第六話
「また、あの子と一緒だったんだ」
何度目とも知れない、忠言じみた星川のそれも、いい加減慣れてきた。イヤミったらしく、また何か含みを持たせるようプレッシャーをかけつつ、しかし直接行動には出てこないのだ。少なくとも、俺に対して何か、という事は一切ない。
「俺が誰と居ようが関係無いんじゃないのか?」
そもそもこのクラスに俺の動向を気にするような人間がどれだけ居る事だろう。
努めて目立たないように過ごしてきた甲斐もあって、学校での俺は誰からも気にかけられる事が無い。
無い筈だったのだが。
「関係あるし。トモダチっしょ?」
いつからそんな風に思われていたのだろうか。というか、俺は友達が他の誰と居たところで気にしないのだが。
いや、勿論俺の考え方が一般的でない事は分かっている。十二分に気にして然るべきなのだろう。特に、星川のようなタイプ、表面上は誰もが友達、みたいな社交性の塊には。
逆に俺のような他人を気にしていない人間は、同じように誰からも気にされない。因果応報というには余りに軽いものだが、一与えたら一返されるべきの資本主義の社会で、最も分かりやすい本質。
あらゆるものが等価交換。錬金術みたいなものだ。
「なんで黙ってんの?」
「いや……なんでだろうな」
だというのに。与えた覚えのないものを受け取らされる。
これが怖くて仕方がない。
一方的に与える方は気楽で、受け取る側は気を揉むのが資本主義なのだ。
普段は生きやすいのだが、こういう時ばかりは資本主義を呪う。
「そんな怯えなくても、別に何もしないって」
「じゃあ、なんで俺の事を気にするんだ」
「気にされて嫌なの?そんな事無いっしょ」
「……」
俺は言葉に詰まる。
別段好かれたい訳では無いが、だからといって嫌われたい訳でもない。
厚意を突き返すのは簡単だろう。勿論、そんな事をすれば最後に痛い目を見るのは自分自身だ。
余計な干渉をされなければ、こちらから何を返すことも無く、好かれも嫌われもしないで済む。だから俺は不特定多数の中で目立たず、不干渉で居る事を選んでいる。
それが一番楽だから。
自分でそう選んでいるのだから自己責任ではあるのだが、こういう時に俺はどうしていいか分からない。厚意、ポジティブな感情に対してのリアクションを取る事に慣れていない。
楽に生きているツケなのだろう。だから星川に非は無い。あるなら俺の方だ。
「質問に答えるなら、澤木が人と一緒に居るのって珍しいじゃん?だから気になった。それだけ」
「なんだ、そういう事か」
そういう理由なら確かに納得できる。
勿論それが本心でない事は分かっていた。
いや、或いはそれも本心なのかもしれないが、もっと他に理由があるだろう。
それはもう一週間程前になる、あの言葉。
『あんな子のどこがいいの』
敵意むき出しでそう言ったのを、俺が忘れているとでも思っているのだろうか。
表面的には納得した素振りで返したものの、内心穏やかではない。
「で?どんな理由?」
「別に大したことじゃない。委員会が同じだから、ちょっと話す事があるだけだ」
「へぇ~……」
怪しまれている。
まあそれはそうだろう。
幾ら委員会が同じだからと言って、そんなに毎日毎日話すことなどそうは無い。特に、学年が違うのだから尚更に。
最後に関しては星川が水野さんを知っているなら、という条件も付くのだが、恐らく面識はあるのだろう。
どんな経緯で、どんな関係なのかは俺の知るところではないが、何にせよ因縁のようなものがあって、どうやら水野さんの事を嫌っているようだ、というのがここ一週間程度で得た感想だ。
それに対して、俺への風当たりは弱い。クラスメイトのよしみか、口先三寸なのか、それは分からないが、表立って攻撃はされていない。
特に恨まれるような事をした覚えは無いから、当然と言えば当然なのだが。しかし気付かない内に、という事もある。或いはもっと不条理なものも。
「ま、良いけど。気を付けた方がいいよ」
「何の事だか知らないけど、気に留めておく」
「あの子と一緒に居ると、酷い目に遭うかもしれないってこと」
「そんな気はしないがな」
「それが怖いとこって事。嘘吐かせたら世界レベル」
「はぁ」
星川の言葉がどれだけ信頼に値するものか、それは分からない。実感が湧かないからだ。
実際に水野さんから嘘を吐かれた事がある訳でも無く、嘘偽りが横行する程深く関わった訳でも無い。
もし星川の言う事を丸々信じるなら、気付けない嘘を吐かれた事はあるかもしれない、という事になるのだが。
個人的には、水野さんの方を信用したい。
勿論、星川の言葉が全く信じられないという事では無いし、水野さんとの間にある不和が作り話だとも思っていない。
それについて話す星川の口調や声、表情に、迷いの類は見えないし、いっそ強く恨んでいるようにも感じられる。作り話をそこまで完璧にこなせるなら、わざわざ俺と水野さんを引き離すのにこんな回りくどい事はしないだろう。
ただ、水野さんに対して不信感を覚えた事が無いのも事実だ。
「あ、信じてないっしょ。接点少ないし、仕方ないけどさぁ」
「信じてないというか、実感が湧かないだけだ」
「実感湧いてからじゃ遅くない?」
「ごもっとも。気を付けておく」
「ん。何かありそうだったら相談して」
「分かった」
こうして普通に話している分には、悪い奴ではなさそうなのだが。
一体、水野さんとの間に何があったというのだろうか。
――――――――――。
昼休み。
俺は手早く昼食を済ませて図書室に居た。
それというのも、委員会の仕事があるからだ。
カウンターに座って、貸し出しや返却なんかの処理をするだけで、大して面倒でもない。そもそも昼休みに図書室へ足を運ぶような酔狂な輩はそう多くないし、その中で本を借りて行く、或いは返していくパターンは更に数が絞られる。
と、思っていたのだが。
「あれ?今日は先輩がカウンターの日なんですね」
もう随分と耳に馴染んだ声。
「水野さん、昼休みも図書室に居るんだな」
「そうですね。教室は煩くて、割と」
「あぁ、それはちょっと分かる気がするな」
「とりあえず、これと、これお願いします」
「はいよ」
差し出してきた二冊と学生証のバーコードをリーダーに通して渡す。
「ありがとうございます。そっち、入っても構いませんか?」
「良いんじゃないか?図書委員だし」
「そういう事では……まあ、いいですけど」
不服そうに口を尖らせながら、カウンターの内側に入ってくる。
そう広い場所でもないので、二人も入るとかなり狭く感じる。
とは言え、思い切り腕を伸ばさない限りはぶつかったりする事も無いのだが。
「そういえば、前にも一度貸し出し処理で顔合わせしてますね」
「え、いつだ?」
「仕事を交替してもらった事がありましたよね。それより前です」
「……前髪長くて鬱陶しそうだなって思った事はあったな。あれが水野さんだったか」
「きっとそうですね」
前は目の下、後ろは腰くらいまで伸びた、小説なんかではともかく現実ではそうそう見る機会の無い長い髪。
実際、水野さん以外に見た事は無い。
やはり、手入れが大変なのだろう。
「まあ、水野さんくらい髪を伸ばしてる人は中々居ないからな」
「別に、切ってもいいんですけどね」
「そうなのか?」
「そんなに拘りはありませんし。先輩の好きな髪形にしてもいいですよ?」
「二次元の話なら、似合ってればなんでもいいんだけどな」
「だと思いました。因みにそれで言うと、今の私はどうですか?」
「文句無しに似合ってる」
「じゃあ暫くこのままにしておきましょうかね」
言いながら水野さんは表情を和らげ、自らの長い髪をクルクルと指先で弄ぶ。
しなやかに靡くその動きに引っ掛かりのようなものは無く、髪質がよく整っているのが見て取れた。
しかし、不意にその動きが止まる。
「またそんなマジマジと……もしかして先輩って髪フェチだったりしますか?」
「あ、すまん。ただ、何フェチとかそんな執着心じみた嗜好は持ち合わせてない……と思う」
「って言う人ほど何か歪んだ性癖してるって聞いた事ありますけど」
「どうあっても俺を変態にしたいのか?」
「私とマトモに関係が続いてる時点で相当の変態ですよ」
「そうでもないと思うぞ。水野さん、話しやすいし」
「だから変だって言ってるんです。そんな事言うのは先輩だけですよ」
「嫌だったか?」
「嫌な訳ないでしょう?分かっててそういう訊き方してますよね」
「どうだろうな」
「先輩、ズルいです」
不機嫌そうな声でそう溢した水野さんは、しかし柔らかい表情を携えたままだ。
少なくとも、本気で嫌がってはいないように見える。
「ズルいぞ。年上だからな」
「意地悪です」
「そんなつもりはない。水野さんと楽しく過ごしたいと思ってるだけだ」
「だから、そういうのが……」
またボヤかれそうかな、と思ったその時。
「あの、お取込み中ですか?」
会話に夢中で気付かなかったが、カウンターの向こうに女生徒が居た。
内側からだと上履きのラバーは確認できない。
「いえ、取り込みという程の事は。大丈夫です」
「なら、これ全部返却と、新しくこっちの三冊を」
「はい。……はい。どうぞ。返却の本はこちらで戻しておきます」
「ありがとうございます」
丁寧に頭を下げて図書室を後にする女生徒。扉を通る瞬間に、彼女が同学年であるという事が分かった。
扉が完全に閉まった途端、俺と女生徒のやり取りを終始無言で見守っていた水野さんが口を開く。
「先輩、どうしたんですか?」
「ん?何のことだ?」
「いえ、さっきの人の足に視線が向かっていたので」
「あぁ……なんというか、学年が気になって。殆ど癖みたいなものだけどな」
「相手の年齢ってそんなに重要ですか?」
「いや、年齢とか学年とかじゃなくて、靴を見るのが癖」
「はぁ……マゾ?とかですか?踏まれたいからとか……」
「水野さんはどれだけ俺を変態にしたいんだ……」
俺が露骨に呆れた様子を作って肩を落とすと、水野さんが楽し気にクスリと笑う。
俺も、つられて笑ってしまう。
こんな軽口を叩くような相手は、今まで居なかった。相手が本気で受け取って嫌がるかもしれない冗談なんて、怖くて言えなかったから。
水野さんは、そういうのを余り気にしない。それどころか、彼女が自身の声色や性格なんかを理解しての事かもしれないが、水野さんの方からしばしばウィットに富んだややブラックなユーモアが飛び出す。
それは、俺の事をある程度理解してくれている、理解しようとしてくれているという事でもあって。
どんな動機にしても、悪い気はしない。
「……先輩?」
「ん?」
「いえ、その……踏み込み過ぎたのかと思って……杞憂だったみたいですけど」
「あぁ、そういう事な。それなら心配しなくていい。楽しいぞ」
「やっぱりマゾなんじゃないですか?」
「いや、そんなつもりは無い。そうじゃなくてな、こんな風に話せる相手は凄く久々だから楽しいんだ」
「……本当ですか?嫌、じゃないですか?面倒とか……」
「俺は、嫌なら嫌って言うぞ。面倒だったら無視するし」
「なら、安心ですね」
「それで安心する辺り、水野さんもつくづく……」
「ボッチ気質、ですか?先輩が言いますか、それ」
「まあ、そうなんだけどな」
付かず離れず。
この距離感が心地好くて堪らない。
或いは、この先へ進めば簡単に崩れてしまいそうな脆さをお互いが心のどこかで理解しているだけの、臆病故の結果かもしれないが。
だからこそ、近付き過ぎない中で一番の至近距離に居心地の好さを覚えるのかもしれないが。
それも良い。それでも良い。
そう思えるだけの多幸感はあった。
願わくは、この関係ができるだけ長く続く事を。
これだけ心地好いと、人間やはり一人では生きていけないもので、どこかのタイミングで揺れてしまう事もあるだろうから。それがなるべく遅い事だけ、俺はそれだけを強く心に抱えていた。




