否定から入る人は意図がずれてしまう
否定から入る人は、なぜ議論がずれるのか
議論をしていると、最初の一言が「でも」「いや」から始まる人がいる。
こうした人は、「否定ばかりする人」「議論を壊す人」と思われがちだ。
しかし、本人は必ずしも相手を否定したいわけではない。
「別の角度から考えてみよう。」
「この可能性もあるのではないか。」
そんなつもりで話していることも少なくない。
実はここには、一つの”省略”がある。
否定から入る人の頭の中では、一度、
「なるほど、その考えは分かる。」
という確認が行われていることが多い。
ただ、その確認は頭の中だけで済ませてしまう。
本人にとっては理解できていることなので、わざわざ言葉にする必要を感じない。
そして、そのまま次の視点だけを口にする。
だから本人は「話を前に進めた」つもりでも、相手には最初の肯定が見えない。
聞こえてくるのは、反論だけになる。
さらに面白いことに、否定しているように見えて、実は相手とほとんど同じことを言い換えているだけ、という場面も珍しくない。
言葉は反論の形をしていても、結論はほとんど変わらない。
それでも議論は噛み合わなくなってしまう。
なぜだろうか。
原因は、話の内容ではなく「入り方」にある。
私たちは、相手の言葉だけを聞いているわけではない。
同時に、「自分の考えが認められたか、それとも否定されたか」も敏感に感じ取っている。
だから会話の入口が否定になると、内容を考える前に、
「自分の考えを否定された。」
と受け取りやすい。
話し手は、頭の中では相手の考えを一度受け入れたうえで話している。
しかし、その過程を言葉にしなかったために、聞き手には「最初から否定された」としか伝わらない。
すると議論の目的は、「より良い答えを探すこと」から、「自分の考えを守ること」へと変わってしまう。
こうなると、お互いに相手を理解しようとするより、反論できる部分を探す会話になりやすい。
その結果、最初は同じテーマについて話していたはずなのに、少しずつ論点がずれていく。
では、議論が上手い人は何が違うのだろうか。
彼らは、頭の中で済ませた肯定を、ちゃんと言葉にする。
「つまり、こういうことですよね。」
この一言だけで、相手は「理解してもらえた」と感じる。
人は、自分の考えがいったん受け止められると、防衛を緩めやすくなる。
そのうえで、
「その上で、この見方もできるかもしれません。」
と続ければ、それは否定ではなく、考えを広げる提案として受け取られやすい。
結局、議論を噛み合わせる鍵は、結論ではない。
頭の中で理解しているだけでは足りない。
その「理解した」という過程を言葉にするかどうかが、議論の流れを大きく左右する。
人は、言葉そのものだけで会話をしているわけではない。
「自分は理解された」と感じられるかどうかも含めて会話をしている。
だから議論が噛み合うかどうかは、何を言うか以上に、最初に何を省略しないかで決まるのかもしれない。




