それぞれの痛み
「…俺の子ども?」
と和は信じられないと言う顔で由岐を見た。
和の腕を掴む腕を震わせて由岐は
「そうだよ。綾子は妊娠してるんだ。…13週…4ヶ月にだって」
と言った。
「4ヶ月…」
と和が綾子のことを何も知らなかった事実に肩を落としてると
「アジアツアーが終わったら言うつもりだったらしい。お前を驚かせよう思ってたんだって…。でも、吉川に結婚を待って欲しいと言われて伝えられなかったらしいよ」
と村上が言うと由岐は
「最低だよな。吉川が綾子に会ってたことも、和と別れて綾子が苦しんでたことも、妊娠してることも何も知らなかったなんてな…。いつも偉そうに兄貴ヅラしてたけど、結局綾子の事なんて何も分からなかったんだよ」
と肩を落として泣いた。
「…」
和が黙って由岐を見てると
「…和、もう一つ伝えなきゃならないことがある」
と村上は言ってから
「綾子が今日、救急車で病院に運ばれた」
と言った。
「え?」
と驚き青ざめた顔をした和に
「…流産しそうになって入院してる」
と村上は言った。
「…」
和は地の気が引いた。
自分が綾子との別れたことに落ち込み綾子の心に残るなら死んでもいいなんて考えてる間に、綾子はすでに倒れてて…お腹の子は…。
「おまえが綾子と別れてツラいのと同じように綾子もずっとツラかったんだよ。でも、別れた事でまわりに気を使わせたくなくて無理して仕事して、お腹の子のためにって無理に飯を食おうとしても身体が受け付けなくて…睡眠も…取れなく…なった…らしくて…」
と言う由岐が涙で言葉につまると
「今日、事務所で会ったときから顔色も悪くて、痩せて身体も小さくなって…。そしたら、急にお腹痛がって倒れて」
と村上は言った。
「…和、あいつは自分からは絶対におまえのところに戻らないと思う。おまえを傷付けて今さら戻れないって思ってる。けど、綾子にはおまえが必要なんだよ。頼む、綾子を助けてやってくれ。綾子を救えるのはおまえしかいないんだよ。お前に綾子が必要なんじゃない。綾子におまえが必要なんだよ」
と由岐は言った。
綾子の家に向かう車の中で、相川は複雑な気持ちだった。
吉川を殴り殺したいほどの怒り。
自分にとって、子どものような…弟や妹のような存在の和と綾子の苦しませた事は一生許せない。
けど、それと同時に自分にも苛立っていた。
綾子の側にいながら何も気付かなかった。
綾子に聞くまで和と別れた事を知らなかっただけでなく、体調が悪そうとは思っていたけど、大丈夫と言う綾子の言葉を鵜呑みにして、和との別れの悲しみを仕事で忘れる事が出来れば…と、無理に仕事をしてるのも知っていながら止めなかった。
自分がもっと綾子の体調を気にして、仕事をセーブさせていたら…。
スタジオに残って曲作りするのを止めていたら、こんな事にならなかったのかもしれない。
相川は何も言わなかった自分を責めていた。
相川の隣に座る篠田は肩を落としてうつ向いていた。
Speranzaとはデビュー前から一緒にいて、ツラいことも泣きたくなることも一緒に乗り越えてきた。
嬉しいときは一緒に喜び、楽しいときは一緒に笑ってきた。
Speranzaは音楽をやる集団の前に兄弟だと思っていた。
兄弟の長男として父親としてメンバーを引っ張っていくのが自分だと思っていた。
言葉に出さなくても言いたい事が分かる。
何も言わなくてもメンバーの事が分かる。
…そんなの幻想だった。
綾子の苦しみを分かったふりして何も分かってなかった。
もともと弱音を吐かない綾子が和と別れたと泣いた時に、もっと理由があるはずだと気付いてやるべきだった。
綾子の食が細くなった時に妊娠を疑ってみるべきだった。
篠田は綾子の異変を見落としたことを後悔していた。
綾子の家に向かう途中、相川たちは村上と由岐と合流した。
車の中では、誰一人として言葉を発する事がなく長い沈黙の時間が流れた。
綾子の家に着くと、複雑な顔をして両親が出迎えた。
「由岐は部屋で待ってろ」
と父親が言ったが
「俺も話をしたい」
と由岐はリビングに入った。
由岐と父親と母親に対峙するようにテーブルを挟んで結城、相川、社長、篠田、村上は座った。
「この度は綾子さんとご両親、由岐君に多大なるご迷惑をおかけして大変申し訳ありませんでした」
と社長は床に頭を擦り付けると他の4人も土下座した。
「…」
「…」
何も言わない両親に
「本当に申し訳ありません」
と由岐も土下座した。
両親は顔を合わせてから
「とりあえず、一度顔を上げてください」
と言った。
由岐たちがゆっくりと顔を上げると
「先ほど私たちが病院から帰ってきたら、家の前に吉川さんと言う方が待ってらっしゃいましてお話は伺いました」
と父親は言った。
「吉川ですか?」
と社長が聞くと
「はい。彼は和のマネージャーだったと話してまして、今回の事の発端は自分が原因だと言って全て聞きました」
と父親は言った。
「部下のやったこととは言え、その事に気付かずこのような事になった責任は、上司の私と村上にもあります。申し訳ありません…」
と結城と村上が頭を下げると
「私も綾子さんのマネージャーとして常に側にいながら妊娠に気付かず無理をさせてしまい、このような事になってしまい申し訳ありません」
と篠田は涙を流し頭を下げた。
「起きてしまった事は仕方ありません。私たちは、綾子の親ですが由岐の親でもあるので、あなた達を責める事は出来ません。吉川さんだって由岐たちの為にってやった事ですし…」
と父親は言ったあと
「由岐たちの為にたくさんの人が頑張ってくれてるはわかります。皆さんがいなかったら由岐や和だけではここまで有名にはなれなかったでしょうし、綾子だってそうです。感謝もしてます。でも、世界ってそんなに大事ですか?」
と言った。
「綾子も和も大学を卒業したら結婚することを決めてましたし、私たちも昔から和の事は自分の息子のように可愛がってきたので二人が結婚することを楽しみしてました。それに和と綾子が結婚したら早くに子どもを欲しいって話してることも知ってましたから、結婚したらきっとすぐに孫が産まれるだろうと楽しみしてましたし、和と綾子が忙しい時は私たちが孫の世話をしようと話もしてました。和の両親だって同じです。遠くに住んでても常に和の心配をしてますし、こんな事が起きてると知らない今も二人の結婚の報告が来るのを楽しみに待ってます」
と父親は言った。
「…綾子さんと結婚したとしても和や由岐の仕事には何の支障もありません。私が社員にいつも言ってるのは、私の会社にいるミュージシャンは音楽で勝負してるので交際も結婚も反対しないと言うことです。それに相川の言葉を借りると、恋愛や結婚は人を豊かにするのでより良い音楽が作れるようになります。もし、ご両親に許してもらえるなら綾子さんと和を結婚させたい綾子さんとの契約を結んだ時から私たちは思ってました。だから私たちは綾子さんとはあえて4年契約を結び、その後の契約は綾子さんと和に考えてもらい、音楽を続けるなら続ける音楽をやめて家庭に入りたいなら入ると言う選択が出来るようにと4年前から決めてました」
と社長は言った。
「…なっちゃんの様子はどう?吉川さんはご飯も食べないって言ったけど」
と母親が聞くと
「綾子と別れたあと気にしてないふりして仕事も頑張ってたけど結局無理し過ぎて緊張の糸が切れた途端、何にも無関心無反応で部屋に閉じ籠もって目も虚ろでボーッとしてて…。あいつは弱そうにしていつも甘えてるけど、表に出さないだけで本当はすごく強い奴だからあんな風になるなんて驚いたよ」
と由岐は言った。
「…そうか」
と困った顔をして
「和には一度でいいから綾子のところに行って欲しかったんだけどな」
と父親は言った。
「綾子、寝言でなっちゃんに謝ってるのよ。なっちゃんごめん、なっちゃんごめんって…。その時はケンカでもした夢を見てるのかなって思ったけど、吉川さんに別れたって聞いたら綾子が可哀想で」
と母親は泣いた。




