十
眩く、しかし優しい光が僕の顔を照らした。目を覚ますように…いや、心地よく眠るように促してくれる。…そんな春のひとときのような淡い黄白。
もう少し眠っていようか。サラサラとそよ風が緑を撫でる。まるで絹のような柔らかさ。緑と白に包まれるこの上ない布団は安らぎを与えてくれる。四肢のすべてが投げ出されている。これが自然。ただし、何も触れていないわけではない。両足と左手は緑と白に挟まれ、そして右手には緑とぬくもりが重なっている。自然とは程遠いそのぬくもり。それでも、どの自然よりも優しかった。
「…。」
ひとときの静寂。そこで僕は世界を目に入れる。
「…。あ…。」
なんと青い空だろうか。僕は目覚めたばかりだというのに息を呑んだ。宇宙との境が無くなったかのような濃い深い青。下を向くと白が温かく照らしてくれる。ところどころに天まで届くソフトクリームの柱。なんて優しいのだろうか。子供の頃なら大はしゃぎだ。
「…すっげぇや。」
そのまま首をぬくもりの感じる方へ向ける。同い年だろうか。女の子が眠っている。
「…凛。」
口が開いてしまった。この子はこんなにも安らかな寝顔をしているというのに、このままでは起こしてしまう。
「…ぅ…、ゆ、う、た?」
「おはよう。凛。」
名前を呼び合った。確かめるように。彼女もまた柔らかい笑顔をくれた。
「優太、ここ、すごくきれいなとこだね。」
「うん。あったかくて気持ちいいね。」
「こんな気分、初めてかも…。」
僕たちは目を閉じて腹筋に力を入れた。起床の時間だ。布団をめくって起き上がる。
「お、ぁ…。」
瞳が捉えたのは、どこまでも続く緑と青のツートンカラーに白を重ねたような、そんなキャンバスだった。この緑に、果てはあるのだろうか。どこまで行っても辿りつけないことなんて一瞬で理解した。
「…よっと、あっ」
彼女はドサッと尻もちをついた。
「あはは…足すくんじゃった…。」
「大丈夫か?」
そういう僕も足がすくんでいる。
経験は無いだろうか。天を見上げて空の果てを思い浮かべる。広大な宇宙に投げ出されて地面が足から離れるような、…そんな感覚。
「う、うん!だいじょうぶ…、大丈夫。」
「よかった。俺ももう大丈夫。無理すんなよ?」
「ありがと。ふふっ。優しいねぇ、優太。」
「…いつもどおりだろ。」
顔が熱い。じわじわと熱を帯びる。あの陽がもう少し強ければ、誤魔化しなんていくらでもできるのに、残酷なほど温かい。
「うっ…。」
突然頭が軋む。ぐらりと世界が塗り替わる。
「ゆ、優太! 大丈夫!? うっ…!」
声が遠のく。僕たちの瞼にベタベタと色がついていく。青、緑、白、紅、黒。紅が濃くなり色は奥行きを帯びて世界を創っていく。
…あぁ、そうだった。
『ズ、ズズ、ゴゴゴゴォーーーー!!!!!』
『…っ!! うわぁっ!』
『…うぉっ!』
ふたりは砂浜に手をついた。何かに懺悔するようなそんな姿勢。音も揺れも止まない。
『ゆ、優太っ、こわいっ…』
『大丈夫…、大丈夫だからっ』
根拠もないというのに少年は少女の頬を震える手で撫でた。その手に少女は応えて温もりを感じようとする。縋れるものは砂とこの手しか存在しない。蹲ってしばらくすると轟音が聞こえてくる。今のものとはまた別の音。
『ドゴォォォォォーー!!!!』
何メートルあるだろうか。青黒い壁がとてつもない速度で迫ってくる。黒い。いつものあの海が怒りを顕にしたような、ただひたすらの暴力。
ふたりは抱き合った。
『優太…、もっと、いっぱい、いっぱい…』
『……。』
少年は無言で抱き寄せた。少女はそれに応えて、震えるその背中に手を回した。
目が覚めた。
「……、そうだ。そうだった。」
「……死んだんだね。私たち。」
思い出した。だがもう悲しみは無く、諦めにも似た感情だけが心を埋めていた。
「じゃあここは…、天国なのかな?」
彼女は僕に微笑みかけながらそう言った。
「そうなるのかな…。」
確信はない。だが、改めて見回してみても明らかに現実離れした世界だと認識させられる。
「あーあ。せっかく幸せだったのにー。」
「でも、天国ってことは、ずっと一緒にいられるってことだろ?」
「たしかにっ! でもなー。大人になりたかったなぁ。」
「ははは…。」
大人になりたかった。大人になって、社会に出て、もっと広い世界を知って、そしていつか…。
「結婚、したかった。」
「私もしたかった。でも、もうずぅっと一緒だからねっ」
「っ、それもそうだな。」
僕たちは頬を赤らめながらも笑い合った。
「ん? 優太、あれ、なに?」
彼女が指さす方向を見つめる。限りなく深く青い空。そこに佇む白の点。
「な、なんだろ? 雲?」
「雲にしては、なんか動いてない?」
その白の点は明らかにこちらに向かっているようで、徐々に大きくなってくる。
「鯨だっ! ね、優太!」
「ほんとだ、鯨だな…。」
何メートルあるだろうか。頭上を覆い尽くすその白い鯨は、僕らのいるこの場所に降りてきた。尾ひれをだらんと地面に下ろす。
「すっごいおっきいね。」
彼女は優しくその白い身体を撫でる。すると、いつからいたのかは分からないが、小鳥が地面に座っている。白鯨は尾ひれで小鳥を掬い上げると、再び空へ飛んでいった。
「行っちゃったね。いいなぁ、あの小鳥ちゃん。私も乗りたかった。」
「はははっ。またいつか来るんじゃないの?」
「そうだといいなぁ。」
ふと、瞼が重くなる。
「んぅ…。なんか、疲れちゃった。」
「たしかに眠いな。」
あたたかい陽の光がふたりを包む。身体がおちつく。ふたりは緑の上で仰向けになり、そっと目を閉じた。
白い鯨は悠々と空の果てまで飛んでいった。




