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七月一日

 濃い青と天高くそびえる白が僕の視界の半分を覆っている。もう半分は剥き出しの地面と緑と、そして…



「…ぅた。ゆうた。おーい。優太?」



 一人の女の子が僕の右手を握りながら視界に顔を覗かせる。



「ねぇ優太!なにぼーっとしてんの!」



「あれ、…凛?」



「じーっ。なんか変なこと考えてたんじゃないでしょうね?ん?」



 この子の名前は海原凛。僕の小さい頃からの幼馴染であり、小学六年生の頃から付き合っている彼女である。今日も白のセーラー服を着て、ショートボブの黒髪を陽の光に照らしている。



「ねぇ、答えなさいよぉ。」



 彼女はその少し焼けた両頬を軽く膨らませ、僕の視界の全てを覆った。



「ごめん。ぼーっとしてた。」



「まったくもー。彼女と手ぇ繋いでるときにぼーっとする?そういうところよ、まったくぅ。」



 そう言いながらも彼女は頬を薄く赤らめて前を向く。ふたりは再び学校に向けて歩き出す。

 緩やかな坂道が見えてきた。ここを進む以外に学校へ辿り着く道はない。そんな道を両側から緑が覆ってくれている。数ヶ月前までは彼女の頬のような色の花を咲かせていた木々だった。その綺麗な花弁を脱ぎ捨て、今は濃い緑色の葉を広げて木陰と共に風を送ってくれる。



「ゆーたぁ、あつーい。木には感謝だけど、暑いもんは暑いー。」



 さっきの強気な発言が嘘のように、彼女は今にも溶けてしまいそうな表情で歩いていた。



「あついねぇ…。ほら、あとちょっとだよ。」



「うぅ…。がんばる。」



 この道は長いわけでは無い。小さな丘を少し登るとそこに木造の平屋が見えてきた。小さな校庭を添えた僕たちふたりの学校。羅徳中学校。

 靴を脱ぎ教室の戸を開けると、教卓に若い女性がひとり本を読みながら座っている。



「着いたっ!藤川先生おはよ!」

「藤川先生おはようございます。」



 いつものように僕たちはその女性に挨拶を送った。



「二人ともおはよう。今日も暑いわねぇ。」



「ほんとに暑すぎー。」



「ふふっ、あと少ししたらホームルームだから、席で休んでなさい。」



 そう言って先生は本を開いて席に座った。学生二人と先生一人しかいない教室。窓からは夏の陽射しが差し込んでいるが、僕たちにとっては最高の安息地だった。

 午前中は右隣でうとうとする彼女を横目に授業に臨んだ。これがいつもの情景であり、先生も呆れ半分で彼女を起こす、そんな毎日。

 昼が来た。僕たち三人は机を合わせて弁当を広げる。彼女は黙々と食べながらもうすぐ来る夏休みの話を始めた。



「ねぇ優太。」



「なに?」



「あと三週間経ったら夏休みだけどさ、今年は何したい?」



「あー、夏休みか。やっぱ海行って山登って、かき氷食ったりとか…。」



「うんうん!やっぱいいよねかき氷!」



「そこだけかよ。」



「そんなことないもーん。他にも冷麦とか冷やし中華とかぁ…。」



「食いもんばっかじゃねぇか!」



「ぐ、だって…。」



「だって、なに?」



「…優太は私の水着とか浴衣とか興味ないでしょ。」



 もじもじと消え入るような声で彼女はそう言った。



「…っ。そ、そんなわけっ。」



「ほんと?」



「…ほんと。」



 僕は顔を背けながらそう言った。背けた先で先生は微笑ましそうにこちらを見ている。



「あらあら、二人ともお熱いこと。はぁ〜いいねぇ。先生もそんな青春送りたかったなぁ。」



「先生は中学のとき彼氏いなかったの?かわいいのに。」



「お世辞どーも。いなかったわよ彼氏なんて。」



「えー。かわいそう。ね、優太?」



「ま、まあ…うん。」



「二人して憐れむな。虚しくなる。」



「すみません。」



 暖かい日差しが教室全体を照らす真昼どき、この教室もまた平和で穏やかな時間が流れる。そろそろ午後の授業の時間だ。3人は弁当を片付けて席を離す。



「じゃ、午後の授業始めるわよー。」



「はーい。」

「はい。」



 いつも通り時間が流れる。気づけば授業は終わり、下校の準備。まだ陽は高い。



「優太、ちょっと浜辺いこうよ。」



「いいけど、なんで?」



「まだ帰るには明るいし、ちょっとしたデートってことで!」



「なっ…、わ、わかった。」



「はいはい。二人とも暗くなる前には帰るのよー。」



「はーい!先生また明日ね!」



「また明日、先生。」



 丘を下っていく。まだまだ暑いが、朝の登りよりはマシである。そして右手にはいつもの彼女の手が添えられている。僕は優しくその手を包んだ。



「海まで長いねぇ。」



「そうだな。ま、そのうち着くだろ。」



「うん!ゆっくり行こ〜。」



 僕たちはお互いの手の温もりを確かめながら、白く光を跳ね返すあぜ道を歩いていく。田んぼに畑、時折ニワトリが飛び出し行く手を阻む。駐在所の横を通り過ぎ、道行くおじさんやおばさんに挨拶する。



「こんにちはー!」



「お、こんにちは。いいねぇ、デートかい?」



「そーそ、優太とデートぉ〜。」



「お、おい!凛!」



「はっはっはっ、やっぱ仲良しだな!暮れる前に帰るんだぞ〜。」



「うん!またね、おじちゃん!」

「ま、またね。」



「おう!またな!」



 しばらく歩き、気づけば浜辺に着いていた。手は握ったままだったが離すつもりはない。

 潮風が吹き抜ける。空からの白とそれが跳ね返った海や砂浜の白がふたりの人間を祝福するように包んでくれる。眩く、そして温かい世界。



「やっぱきれいだよね!」



「そうだな。落ち着くよ。」



 ふたりの人間は祝福の中で白の上に腰を下ろす。片方がもう片方の肩に頭を乗せる。



「ねぇ優太。」



「すきだよ。優太。」



 この瞬間だけは他の全ての音が止んでくれた。



「俺も、凛が好き。」



 赤く染まるその肌を白は隠してくれる。だが、緩んだ二つの口だけは隠せなかった。



 …気づけばあれから2時間が経っていた。あれだけ輝いていた白が紅く染まり海に沈もうとしている。



「きれいな夕日だね。そろそろ帰らなきゃ。」



 名残惜しそうにこちらを見つめてくる。



「うん。日が暮れる前に帰ろう。」



「うん!明日も来ようね!」



「そうだな。…凛。」



「ん?なに?」




 ……二つの唇が重なる。




 もう、他の何も聞こえなかった。何も映らなかった。目の前には美しい黒色の双眸のみ。その瞳は双眸を映しながら静かに閉じる。このひとときを忘れぬように。刻むように。



 そして再び世界を映す。



「いこ。凛。日が暮れる。」



「え…、う、うん!」



 気恥ずかしさよりも誇らしかった。

 美しい世界にありがとう。

 …その瞬間の僕はそう思った。









 ……そう思ったんだ。









 鳥たちが飛び立つ。





 大地が揺れる。





 うずくまる二つの影。





 揺れ続け、裏切りを見せる大地。





 嘲笑うかのごとく照らし続ける紅。





 押し寄せる青黒い壁。






 全てを諦めさせられた。






 抱き合うふたり。









 …さようなら。









 世界(うらぎりもの)






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