆっくりと触れました。
軽く吸い上げる感覚もありました。
顔が離れる時にちゅっと音がして、青い目が私を覗き込むように見ていました。
「師団長に飲み友達と紹介していますし、もう少し頬で我慢しましょう」
「……ああああ、あのあのえっと……!」
「残念ですが、私にはこちらに来る時間があまりありません。そのうち代筆ではないミサコ殿の手紙が来ることを楽しみにしています」
「え? いやまだ無理ですよ。やっと単語を書けるようになっただけですし!」
「目標がある方が伸びると言いますよ。ああ、そうだ。砦の男にとって最高の恋文を知っていますか?」
「……ええ? いや全く知りません」
「星を見ながらお酒を飲みましょう、ですよ」
星を……見ながら……お酒……?
あ、なるほど。
いわゆる、夜明けのコーヒーってやつですね!
……なるほどね、うん、星という単語はもう覚えているから……ってそんなこと経験値なしの処女に教えないでくださいよ!
しかもその目付き!
獲物をいたぶる肉食獣じゃないんですからっ!
「さあ、まだたくさんありますから飲みましょうか。丸葉草酒はひと月ほど寝かせるとまろやかになりますが、この搾りたての美味さも捨てがたいですからね」
いつもの距離まで離れたパスズール様は、何事もなかったように私のお椀に丸葉草酒を注ぎ足します。
動揺が収まらない私は、反射的に満たされたお酒をがぶ飲みしました。
一気に飲み干すと、さすがに頭がくらりとしました。口当たりは極上ですが、実はけっこう強いお酒なのかもしれません。
パスズール様は相変わらず面白そうに見ていました。
家の中にいるお女中さんたちの視線は、何だか冷たい気がします。
少し頭の動きがにぶくなった私は、都でパスズール様と一緒に見た星空を思い出し、慌てて打ち消したのでありました。
番外編はこれで終わりです。
本当にありがとうございました。




