劉備の酒
劉備 玄徳の軍団が新野城に入ったと聞いたのは、翌日のことであった。
あれが劉備か。世間の評判では、反曹操の義の人であったり、天下の流浪人と小馬鹿にする者もいる。
どちらが正しいのか。どちらとも正しいようにも考えられるが、昨日見た雰囲気では、どちらとも言いきれない。
ただ、普通の人ではない、懐の深さを感じた。
どういうところがと問われると返しに難しいが特別な何かを感じたのは確かだ。
司馬徽の塾では劉備が新野城に来たことで話題が持ち切りになっている。
なんでも、知識人や学者などを募っているそうで、劉表に出仕できなかった者や、劉備に興味を持った者が参加しようと話しをしている。
そんな話しを横で聞いた俺に徐庶が語りかけてきた。
「馬岱はどう思う? 劉備のところに行ってみるか?」
「興味はありますが……。徐庶殿はどうなさるんですか?」
俺の問いに徐庶は腕組みをして唸った。
「確かに有名人だ。だが、それも今まで反曹操を貫いて来たからで、それ以外のところはまだ未知数だ」
「そうですね。今回も劉表様を頼ってきたってことですし、今後どうなるか不安定ですよね」
「そうだ。だから、俺は見極めに行こうと思っている。悩むくらいなら行動に移した方が早い」
これには少し驚いた。徐庶程の知識人なら、劉表でも曹操でもどこでも通用する。
徐庶を欲しい勢力は多いと思うが、今まで出仕したことはない。
それが劉備に興味を抱いているのだ。そのような話を聞くと俺も行きたい気になってきた。
天下に名高い劉備と話しをすることで得られることもあるだろう。
仕える訳ではないので、話だけしに行ってみよう。
「俺もついて行って良いですか?」
「ああ。一緒に行こうぜ。龐統殿はどうする?」
徐庶が床に寝転がっている龐統に問いかけた。龐統はあごを手でさすって悩ましそうに言う。
「行きたいのは山々なんだけどねぇ。実はそろそろ地元に帰ろうと思ってるんだよぉ」
「そうなのか? 龐統殿の地元といえば呉じゃないか」
「だよぉ~。だから、皆とはお別れなんだよねぇ」
「そうか。それなら送別会をしなければな」
「ありがたいねぇ~。劉備の話を手土産にしたいから、話を聞かせてくれよねぇ」
龐統が呉に帰るのか。そうなれば孫権の下で働くことになるのではないだろうか、
「龐統殿は孫権様にお仕えになるんですか?」
「そうなるねぇ。周瑜殿から声が掛かってるから、そうなるかなぁ」
「周瑜殿のご推挙であれば立派な職につけそうですね」
「そうだといいけどねぇ。まあ、ここの皆と別れるのは辛いから、ちょっと複雑だけどねぇ~」
離れ難い気持ちを抱いてくれていることが心から嬉しかった。
俺も龐統から多くを学び、語り合った。離れ難いのは俺だけではないのだ。
少しだけしんみりした空気になったのを変えるように、徐庶が手を叩いた。
「よし! 龐統殿への土産話を聞いてくるとしよう。馬岱、行ってみよう」
「急に行って大丈夫なんでしょうか?」
「善は急げというだろう?」
「分かりました。行きましょう」
講義が終わると早速、新野城に向かった。
◇
新野城の城内には、多くの人々でごった返していた。
これが全員、劉備と話をしたいと思っている人達なのか。
身なりや年齢も様々だ。小綺麗な服に身を包んだ者、質素な服で貧相な体の者。老若関係なしだ。
これだけの人達と劉備はどうやって話すのだろうか。
この人の数に徐庶も閉口している。
「劉備人気って、ここまでなんだな」
「そうですね。客将なのにこれだけの人が集まるとは」
「さて、これだけの人をどう捌くか見ものだな」
徐庶も気になっているようだ。一人一人と話していたら時間がどれだけあっても足らない。
とはいえ、これだけの人が話し出したら、収拾がつかないだろう。どうやってふるいにかけるのか。
しばらく待っていると、巨漢で虎鬚の男が姿を見せた。
「待たせて悪いな! 長兄が来るのはもうちょい時間がかかる。その間、宴をするから楽しんでくれ」
長兄ということはあれが有名な劉備三兄弟の末弟の張飛 翼徳だろう。
会いに来たのに宴とはえらく気前がいい話だ。集まったもの達がその場に座ると、酒樽と料理が次々と運ばれてきた。
酒が行き渡ると、張飛が高らかに言う。
「劉備 玄徳に乾杯!」
そういうと酒をぐびぐびと飲み始めた。戸惑っているもの達も、その様子を見て酒を飲み始めた。
俺はというと、飲む気にはなれなかった。天下に名の知れた劉備はこのような人気取りで、生きてきたのだろうか。
器の大きさというのは、こういう振る舞いをすることで測れるものではないと思う。
酒を飲んだもの達は酔ってきたのか饒舌に話し出した。
口々に劉備を褒めたたえており、さすがは天下人などというもの達も出てきた。
天下人に近いのは曹操だ。民衆に甘いことをすることで天下が取れるほど楽ではない。
孫権だって、天下人に近い存在だ。その孫権も辛い経験をして、覚悟し立ち上がった。
まだ、何もなしてない劉備を手放しで褒める人々が気持ち悪く思えた。
横に座る徐庶も思うことがあるのか、盃を手にしたまま酒を眺めていた。
「徐庶殿、私は帰ろうと思います。話をする気になりません」
「ん? まあ、そうだな。恐らく、それが正解だろう」
「正解?」
徐庶は盃を地面に置くと、その場を去っていく。
俺も慌てて、その後をついて行くと、門の前で偉丈夫が立っていた。
艶のある長い髭に、赤ら顔の男は俺達に強い視線を向けてきた。
「兄者の酒が飲めんということか?」
男は言った。俺が言葉を発しようとしたとき、徐庶が割り込んだ。
「あのような場で喋ることはございません」
「酒が回れば、そのものの本性が見えてくる。それを見極めようとしているとは思わんのか?」
「酒がなければ見極められぬような方に、お仕えする気はございません」
一触即発の空気が漂う。お互いに一歩も引き下がらない様相だ。
しばらく睨み合いが続いていると、男が急に声を上げて笑った。
「度胸があるやつだ。あそこで酒を飲んでるもの達とは一味違うな」
「戦場に出るものとして度胸がなくて、どうしましょう」
「確かに。お主、名前は?」
「徐庶 元直です」
「徐庶か。そっちの者は何故、酒を飲まなかった?」
俺に男の視線が向いた。俺は少し考えたが、素直に気持ちを伝えることにした。
「劉備様にお仕えする気がございません」
「ほう? この関羽 雲長を前にして、そのようなことを申すか?」
「はい。人をもてなすことは大事です。ただ、それで人を見極められるほど人間は浅くないです。それで知った気になられるのも、本意ではありません」
今度は俺に険しい視線をぶつけて来た。だが、俺も間違ったことは言っていない。
自分の中で出た答えを潰されたくはない。
眉間にしわを寄せる関羽の表情が変わった。口角を少し上げた。
「兄者! 面白いやつが二人もいたぞ」
関羽が言うと、建物の陰から、昨日会った男が姿を見せた。劉備だ。
「悪いな。試すようなことをしてしまった」
「試すと言ったのは拙者の案。兄者が謝ることではありません」
「そうか? なら、関羽から謝罪が必要だな」
劉備は言うと、高らかに笑い声を上げた。
「徐庶に馬岱、昨日会ったやつらだな。不思議な縁だ。良ければ、別室で少し話さないか?」
俺は徐庶を見ると、視線が合った。頷いたので話を聞くようだ。
俺と徐庶は劉備の誘いに乗ることにした。




