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心理学は正しいのか?  作者: シンリーベクトル


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忖度(そんたく)という逃げ

なぜ宗教絵画では、イチジクの葉が「股と胸」を隠すのか


問いの出発点


創世記には、罪を知ったアダムとイブが

「イチジクの葉をつづり合わせて、腰に巻きつけた」

と記されている(創世記 3章7節)。


にもかかわらず、多くの宗教絵画では

• 男性は股間

• 女性は股と胸

をイチジクの葉で覆って描かれる。


これは単なる読み違いではない。

意図的な改変であり、しかも長い時間をかけて繰り返されてきたものだ。


神学的理由ではなく、社会的理由


この違いは、神学的要請というよりも、

制作側・鑑賞側の社会的感覚への配慮と考えた方が説明しやすい。


ルネサンス期以降、宗教絵画は

• 教会

• 貴族

• 市民

の目にさらされる公共物になった。


そこでは

• 「聖性を保つこと」

• 「不快感を与えないこと」

• 「非難を避けること」

が強く要請される。


結果として、

本文にはない“追加の覆い”

が描き加えられていった。


忖度という免罪符


ここで使える言葉が「忖度」だ。


日本では 森友学園問題 以降、

この言葉が広く知られるようになった。


忖度とは本来、


相手を思いやる行為


のはずだが、実態はこう言い換えられる。


相手を理由にしながら、

最終的には自分を守るための行動


宗教画におけるイチジクの葉の「拡張」も、同じ構造をしている。

• 聖書を尊重しているように見せつつ

• 観る側の反発を避け

• 制作者・発注者・教会が責任を負わない位置に逃げる


これは信仰の表現というより、

批判回避のデザインだ。


なぜ胸まで隠すのか


創世記の記述だけなら、

女性の胸を隠す必要はない。


それでも隠されたのは、

• 女性の身体は誘惑的である

• 見せると秩序が乱れる

という、後世の価値観が上書きされたからだ。


つまり宗教絵画は、

神の視点ではなく

時代の常識の視点で修正されてきた。


イチジクの葉は、

「罪の象徴」ではあるが、

同時にこうした意味も帯びている。

• 価値観の上書き

• 社会への迎合

• 批判回避のための忖度


聖書本文よりも厚く、

本来よりも広く描かれたイチジクの葉は、

信仰そのものではなく、社会が信仰を扱うときの姿勢を映している。


それは2000年前の物語ではない。

今も私たちは、

「相手を思って」と言いながら、

どれだけの葉を自分のために縫い合わせているだろうか。


忖度とは、相手を守る行為ではない


忖度はしばしば、

「相手を思いやる気遣い」

「空気を読む日本的美徳」

として語られる。


だが、構造を分解すると様子が変わる。


忖度が発生する瞬間、

人はほぼ例外なく二つの予測を同時に立てている。

• このまま行動すると、不利益が返ってくるかもしれない

• しかし露骨に自己保身に見えるのは避けたい


この板挟みを解消するために使われるのが、

「相手のためだった」という理由付けだ。


忖度は感情ではなく、判断回避の技法


重要なのは、

忖度が「優しさ」や「共感」よりも、

判断を先送りする技法として機能している点だ。


本来問われるべきは、

• 自分はどうしたいのか

• どこまで責任を負うのか


だがそれを正面から扱うと、

リスクが顕在化する。


そこで人はこう言い換える。

• 「あの人の立場を考えて」

• 「場を荒らさないために」

• 「みんなのためを思って」


この瞬間、

主体は消え、理由だけが残る。


忖度とは、

決断から感情を切り離し、

自分を当事者から降ろすための装置だ。


なぜ忖度は“善意”に見えるのか


忖度が厄介なのは、

ほぼ常に善意の言葉をまとって現れる点にある。

• 思いやり

• 配慮

• 大人の対応

• 波風を立てない態度


これらはすべて、社会的に「正しい」とされやすい。


だが構造的には、

自分が矢面に立たないための防御膜でもある。


だから忖度は否定されにくい。

むしろ評価されることさえある。


結果として、

「相手のため」という名目で、

誰も責任を引き受けない状態が増殖する。


忖度が連鎖すると、何が起きるか


忖度が個人の判断を守る段階に留まっているうちは、

まだ害は小さい。


だがそれが組織や社会に拡張されると、

以下の現象が起きる。

• 誰も決めていないのに、方針だけが存在する

• 発言していないのに、同意したことになる

• 問題は共有されるが、責任は共有されない


これは意思決定の不在ではない。

意思決定の痕跡だけが残っている状態だ。


忖度とは、

行動を止めずに責任だけを薄める、

極めて効率のいい仕組みでもある。


忖度が生まれる本当の場所


忖度は相手の心の中に生まれるのではない。

自分の中にある恐れから生まれる。

• 否定されたくない

• 評価を下げたくない

• 面倒な立場に立ちたくない


これらを正直に認めるのは、

それ自体がリスクになる。


だから人は、

「相手のためだった」と言うことで、

自分の恐れに名前をつけ直す。


忖度とは、

恐れに対する自己正当化だ。


忖度を自覚するということ


忖度そのものが、

常に悪いわけではない。


問題なのは、

忖度していることを自分で自覚していない点にある。

• 本当に相手の利益になっているのか

• それとも、自分の立場保全が主目的なのか


この問いを避けた瞬間、

忖度は思考停止と同義になる。


イチジクの葉は、

身体を覆うためではなく、

視線から逃げるために使われた。


そして忖度もまた、

選択から逃げるための葉として、

今日も静かに縫い合わされている。

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