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第十三話

「先輩?」


 そんな声が聞こえたのは、俺が自分の机で荷物を片付けている最中だった。


 クラスメイトの半数以上は、部活の為か、アルバイトか、或いはただ単に早く帰りたいだけか、既に教室を後にしている。


 慌てて教室を見回すと、どうも水野さんを敵視している星川のグループも、その例外ではなかったようで、少し安心する。


「どこ見てるんですか?」


「いや、水野さんが教室に居たから、瞬間移動させられたのかと思って」


「リアルにそんなアホな事ある訳ないじゃないですか」


「まあそうなんだけどな。水野さんが教室に来る事なんて今まで無かったから」


「それは……今日はホームルームが無くなったので、早く終わったんです。それで、折角なので迎えに」


「なるほど」


 まあ、星川が居るからだろう。ホームルームが無くなったというのも事実なのだろうが、普段来なかった理由は別にある。


 だからこそ、今ここに居る事が疑問でならないのだが。


「とりあえず行こうか。ごめんな、待たせる形になっちゃって」


「いえ、構いませんよ。先輩が時間にルーズな人じゃないのは分かってますから」


「ありがたい事だ」


「どっちかと言うと、待たせるより待たされる方が気が楽なんですよね?」


「そうだな」


 そんな話をしながら学校を出ると、また違った雰囲気の喧騒が辺りを包んでいる。


 夕方と言うにはまだ少し高い太陽だけが鬱陶しい。


「あと一か月無いくらいで、夏休みですね」


「あぁ、そうだな」


「その前にテストもありますけど」


「厳しいのか?」


「厳しそうに見えますか?」


「いや、全く。学年首位とか普通に取れそう」


「流石にそこまでじゃないですけど、まあ余裕ですよ。学年一位が取れないのは理数系が九割取れないからです」


「なるほど」


 水野さんは、確かに何となく文系特化っぽい雰囲気がある。


 より具体的には、全体的に成績は高いが、理系科目は若干文系に比べると見劣りする、みたいなタイプ。


 そもそも文系タイプは情報を整理する能力が比較的高い筈で、理系科目だからと言って極端に悪い成績になる事はほぼ無い。


 そういう意味で水野さんは典型的な文系タイプと言えるだろう。


「そういう先輩はどうなんです?」


「また上から三番目くらいじゃないかな」


「優等生じゃないですか」


「そうでもない」


「不満ですか」


「いや、不満というか、勉学の成績で一喜一憂する事って無いんだよな……」


「……先輩って、家で勉強とかしないタイプですね」


「よく分かったな」


「学校の授業だけで全部事足りちゃう天才タイプで、でも頑張って勉強してる秀才タイプに抜かれて学年首位は取れないみたいな」


「だって面倒臭いだろ勉強とか。学校で事足りるならわざわざ家でする事じゃない」


「そりゃそうですけど……」


「そう言う水野さんはどうなんだ?家で勉強してるのか?」


「少しだけ。考え方を自分なりに整理して文章化しておくとか、それくらいは」


「なるほど」


 それは、普段俺が頭の中でやっている事だ。わざわざ文字で書き起こしはしないが、つまり水野さんの勉強法はそれなりに正しい筈だ。


 なんて思った時、水野さんがほんの一瞬カチンときたみたいな目を向けてきたが、それは気付かなかった事にした。


「先輩、今『それやってるな。頭の中で』とか思いましたね?」


 気付かなかった事にできなかったらしい。いや、どっちかは分からないが、問答無用でそう問われてしまうと、俺は返事をするしかない。


 沈黙は是なり、というのは嫌な言葉だ。


「まあ……」


「まあ、じゃないですよ。はぁ……なんでこんないい加減な人に神様は才能を与えるんでしょうか」


「神様どうこうはさておき、才能がある人間程いい加減になりやすいだけだと思うぞ」


「分かってますよそんな事」


 そして、世に言う天才という人種は、言ってしまえば自分の才能に驕らず努力を怠らずに研鑽を重ねた末に、結果を得たのだ。


 その点、俺は決して天才には成り得ない。それこそ、いい加減な人だから。


 だが、それでいい。誰かの前に立つ事も厭う様な人間が誰かの上に立つなんて、そんなうつけた話も無い。あってはならない。


 自分の才能への驕りか、他者の人格への驕りであれば、前者の方が良い。誰かの上に立つなんて、小心者の俺には向いていないのだ。


「まあ先輩がいい加減なのは今更なのでどうだって良いんですが。でもそんなに勉強が得意なら教えてくださいよ」


「別にそれは構わないけど、何を?」


「図形問題です。昔から図形だけずっと苦手で……簡単なのは良いんですけど、円とか球と何とかの組合せでどうのこうのとか言われるともう」


「あぁ……まあ、あれはコツを掴めるまでは意味分からんよな」


「じゃあ、知ってるんですね?」


「勿論。レミニス着いたら教科書出して」


「え。あ、その……今日は授業無かったので数学の教科書持ってないです……」


「あ~……じゃあノートでいいか。ちゃんと教科書に沿って教えた方が図形が綺麗に描いてあって分かりやすい筈なんだけど、まあ仕方ない」


「何ならコツだけ教えてもらえれば、あとは自分で何とかします」


「ん、それなら話は早い。あれは、パズルなんだ。最初に欲しい情報は全部揃ってるから、そこから証明問題を立て続けにやっていけばできる。特に……」


「ふむ……」


 よく聞いてくれている。説明は聞きながら、自分が一番わかりやすい形に置き直して整理している様だ。


 考えるのと聞くのに夢中で若干足元がお留守になってしまっているのだが。


 千鳥足とまでは言わないが、歩くペースが乱れたり、ちょっとふらついたりして見ていて危ない。


「……と、こんなところかな。まあ、今言ったのは高校数学の範囲なら通用するだけの考え方で、理数系の大学に行こうって思うなら全然足りないんだけど」


「理数系の大学に行くつもりは無いですし、大丈夫です。とても分かりやすかったですし。ありがとうございます」


「いえいえ」


「……あれ?いつの間にこんなに歩いたんでしょう」


 そう溢した水野さんの視線の先には喫茶レミニス。


 目の前と言う程ではないが、あと三十秒も歩かない内に着く。


「説明を訊いてる間に。ちょっと覚束ない歩き方になってて、見ててちょっと怖かった」


「なんで言ってくれないんですか」


「だって、あんまり集中してるから、邪魔したら良くないかなと思って」


「う……それは……」


 勿論、可能な限り危険が無いように、出来るだけ至近距離で並んで歩いていたし、出来るだけ俺が車道側になるように歩いていた。


 それにこの辺りは車通りが少ない事もあって、実は言う程危ない事も無かったのだが。


「今日は何も無かったけど、特に一人の時はもうちょっと気を付けて歩いてくれ」


「……はい。気をつけます」


 流石に返す言葉も無いのだろう、大人しく頷いてくれる。


 そんな水野さんとレミニスに入ると、マスターがカウンターの向こうで俺達を迎えた。


「こんにちは」


「いらっしゃいませ」


 ふと、水野さんが呟く。


「……うち学校の生徒が居ますね」


「居ますね。お知り合いですか?」


「いえ。でも学内では有名人ですよ」


「俺は知らないが」


「学年が違うと、そういう事もあるでしょうね」


 言外に、人と話をしないし人の話しているのも聞かないボッチだと謗られた気がしたが、それは気にしない。


 水野さんの視線の先には、俺達の学校が指定している制服を身に着けている、白い髪と乳白色の肌の女子生徒。


 因みに、髪はかなり長いのだが、水野さんと無意識に比較してしまった為あまり長くは感じなかった。


 確かに目立つ容姿ではある。


 そして、水野さんの言葉を聞く限りだと。


「一年生なのか」


「はい。隣のクラスです。一年で知らない人は居ないかと」


「綺麗な子だな」


「……浮気ですか?」


「俺達いつから付き合ってたんだ?」


「別に付き合ってはいませんけど……」


「なら浮気じゃないだろ。あと、綺麗って言うのは客観的事実であって感情がどうという問題ではない」


「それは浮気者の常套句です」


 なんて言い合いをしていると、カウンター席の端に座っている雪色の少女がクスリと笑った。


 何が面白くて笑いの琴線に触れたのだろうか。


 と思ったが、マスターも笑いを堪えていた。


「まあ、綺麗な子なのは認めますよ。私と違って。お人形さんみたいで可愛いですし」


「水野さんも綺麗だから。それにしても、お人形さんって……そんなメルヘンな形容詞がまさか現実の人について使われるとは思わなかったな。マザーグースは正しかったのか?」


「まさか。物理的には勿論、比喩だとしてもお砂糖、スパイスくらいならまだしも、素敵なもの沢山でなんて現実の女子は出来てません。マグマと毒薬くらいが関の山です」


「言い得て妙とはこの事。腹黒代表が言うと重みがあるな」


「失礼な。先輩の方が遥かに腹黒いでしょう」


「ちょ、ちょっと。もう勘弁してくれませんか、そのコント。腹痛で仕事ができなくなりそうなんですが」


 その場をそう制したのはマスターだった。今にも大声で笑いだしそうに腹部を抑えて息苦しそうにしながら、俺達のやり取りを止める。


 見れば、雪色の少女もマスターと似たような状態で、深呼吸なんかをしてした。


「まあ、そういう事なら」


「さ、さて……ご注文はお決まりですか?」


「ブレンドを」


「あ、俺もブレンドで」


「かしこまりました」


 言って、まだ少し整いきっていない呼吸を整えつつのマスターがコーヒーを淹れていく。


 俺達がカウンターでいつもの席に腰かけると、例の女の子が声をかけてくる。


「あの……すいません。お隣、よろしいですか……?」


 鈴を鳴らしたような声、というとこんな感じなのだろうか。水野さんよりも少し高く、細い声。


 水野さんみたいなクールっぽさは殆ど無く、フワッとした甘い息遣い。


 俺はつい丁寧口調で返す。


「勿論構いませんよ。どうぞ」


「ありがとうございます」


 水野さんの言っていた有名人という言葉のニュアンスが引っかかっていたのだが、俺の気のせいだったのだろうか。


 敬語ではあるものの、随分と気軽な雰囲気で話しかけてくれた。まさか断られるなんて思っても居ないような感じ。それが失礼だとかは全く思っていないが、違和感を覚えた。


 そこで、後ろから背中をつつかれる。勿論そんな事をできるのは水野さんしか居ない。


「……先輩。私の聞いた彼女の話からすると」


「分かった。マスターが何かしたって事だな」


「……多分、私が『今日先輩と行きますね』って連絡を入れてしまったのも原因です」


「……なるほど」


「聞いていた通り、なんですね。凄く面白くて頭の良い優しい人が来るって、橘さんが教えてくれたんですよ」


「……マスターへの報復は今度考えるとして」


 言って、俺はカウンターの向こうでどこ吹く風のポーズをしているマスターに覚えておけ、と目で伝える。勿論無視された。


「先輩、無駄ですよ。この人はこういう人ですから、何言ってももう聞きません」


「……水野さんがそう言うならそうなんだろうな」


 マスターとの付き合いは水野さんの方が長い。頻度も水野さんの方が高い筈だ。


 その水野さんが俺の意図を察した上で諦めるように促してくる程なのだから、多分何を言っても無駄なのだろう。


 それが善意でなされたらしい行為であるのがまた何とも腹立たしい。


「橘さんは優しい人ですから、あんまりいじめないでくださいね」


「騙されないでください白姫さん。あの人は殺しても死なない悪魔なんです。自分が面白ければそれでいい下衆野郎ですよ。面白がってるのが善意で成り立つ事ばかりなのが唯一の救いです」


「……酷い言われ様だが全くその通りな気がしてならないな」


 ところでアッサリ流したが、水野さん曰く、この女の子は白姫さんらしい。姓か名かは分からない。


「立華、って呼んでください。あと……先輩さん?」


「澤木翔です」


「澤木先輩は、えっと、水野さんと同じ感じで接してもらえると嬉しいです」


「……ん。分かった」


「水野さんは……」


「水野風香です。好きに呼んで頂いて結構ですよ」


「は、はい!では……風香ちゃん、で」


「ふ、風香ちゃん……!?」


 呼ばれ慣れていないのだろう、水野さんが風香ちゃん呼びに愕然としている。


 ちょっと珍しい表情だ。


「ところでリッカさん、六か?立つか?どっちにしても随分涼し気な名前だけど」


「立つ方です」


「なるほど」


「教養あるんですね」


「それほどでも」


 苗字の白姫は冬の女神の名で、名前の立華は雪を指す単語だ。


 彼女の容姿から受ける印象と相違ない。


 そもそも白い髪や乳白色の肌は、俗にアルビノと呼ばれる体質の一種。医学的に先天性白皮症とも呼ばれるそれが、遺伝子疾患である事も、非常に稀な症状であることも、俺は知っている。


 要するに、意思とは無関係に、そういう状態で生きる事を強いられているのだ。容姿以外に現れる症状として、弱視や紫外線などへの対策が必要で、かなり面倒な遺伝病らしい。


 彼女はその赤い瞳も含めて見た限り間違いなくその先天性白皮症に当たるのだが、果たしてどこまで踏み込んで良いものか。


「先輩?何か考え事ですか?」


 ふと、意識を引き戻したのは、そんな水野さんの声だった。


「まあそんなところ。って、あ、本当にボーっとしてたな」


「本当ですよ」


 気付けばコーヒーが俺と水野さんの前に置かれていて、マスターが俺を見て微笑んでいる。


 そしてこう問いかけた。


「白姫さんの事は、知らなくても分かるでしょう?」


「アルビノの事を指してるのなら分かりますよ」


「流石」


「……あぁ、もう分かりました。そういう事ですね」


「私は何も言っていませんが、貴方は随分とお人好しですね」


「勝手に言っててください」


 仕方がないのだ。


 こうも目の前でどっちつかずな現状にソワソワし続けられると、こっちまで落ち着かなくなってくるのだから。


 というのも、立華さんがいわゆる守ってあげたい系というのか、どうにも無視し難い雰囲気を纏っているのだ。


「先輩って、年下に弱いんですか?」


「いや、だって放っておけないだろ」


「……まあ、それは分かりますが」


 納得したように言いつつも、向けられているのは訝しむような鋭い視線。


 それだけが理由じゃないだろうと疑われているらしい。実際その通りなのだが。


「……弱いです」


「素直でよろしい」


「橘さん、この二人のパワーバランスってどうなってるんですか?」


「どうでしょうね。近い方から六四くらいじゃないでしょうか。今はともかく普段は」


「なるほど。風香ちゃんは負けず嫌いなのですね」


「う……その……まあ……」


 分かる。分かるぞその気持ち。


 俺や水野さんは、立華さんのような純心の塊みたいなタイプの攻撃に弱い。


 余り突かれたくない部分を、悪意無く、いっそ尊敬の念さえ含まれるような言葉で貫いてくる。


 そしてそれを咎めるのも躊躇われる。傷つけられている訳でもなければ、貶されている訳でもなく、あくまでも褒める意味でそう発されている事が分かるからだ。


 それにしても、立華さんの純粋さは現代において、また予想される彼女の置かれている環境において、非常に稀有なものだ。今の俺なら煙たく思うだけで、実害が無ければそれ以上何とも思わないだろうが、生まれ持ったマイノリティ的性質を理由にその心理環境が形成されるのだとしたら、今までにどれ程ストレスを感じてきたか、想像を絶する。


 もし、考え得る限りの行為があったとして、以前の俺だったら気を病んでいたかもしれない。考えたくもない。生きているのが不思議なレベルだ。いっそ狂気的とさえ思える。


 彼女の過去には、環境には、必要が無ければ触れない方が良いだろう。


 それに、特別気を病んでいないのは、例えば、学校ではイジメられていたとしても、家には恵まれているといった事は考えられる。それであれば、こんな純粋さを保っている事にも説明がつく。


 絶対的な心の支えというものが無かったからこそ、俺は今の俺になってしまっている訳であるのだから、不思議な事ではないのかもしれない。


「立華さん。幾つか質問していいか?」


「構いませんよ」


「助かる。まず一つ目。マスターから俺達の話を聞いた時、どう思った?」


「え……どう、でしょう。正直、素直には喜べなかったです。あ、でも澤木先輩と風香ちゃんの事はすぐ好きになりましたから、えっと……」


「結果オーライ?」


「そうですね。そんな感じです。今まで、色眼鏡ばっかりで嫌だったんですけど、二人は全然そんな事なくて……凄く嬉しかったんです」


「それは良かった。次に、立華さんは今日会うより前に水野さんの事を知ってたか?」


「えっと、一応……?いつも一人で居る不愛想な人って、クラスの人が言ってました。あと、目元が隠れるくらい髪が長くて不気味だって。実際に会ってみると聞いた印象とは違うって分かるんですけど」


「まあ、私の話だったらそうなるでしょうね。私は、立華の影に隠れて余り知名度は高くありませんけど……。なんか、そういう意味では少し申し訳ないですね」


「そんな、だって風香ちゃんが悪い訳じゃないですよ」


「それを言い出したら、立華だって別に悪い事は何もしていないでしょう?」


「それは……そうですけど。で、でも私は普通じゃないから……」


「だったら、普通って何だと思いますか?普通じゃないのはいけない事ですか?」


「それは……」


 答えは実に簡単なものだ。だが、だからこそ立華さんはそれを言葉にできずに居る。


 それを言ってしまうと、彼女が今まで自分を守ってきた鎧が崩れてしまうのだろう。


 水野さんとのやり取りを聞いて、分かった。立華さんが純粋さを保ち続けている理由が。


 立華さんは今まで、自分を騙し続けてきたのだ。嘘という名の鎧で。常に、悪いのは自分だと、自分が普通じゃないから普通じゃない目に遭うのだと。


 そして、それだけの嘘で済んだからこそ、淀まずに居られた。


 余計な嘘で嘘を肥大化させずに済んだから、それ以上自分を自分の敵にせずに居られた。


 しかし、そうか。そうだとしたら、心の支えの有無は定かでないが、或いはそれ程派手な事は行われていないのかもしれない。


 と、考えながら二人を静観していると、水野さんがいつまで経っても返答をしない立華さんに告げる。


「立華、大丈夫です。何も心配する事なんてありません。この人が、立華に私や先輩を会わせた意味を考えてください。この異常に頭の切れる人が考え無しにそんな事をすると思いますか?」


「思いません。でも、そうじゃないんです。私は……」


「……なるほど。それなら、立華さん」


「はい」


「心の準備が出来るまで待つから」


「……っ!?な、なんですか?澤木先輩、私の事知らなかったって……」


「そうですね。でも、先輩は、こういう人なんです」


「私が初めてここに来た時の橘さんと似た……あれですか?この喫茶店は、人の心が読める人が集まるんですか?」


「いや、俺は水野さんから話を聞いたから」


「殆ど何も話してませんよ……」


「えぇ……澤木先輩って、なんかちょっと根暗なだけの普通の人っぽいのに、そんな事が……?」


「白姫さんもそう思うでしょう?怖いですよね」


「マスターにだけは言われたくないですが」


「私からすればどっちもおかしいです。立華も、この二人は敵に回さない方が良いですよ。基本的には薬でも、使い方を間違えたら危険な毒物ですから」


「そ、そうですね、気を付けます」


「そんな事言ったら、水野さんもかなりだからな」


「そうなんですか!?このお店、何か裏でものすっごい事してたりしますか!?」


「してませんよ。至って普通の喫茶店です」


「そもそも私は先輩にも遠く及びませんから。やっぱりこの二人は別次元ですよ」


 くだらない話。


 何の取り留めも無ければ、特別に有意義でもない。


 だからこそ、直前にあった雰囲気を霧散させるのには丁度良い。


 あのタイミングから俺の意図を察して、そういう風に誘導できる分、やはり水野さんもかなりの傑物だ。


 いや、というよりも。


 空気を読むのが上手過ぎる。今にして思えば、そうだ。今まで違和感を覚える事は無かったが、場を調整する能力が高すぎる。


 俺と水野さんだけの時はそうでもないのだが、何故だろうか。


 浮かんだ疑問に気付かれたのか、水野さんが不意に口を開く。


「立華の家はどの辺りなんですか?」


「駅から下り線で二駅です」


「じゃあ途中までは俺と一緒か」


「そうなんですか?」


「俺は桜花川駅が最寄りだからな。七駅だ」


「私と澤木先輩のお家、意外と近いんですね」


「俺より水野さんの方が立華さんの家に近いと思うぞ」


「そうですね。ここから歩いて十分くらいのところなので」


「わ、近いですね。こんな偶然もあるんですね」


「そうらしいな」


 確かに、これだけ近いというのは中々珍しい事かもしれない。


 小学校や中学校だったら学区内だとかなんかの制約で誰も彼も近所だが、高校になるとそうでもない。遠いところから通っている者も少なくない筈だ。


 特に、進学校でもない割に偏差値が高めな大学への進学率が高く、人気がある学校だ。そんな中でこれだけ家が近いというのは稀なケースだろう。


 と、そんな事を考えていると立華さんが思い出したように声を上げた。


「あ、それだけ近いなら、今度あれがあるじゃないですか、七夕祭り。良かったら一緒に行きませんか?」


 七夕祭りというのは、俺の家から駅と逆方向に少し行ったところにある大きい神社とその周りで毎年やっているあれの事だろう。この辺りでは一番大きい祭りだと思うし、七夕祭りなんて名前を冠しているのをこの辺りで他に聞いた事も無い。


 去年までの俺は一人で行くのもどうだろうと思って、遠くに聞こえる喧騒を開けた窓から聞いているだけだった。


 それはそれで、本を読むのに丁度良いくらいの心地好いノイズだったのだが。


 こうして誘われるなら、偶には足を運んでみてもいいかもしれない。


「あぁ、俺はいいぞ」


「澤木先輩は家も近いですもんね。逆に、風香ちゃんは少し遠いかもしれません」


「遠いのは別に構いません。折角のお誘いですし、私も行きますよ」


「良かったです」


 胸を撫で下ろす立華さんに、水野さんが微笑む。


「明日、駅から学校まで一緒に行きますか?因みに先輩も一緒です」


「あ、い、行きますっ!でも……良いんですか?」


「ダメならこんな事言いませんよ」


「あ、それもそうですね」


 人によっては無愛想とも受け取られそうな水野さんの明け透けとした物言いを気にも留めず、立華さんは頷く。


 立華さんは、よく表情が顔に出るタイプだ。作りものの表情でも無い。


 正直者というのか、愚直というのか、人の悪意に晒されながらも純粋さを保っている立華さんらしいと言えるだろう。


 俺とは、明らかに違う。


 眩しい人だ。


 だから、オブラートのストックが極端に少ない水野さんの言葉に不快感を覚えていない事もよく分かる。


 そんな観察に耽っていた俺に、マスターの声が届く。


「皆さん、そろそろ時間を気にした方が良いのでは?」


「あ、そうですね」


「私も、そろそろ帰らないとです」


「なら、今日はこの辺で」


「ですね」

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