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第五話

 普段は一人で過ごす休日が、成り行きで水野さんと二人のものとなった訳だが、これが思ったよりも悪くない。


 相手が水野さんだったというのもあって、最初からそれ程不安を感じてはいなかったのだが、一人で過ごすよりも時間の流れが遥かに早く感じる。


 そして、水野さんが教えてくれた紅茶の美味しい喫茶店を出たのがついさっき。そういえば、と遅めの昼食も済ませる事になって二時半を回ったところだ。


 今は水野さんの行く隣を着いて歩いている。


「水野さん」


「はい?」


「駅には向かってないよね?」


「そうですね。この後何か予定でも?」


「いや、今日はとことん水野さんに付き合おうと思ってるけど」


「また本屋ですけど、退屈じゃないですか?」


「その心配が要るなら、最初から着いて行こうと思わないな」


「そうでしたね」


 若干既視感のあるやり取りを交わしつつ、水野さんの足取りを追う。


 相変わらず水野さんのペースはそこそこで、歩調に気を遣う必要は無い。俺の普段のペースと殆ど変わらないのではないだろうか。


 それも、別段無理をして速く歩いている感じも見受けられない。もし間違いでないのなら要するに、水野さんは普段からこのリズムで歩いている、という事になる。


 踵の高い靴を履くことは無いと言っていたが、もし水野さんがヒールを履いたら、女性にしては速めの歩行ペースはどれくらい落ちるのだろうか。


 機会があったらちょっと見てみたい。


 なんて考えていると、水野さんが若干居心地悪そうな様子で口を開く。


「先輩って、どんな本を読むんですか?」


「ラノベばっかりだな。他にも読まない訳じゃないけど、殆どは」


「なるほど。私とそんなに変わらないんですね」


「水野さんもなのか?」


「意外でしたか?」


「まあ、意外と言えば意外……かな。凄い偏見だけど、もっと文学文学してるやつを読んでるのかと思った」


「私、そんなイメージですか?自分では割とサブカル女っぽさ全開だと思ってましたけど……」


「何と言うか、物静かでずっと本を読んでるからさ。サブカルってよりは文学少女っぽさ?」


「あぁ……何となく、言いたいことは分かりました。……傍目にはそういう風に映るんですね」


「逆に訊くけど、俺はどんなの読むと思ってたんだ?」


「先輩も私物にはカバーかけてますからね。文庫本ばっかりなのは見てたら分かるんですけど、小説だったらライトじゃない方でも読むのかと思ってました。雑食?なのかと」


「まあ確かに、全く読まない訳じゃないけどな」


 実際、その手の話で必ず上がるような文豪の名著なんかは、読んでみると評価されている理由も分かる。


 ただ、どうしても慣れ親しんだノリと雰囲気からはかけ離れている部分が大きい。そういうところに起因してラノベに傾倒しているのだ。


「そういう事なら、お勧めの作品教えてもらえませんか?」


「それは構わないけど、合う合わないの保障はできないぞ?」


「大丈夫ですよ。最後は自分で決めますから、先輩が良いと思った作品を教えてください」


「なるほど。そういう事なら喜んで」


 と、決まったところで、駅から屋根の無い場所を通ることなく辿り着ける、ビル内の書店に。


 ジャンル問わず網羅的に取り揃えられていて、広い店舗面積にも関わらず若干の圧迫感さえ覚える程の、膨大な数の本達。新刊は勿論の事、ここに来ればおよそ目的の本は手に入る。ここで扱っていないのは、通常の流通ルートに乗っていない同人誌か、相当前に最終版が出たきりになっている物くらいだろう。


 大規模な店舗の魅力というのは、ここに無ければ他には無い、と言って差し支えない程の物量だ。若干古めの作品を探そうと思ったら大体ここに来る事になる。


 人に本を勧めるなんていつ以来だろうか。中学の国語の授業で好きな本について書く、なんて作文をやった記憶はあるが、それ以外に思い当たる節は無い。


 サブカルマニア心としては、こういった布教の機会は中々に嬉しいものだ。ただ、俺個人としては勧めた作品が勧めた相手にとって面白いか楽しいか、どういう形でも構わないがポジティブな感想を持ってもらえるか、という事をやはり考えてしまう。


 水野さんの言葉で気が楽になったのはそれが理由だ。何とも身勝手な話だが、正直言って他人の感性にまで責任は持てない。


 もしかすると、そんな俺の不安、不信感を水野さんがそれとなく汲み取ってくれたのかもしれない。


「ここには、よく来るんですね」


「あれ?そんな事言ったか?」


「いえ、聞いてはいませんけど、かなり慣れていないと案内も見ないで迷わず目当てのコーナーまで行けるような所じゃないですし」


「あぁ、なるほど確かに。自分の好きな本を人に教えるのが凄く久しぶりで、勝手に楽しくなってた」


「典型的ボッチのそれじゃないですか……気持ちは分かりますけど」


「嫌なところで似た者同士だなぁ……」


 他人事のように呟きつつ、出版社ごとに陳列された棚へ視線を流す。


「因みに、どんなジャンルが良いとかは?」


「えっと……チート主人公以外なら何でも構いません」


「オーケー。そうだな……それならまずは」


 言いながら、俺はとりあえず新刊が待ち遠しくて堪らない一冊を探す。


 出版社こそ分かっているものの、同じ背表紙の中から目的の物を探し当てるのは若干骨が折れる。


「これかな。主人公最強スタートだけど、特に理由無く強い訳じゃないし、敵もちゃんと強い」


 棚にこれでもかと並べられた中から見つけた目当ての本を抜き、水野さんに渡しながら軽く説明を入れていく。


「あ、これ迷ってたやつですね。ちょっとマイナーですけど、評判は良いですよね」


「そうだな。ライトノベルという割にはライトじゃないから、活字慣れしてない人にはちょっと辛いかもしれないけど」


「その心配はジャンルの心配より要りませんね」


「だよな」


 それはそうだろう。水野さんの読み進めるペースがかなり早いのは知っている。正直、俺があの速度でページを送ったら、読み進めているというより読み飛ばしている感じになってしまう。


 俺自身は平均より文字に慣れているつもりだが、水野さん程の筋金入りではない。


「じゃあこれと……あと二つくらい教えてもらえますか?」


「二つか。難しいな……」


「だったら、同じ系統はナシっていう条件ならどうでしょう」


「なるほど。差し当って、次は異能力バトル禁止縛りってことか」


「そういう事です」


 こうやって条件を追加してくれるのは正直有難い。ライトノベルと一口に言ってもその幅は広く、星の数程とは言わないまでも数え切れるような量ではない。


 要するに、絞り切れないのだ。だから、予め条件を絞って貰えるのは助かる。


「そういう事なら……これとかどうかな。一巻完結だけど、王道オブ王道の恋愛モノ」


「ラブコメではないんですか?」


「どうだろう……ラブコメかもしれないけど、コメディって言う程かと聞かれると断言できない」


「それで、恋愛モノですか。王道っていうのはどういう意味で王道なんです?」


「全体的に、としか言えない。王道だから見慣れた感じではあると思うけど、見飽きた感じではなかった」


「良い意味でテンプレ、っていうあれですか」


「そうそう。あと、同じ出版で同じ装丁のやつは大体当たりだと思ってるからその辺も」


「確かに、これじゃないのは一冊読んでみたのがありますけど、良い感じでしたね」


「ヒロインが小さくなってるやつ?」


「それです」


「確かにあれは良かった。そして個人的な事を言わせてもらうと、それより今言った方が好き」


「それは、期待大ですね」


 話している内いつの間にか、水野さんの表情が少し楽し気なものになっている。


 俺も、滅多に無い機会に心が躍っているのだ。水野さんからしてもそれは同じなのだろう。


 日常的に無いイベントがあると楽しくなってしまうのは陰キャラの必定なのかもしれない。


「さて、次かな?」


「そうですね。次は異能力バトル系と、恋愛モノが無し……と思ったんですけど、恋愛要素が全く無い作品ってありませんよね?」


「確かに。ラノベだと無いな……じゃあそれメインじゃないやつって事で?」


「それでいきましょう」


「とは言え、中々難しいな。異能力バトルが無くなるだけでかなり絞られるし、恋愛メインじゃないのってなると……スポーツ系か?将棋とかもあるけど」


「将棋は読みました」


「だよな。じゃあスポーツかミリタリーか……ギャグコメディってのもあるか」


「ギャグコメディなら、生徒会室から出ないやつは読みましたよ」


「あぁ……じゃあスポーツ系しか無いな。ミリタリー作品は殆ど知らないし」


 やはり、流石に筋金入りの本の虫。有名どころはキッチリ抑えている。


 そういう意味で考えると、著者レベルまで有名な作品はかなり厳しいのではないだろうか。


「そういえば私、スポーツが題材の小説って殆ど読んだこと無いです。バスケットボールのやつくらいしか」


「多分、同じ作家で卓球もあるけど?」


「そうなんですか?バンドのがあるのは知ってましたけど」


「ある。そのバスケとバンドって組み合わせで確信した。新しく卓球を題材にしたのを書いてる。もしかするとイラストが変わったから気付かなかったのかも」


「イラストレーター違うんですか。そしたら、それ教えてもらえますか?」


「分かった。多分、最新刊は平積みされてると思うんだけど……うん、あった」


「確かに絵が変わってますね。随分雰囲気の違う感じになって……絵で見てたつもりは無かったんですけど」


「まあ特徴的というか、好みは分かれるけど目立つイラストだったから、仕方ないんじゃないかな。俺も最初見た時はビックリしたし」


「ですよね。じゃあこれも……えっと、他に何かこれは外したくないって作品ありますか?」


「そこまで強く推したいのは、他には無いかな」


「分かりました。そしたらこれお会計済ませてきますね」


「じゃあ、俺はここで待ってる。あ、急がなくていいから」


「はい。行ってきますね」


 抱えるように本を持ち、レジの方へ向かう水野さん。


 長い髪が、その歩調に合わせて不規則な流線軌道を描く。


 レジは混雑していて、ちょっと時間がかかりそうだ。だからこそ急がなくていいと言ったのだが。


「まあ、気長に待ちますか」


 後ろ姿を見送りながら誰にともなく呟くと、不意に背後から声がかかった。


「あれ?澤木じゃん。休日に外出たりするんだ。家に引きこもってばっかりなのかと思ってた」


 星川楪。この間の朝、水野さんに関して何やらグチグチ言ってきた同級生。


「余計なお世話。というより、そっちが本屋に居る方が驚きだ」


「なにそれ、失礼な奴。アタシだって本くらい読むし」


「因みにどんな本だ?」


「ファッション誌~、占い~、あと漫画とか読むかも?澤木はどんな本読むん?」


「小説」


「うぇ~……つまんなそう。文字ばっか読んで楽しい?いや、楽しいから読むんだろうけどさ?」


「そうだな」


「そうやって会話切る~。だからコミュ障とか陰キャとか言われるじゃん?別に人と話すの嫌いって訳でもないのに、なんでつまんなそうにしてんの?」


「そんな事関係無いだろ」


「……ん~でも、ちょい話し易くなったかも?気の合う話し相手でもできた?」


「どうだろうな」


「できたっしょ」


「どうだろうな」


「できたんだ」


「どうだろうな」


「へぇ~……」


 その問いの答えを、俺はあくまでも明確にしない。言われた通り確かにできたが、こんな姦しい奴に馬鹿正直に教えてやる理由は無い。


 どこであらぬこと吹聴されるかと思うと教える事に対してデメリットしか感じないのだ。


 馬鹿馬鹿しい。何故こんな会話に付き合っているのだろう。


 さっさと切り上げてしまいたい。しかし、水野さんにここで待っていると伝えた手前、移動するのは少々気が引けるところでもある。


 早く立ち去ってくれないだろうか。


 その時。耳に覚えのない通知音が響いた。


「ん、アタシだ。えっと~……?」


 どうやら星川のスマートフォンが通知音の発生源だったらしい。


 画面を眺め、何かを確認したかと思えば、素早くそれを鞄に戻す。


「アッキーに呼ばれたから行くわ。またガッコで」


「あぁ」


 アッキーというのは当然ながら呼称である。星川も含めていつも集まっている女子グループの一人、明美、という名前だった筈だが、その人から呼ばれていたらしい。


 軽く別れの挨拶を交わすと、星川は俺の横を通り過ぎて小走りで去って行った。


 本音を言うと、ホッとした。


 正直、また余計な事で突っかかられるのではないかと内心ビクビクしていたのだ。


 そういえば、あの時何故あんな事を言われたのか謎のままだった。そもそも星川が水野さんの事を知っているそれ自体謎なのだが。


 俺が星川と最初に会ったのは高校に入った後で、去年も今年も同じクラスという程度の接点しか無い。


 そういえば苗字でもいいから呼び捨てにしてほしいなんて言われた事はあったか。同級生にさん付けされるのは居心地が悪い、とかそんな理由だった気がする。


 それはいつの事だっただろうか。文化祭か何かの準備で星川が俺に話しかけてきた時に、星川さん、と呼び返したのが原因だったか。それまでは一言も会話をした覚えは無いし、恐らくそこだ。


 まあ、そもそも日常会話で名前を呼ぶことなどほぼ無い。すいません、と声をかければ、それ以降会話が終わるまでの場面で名前を呼ばなければならない機会は訪れないのだ。


 人の名前を覚えるのは苦手ではないが、余り親しい間柄と思われたくないから、極力呼ばないようにしている。


 逆に水野さんを水野さんと呼ぶのに抵抗が無いのは、そう思われることに抵抗が無いからだろう。


 なんて考えていると、星川に続いて再び、会計を済ませて戻ってきたらしい水野さんの声が背後から耳に届いた。


「先輩……」


「おかえり、水野さん」


 言いながら振り返ると、持ち前の長い髪のお陰で若干分かり難いが、暗い表情の水野さん。


 焦点があっておらず、体がフラフラ揺れている。


「水野さん、どこか調子悪い?」


「いえ……その……」


「ちょっと、ごめん」


 先に謝って置きつつ、俺は水野さんの額に手を当てる。同時に逆の手で自分の額にも。


「熱は……無いかな」


「あ、あの……大丈夫。大丈夫ですから。ごめんなさい、心配かけてしまって。でも、何もありませんから」


「それなら、良いんだけど。無理はしなくていいから。辛かったらちゃんと言ってくれ。救急車が来るまでくらいなら何とかするから」


「はい……」


「とりあえず、今日は帰ろうか?随分歩き回ってたし、疲れが出たのかもしれない」


「いえ、あの……っ!……やっぱり……なんでもありません」


「……まあ、無理してないなら良いけど」


「それは……はい。大丈夫です」


「じゃあ、行こうか」


 そう言って歩き出そうとした時。


 キュッっと。今日、偶然一緒になった水野さんが声をかけてきた時と同じように、いや、今度は袖の先を引っ張ってきた。


 そしておずおずと、こんなお願いをされる。


「あの……手、繋いでもらって良いですか?」


「やっぱり体調良くない?」


「そういう訳じゃ……いや、もうそれで良いです。お願いできますか?」


「勿論。なんなら駅まで背負って行こうか?」


「それは恥ずかし過ぎるので勘弁してください……」


「恥ずかしがるくらいの元気があるなら、送るのは駅までで良いかな?」


「……そうですね」


 水野さんからジトっとした視線が刺さる。


 敢えてその冷ややかな視線は無視しつつ、水野さんの手を軽く握って、ややゆったりとしたペースで歩き出す。


「先輩の手、大きいですね」


「まあ、男だから」


「指も綺麗です」


「それは水野さんの方だと思うけど」


「こうして手を繋いでいると、恋人同士みたいに見えてしまうかもしれませんね」


「あぁ、見えるかもな。今はそんな事言ってる場合じゃないけど」


「……はぁ」


「息が苦しいならもう少し歩くペース落とそうか?」


「先輩って、本当にラノベ読んでるんでしょうか……」


「いきなりだな。読んでるけど」


「まあ、良いんですけどね、別に」


 少し不満げな声。本当に小さな抗議の言葉。


 それを聞き流しつつ、俺は元々緩めだった歩行ペースを更に少し落とす。


「水野さんが何を言いたいのか、さっぱり分からん」


「ですよね……なんで最後の最後でそうなんでしょう。でも、ペース落としてくれてありがとうございます」


「どういたしまして」


 それから駅の改札前までは、お互い一言も発する事の無い心地好い静けさと、街の喧騒との間をゆったりと二人で歩いた。


「先輩、今日はありがとうございました。一人の時よりずっと楽しかったです」


「こちらこそありがとう。俺も一人で回るより遥かに時間の経つのが早かった。今度また、一緒にどこか出かけようか。今日みたいに行き当たりばったりじゃなくて、予定立てて」


「は、はい……っ!是非!」


 今まで見た中で、一番の笑顔。水野さんの表情は、やはりパッと見よりも随分大きく変わる。


「じゃあ、今日はここら辺で。今はちょっと良さそうだけど、体の調子悪いかもしれないんだから気を付けて」


「……そうですね。ちょっと名残惜しいですけど」


「名残惜しくない、と言ったら嘘になるけど、すぐに学校で会うだろ」


「そうですね。折角教えてもらったので、本も読みたいですし……」


「読み終わったら感想とか聞きたいな。水野さんがどう思うのか興味ある。あ、だからって急いで読むことないからな」


「それは、大丈夫です。本を読む時は急ぐとか急がないとか殆ど考えてませんから」


「なら良いか……っと。あんまり話し込んでると余計に勿体つきそうだし、そろそろ」


「ですね。では、また学校で、ということで」


「あぁ。また学校で」


 そう言って、改札を抜けて行く水野さんの姿を目で追う。


 丁度抜けた先で振り返って小さく手を振ってくる。俺が同じように返すと、今度こそそのまま階段を駅のホームへ上がって行った。


 俺も、差し当たり惜しむものが無くなって、改札を抜けた。


 時計は、五時過ぎを指していた。

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