人見知り
人見知りの原因は「人が怖い」ではない
──幼少期の過反応環境とユナイト距離
人見知りは、
内向的な性格やコミュニケーション能力の問題として
説明されることが多い。
だがそれだけでは、
どうしても説明しきれない違和感がある。
人見知りの人ほど、
・相手の反応を細かく読む
・場の空気に敏感
・評価を過大に気にする
これは「人に無関心」どころか、むしろ逆だ。
ここでは、
ユナイト距離という視点から、
人見知りが作られる可能性を考えてみたい。
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泣きや感情への「過反応」は、何を学習させるか
幼少期に、
次のような経験を繰り返した人は少なくない。
・少し泣いただけで、周囲が慌てる
・表情が曇ると、空気が急に重くなる
・黙ると、理由を強く探られる
重要なのは、
怒られたかどうかではない。
周囲の反応が「大きかった」ことだ。
この環境で子どもが学ぶのは、
感情表現の良し悪しではない。
「自分の状態が、周囲を強く動かす」
という因果関係そのものだ。
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過反応環境は、ユナイト距離を恒常的に縮める
(ユナイト距離とは予測可能な確率で変わる距離感)
こうした環境では、
子どもは次のように適応する。
・泣く前に察しようとする
・相手の顔色を先に読む
・場が崩れないよう自分を調整する
これは優しさでも気遣いでもある。
だが同時に、
他人の状態と自分の行動が、
ほぼ直結している世界観
が形成される。
これが、ユナイト距離が
最初から近い状態だ。
距離を測る前に、もう入り込んでいる。
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ユナイトが近いと、予測は自動で過剰になる
ユナイト距離が近いと、
人は相手を客観視しにくくなる。
・相手が黙る → 自分のせいかもしれない
・空気が変わる → 何か間違えたのでは
・反応が薄い → 評価が下がったかもしれない
本来は相手側の事情であることを、
無意識に自分側へ帰属させる。
この過剰帰属が続くと、
人は幼いころから、
・ユナイトの予測
・ランク(評価)の予測
・場を壊さないための予測
を同時に回すことになる。
これは不安というより、
予測回数の問題だ。
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なぜそれが「人見知り」として現れるのか
初対面や新しい環境では、
この近すぎる距離モデルがそのまま使われる。
・最初の一言で場を壊さないか
・変に思われていないか
・評価を落としていないか
人が怖いのではない。
まだ関係のない相手を、
最初から「近い存在」として扱ってしまう
ことが、負荷になっている。
だから人見知りは、
距離を取れないことの結果として
距離を避ける行動
として現れる。
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すべての人が人見知りになるわけではない理由
同じように、
幼少期に過反応環境を経験しても、
・外に距離モデルを学べる場があった
・一貫した大人が一人でもいた
・評価が安定した場所を経験できた
場合、ユナイト距離は修正されやすい。
逆に、
過反応が複数の場所で繰り返されると、
近接がデフォルトになる。
これは性格ではなく、
初期に獲得した因果配置の問題だ。
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まとめ
・人見知りは「人が怖い」状態ではない
・泣きや感情への過反応環境は、ユナイト距離を早期に縮める
・距離が近いと、過剰帰属と予測過多が起きる
・その結果、人見知りという行動が選ばれる
もし、
人と関わる前から疲れてしまうなら。
それは弱さでも欠点でもない。
かつて必要だった距離配置が、
いまも続いているだけかもしれない。
人見知りは
距離を取れない人ではなく
距離が未確定な関係を処理できない人
だから人見知りは
距離が確定した相手には、極端に深く入る




