第十四話
「先輩、おはようございます」
「おはよう。水野さんが先に来たか」
「みたいですね」
朝、いつも通りに駅前の広場で待っていると、先に現れたのは水野さんだった。
立華さんが昨日した約束を忘れるようなタイプとは思えないし、帰り際に交換したメッセージアプリの連絡先を使って時間も伝えている。
どちらかと言えば、俺や水野さんが早い行動を心掛け過ぎているのだろう。
それから日傘を差した立華さんが姿を見せるまで、十分ほどかかった。
昨日の帰りにも同じ日傘を差しているのを見たが、こうして強く傘の柄を握っているのを見るとやはり立華さんがメラニン欠乏症である事がよく分かる。人によってその重度が違うが、外を歩けるだけマシとも、日傘を落とす事に恐怖を覚える程重いとも考えられる。
そんな立華さんが、少し不安そうに声を掛けてきた。
「おはようございます。あの、遅刻しちゃいましたか……?」
「おはよう。遅れてないから安心してくれ。充分間に合ってる」
「先輩は待たせるのが気持ち的に嫌だそうで、早く来て待つ癖があるんです。気にしない方が良いですよ」
「でも、風香ちゃんも……」
「私も先輩と同類ですから」
そうでもなければ待ち合わせの二十分前に来たりしないだろう。と心の中だけで水野さんにツッコミを入れておく。
ライトノベルで、楽しみ過ぎて早く来ちゃった系のシチュエーションがあるが、あれは正直理由として弱い気がする。会うのが楽しみなのであって、どちらかと言えば待つのは苦だ。
だからと言って、待っている相手を急かすというのも少し違う。
俺は本を持ち歩いて待つ間に読んでいたりするし、最近はスマートフォンなんかもあって、誰が誰を待つにもそれ程苦ではないのかもしれないが。
「そういう事だから、別に今度一緒に登校する事があっても今日と同じくらいに来てくれればいいから」
「はぁ……」
若干納得のいかない様子。
これは次から少し早く来そうだ。別にそれを止めるつもりもないが。
「とりあえず行こう。立ち話で遅刻とか笑えない」
「そうですね」
「ですね」
ハッキリと返したと、ふんわり返した立華さんと、三人で学校へ向かう。
いつもは水野さんと二人だから、少し慣れなく、落ち着かない。
だから何だという話ではあるが、水野さんだけとは少し勝手が違うのも確かだ。
と言うのも、昨日の帰りに駅までの道で分かった事だが、立華さんの歩くペースは少しゆったりとしている。
水野さんが男の俺に並んで普通に歩けるくらい早足なのに比べると、立華さんのそれは随分と遅く感じた。勿論、日傘を差していたり、様々な要素から考えてもそれは致し方の無い事でもある。
「そうしていると、お嬢様みたいですね」
「お嬢様か。確かにそれっぽいかもしれない」
「お嬢様ですか~……雪女とか吸血鬼みたいとは、よく言われるんですけど、お嬢様は初めて言われたかもしれません」
「そういえば吸血鬼像ってアルビノのイメージがありますよね。不思議な事に」
「逆なんじゃないか?今も昔もマイノリティを共通の敵にしたがるのは一緒だとしたら、白い髪と肌の人が迫害されていたって不思議じゃない。でも相手が人間だと据わりが悪いから、日を浴びられなくて髪と肌の白い赤い目の奴は血を吸う化け物だって事にして……っと、ごめん立華さん」
「え?あ、いえ、全然。お気になさらず。むしろ興味深いお話でしたし」
「そうか?それならいいんだけど、遠慮とかしなくていいからな?」
「してませんよ。大丈夫、大丈夫です。それより、吸血鬼についてそんなに考えを持ってる方が驚きました」
「先輩の事ですから、ファンタジー好きが高じて、とかでしょう。異種族のキャラとか好きそうですし」
「否定はしない」
異種族キャラというのは創作物の中だけの存在。その分、現実を生きる人間にとっては人間のキャラよりも特別感がある。
それに、現実にある文化からそういった存在について考えるのは非常に面白いものだ。
「澤木先輩の好きな異種族ってどんなのですか?」
「吸血鬼と悪魔、天使、獣人とか」
「……因みに人間はどうですか?」
「同じくらいだ」
「ちょっと意外かもしれません」
「あ、立華もそう思いますか?」
「人間より面白い生き物なんて居ないだろ?」
「……前言撤回しますね」
「私も、今の発言で全く意外性が無くなりました」
「そういう事だ」
別に、悪い意味でだけ言っているのではない。
清も濁も人間の在り方だ。
余りに多様な価値観や、理性に近い小さな欲望が複雑に絡み合う人間の心理というのは、考えれば考える程面白い。
自覚の有無はともかくとして、多くの人間が見かけよりも様々な事を考えて生きている。
それが堪らなく面白い。俯瞰している分には、思い通りにいかない事への憤りを感じている人間なんかが特に滑稽で愉快だ。
「澤木先輩、悪い顔になってますよ」
「元からこの顔だが」
「そういう意味じゃなくて」
「あ、いや……分かってるけど」
「……あ、今のジョークだったんですね。風香ちゃんの時と同じ調子でされると、真顔過ぎて分かりませんね」
「先輩は発言の意図くらい大体分かった上でとぼけてますから『あれ?』って思ったら冗談の類だと思えば大丈夫です」
「なるほど……」
「なんだそれ。俺は知らないぞ」
「と、言ってますけど、全部演技です。私も何度か騙されました」
「そんなつもりは無いんだが」
「これもですか?」
「そうですよ」
水野さんが、俺が言葉の裏に隠した部分をどんどん明るみに出していく。ちょっと勘弁してほしい。
しかも困った事に、表立って否定する事もできない。
いや、これくらいの事ならまだいい。もっと致命的なものを俺は抱えているのだ。
そればかりは、どうしても看破される訳にいかない。
「澤木先輩って、能ある鷹、なんですね」
立華さんのその言葉に、心臓が跳ねる。まさか、と思ったが。
「……どうだろうな」
「それだけ頭がいいのに、なんで頭悪いフリなんかしてるんですか?」
「フリじゃないからだろ?」
「なんで、本気出さないんですか」
そこまで聞いて、俺は安堵した。
何も、見抜かれた訳では無いらしい。そもそも今まで底の底まで見破られた事は、あのマスターにさえ無い筈だ。
深く溜め息を吐き、返す。
「俺はいつでも本気だよ」
「あれ……?」
「なんだ?」
「いえ、その……なんでもありません」
「そうか」
釈然としない様子で、言葉を失った立華さん。
それに、水野さんも違和感は覚えていないらしい。
まだ暫くはバレないだろう。マスターなら、今ので勘付いたかもしれないが。
それ以降、特に会話も無く、ただ静かに学校までの道を歩いた。
――――――――――。
「澤木って、ああいう変な子に懐かれやすいんだ」
「何の事だ?」
教室に入ると、いつもの星川のそれに、立華さんに向けられたものが加わった。
「吸血鬼か雪女って呼ばれてる子。日傘のせいで見えなかったけど、日傘差してるのなんてあの子くらいだし。まあ、私個人としてはあの子に何も思う所は無いんだけど」
暗に、いや無意識だろうか、水野さんに対しては私怨があるというような事を仄めかしてくる。勿論そんな事は言われるまでもなく知っているのだが。
「一緒に居たら悪いのか?」
「や、別に悪いとは言ってないっしょ。ただ、クズとか雪女とか、変なのばっかり掴まえてるから」
「星川に関係があるのか?」
「無いけど、気になる。澤木ならもっと羨ましがられるような子でも捕まえられそうだし」
「そんな事の為に?」
「そんな事?大事な事っしょ、周りの目って。ナメられたら嫌じゃん」
「まあ、ナメられないに越したことは無いけどな」
それよりも重要な事は幾らだってある。周りからどう見られようが、どう思われようが、言われようが。もっと大事なものはある。少なくとも俺にとってはそうだ。
勿論、それが星川の価値観なら勝手にしたら良いだろう。それに俺を巻き込みさえしなければ。
鬱陶しい、というのが正直な感想ではある。
ただ、それをおくびにも出さずに返した俺も俺なのかもしれない。文句があるなら言えば良いというのは正論だ。
それでも、余計な干渉をしないのは、余計な干渉をされるのが嫌だからである。
「でしょ?まあ、澤木の言いたい事も分かるけどさ、少しは気にしなよ。あの子達のどっちを選んでも、澤木が損するだけだし」
お前と比べたら遥かに人間ができているだとか、自分が損するだけで済むならそれで構わないだとか、言いたい事は色々あった。
だが、噛み殺す。
こういう口と尻の軽そうな類の人間には特に、絶対見せてはいけない負の側面だ。
自覚はある。自分が決して温厚な人格者ではない事くらい、分かっている。
だからこそ、普段はこうして本心を隠して過ごしているのだから。
いつか、俺が今のようになっていく過程をずっと見ていた人が、俺にこう言った。
道化師、と。
それは良い、と思った。実際、俺が目指したのはそれだった。
果たして、今の俺は道化師であるだろうか。
大丈夫だ。仮面は破れていない。
「そうかもな」
「だったら……」
「でも、それは関係無いんだろ?」
「そ、それは……い、いや、ある!あるから!」
「なら、どう関係あるって言うんだ?」
読めてきた。星川の言葉に秘められた意思が。
今の俺に、それを下らないと切り捨てる事はできないが、それでも答えは決まり切っている。
そして、俺の問いに星川は答えられない筈だ。少なくとも、この場では。
「……今日、帰りに屋上に来て」
「あぁ」
想定と少し違う形にはなったが、まあそう変わらないだろう。
丁度、聞きたい事もあったところだ。
――――――――――。
放課後、星川に言われた通り、俺は屋上に足を運んでいた。
数分遅れて、その星川もやってくる。
「お待たせ。ごめんね」
「それ程待ってないから安心してくれ」
「ならいいんだけど」
「さて、本題に入る前に、一つ聞かせてくれ」
「ん?」
「水野さんと、何があったんだ?」
「あ~……それ、ね。なんで?」
「……正直、星川が理由も無く人を嫌う奴とは思っていない。だから、水野さんを嫌っている理由を知りたい」
「あのさ、澤木があの子に肩入れしてるのは、知らないからって事でいいの?」
「知らない事を断言することはできないな」
当然の答えを返すと、星川は納得と諦観が混ざったような視線を向けてきて、口を開く。
「……まあ、話そうかな。澤木、きっと騙されてるんだよ、あの嘘吐きに」
「と言うと?」
「あの子は、アタシの妹と、妹がその時付き合ってた子を別れさせたの。確か、男の子の方に、妹が二股かけてるって嘘吹き込んで騙してね」
今の水野さんからは考えもつかないような行動だ。
だからと言って、星川の言葉に嘘は感じられない。
「それは、その妹さんから?」
「そ。まあ、聞いただけだけど、柊……アタシの妹の名前ね、柊はアタシには嘘言わないから」
「なるほど」
その姉妹の絆を信じるなら、今の話は事実だろう。
ただ、考えにくい、というのが正直なところではあるが。
「因みにそれはいつの話なんだ?」
「二年くらい前かな」
「二年……」
それくらいあれば、人間が変わるのには充分だろうが。果たして水野さんは二年前、何をしたのだろう。ただ分かっているのは、何が真実で何が嘘であっても、水野さんが星川の不興を買ったという事。
俺が水野さんに騙されているというのは、考えにくい。確かに、弱者を装っているという意味ならそうなのだろうが、取り入るにせよ陥れるにせよ、タイミングは今までに幾らでもあったのだ。
目的も無いのに他人を騙すなんて事は全くリスキーでメリットが無さすぎる。誰かを傷つける事に快を覚えるようなタイプでもないだろうし。
「まあ、そういうことだから。あの子、澤木の事もどうにかしてやろうとか思ってるかも。もしかすると骨までしゃぶられるかもよ」
「危険だと思ったら身を引く」
「澤木なら、そうだよね。さて、じゃあ、本題に入っていい?」
「あぁ、構わない」
俺が頷くと、星川は目を伏せて、かと思えば勢いよく見開く。
決めてきた覚悟を改めて確かめた、というところだろうか。
「アタシは、澤木の事が好きだ」
「……悪いな。俺は、星川とはそういうつもりじゃない」
「……アタシなら、あの子みたいに騙したりとかしないよ。受け容れてくれるなら、カラダだって」
「それは問題じゃない」
「だったら、なんで」
「……言っていいんだな?」
星川は、無言で頷く。
「価値観が苦手なんだ」
「価値観?」
「朝、教室で言っただろ。周りの目がどうとか、ナメられたくないだとか」
「で、でも澤木もッ!」
「ナメられないに越した事はないとは言ったけどな、それが重要だとは言ってない」
「う、そ、そういえば……確かに……」
「それに、さっき体をダシに使っただろ」
「あ、あ~……そっか、そう……澤木は、よく考えたらそういう奴、だよね……。イイヤツ過ぎるっての……」
「……まあ、恨んでくれていい。ただ、それこそ、星川ならもっといい男を捕まえられるだろ」
それは、優しい慰めのような追い打ちになった筈だ。もし、星川の俺への気持ちが本物であるなら。
良心は痛むが、無為な希望を残すよりは遥かに後腐れしない筈だ。
「そんな言い方……アタシには、澤木よりいい男なんて居なかったのに……」
「そのいい男ってのは、告白してきた女を手酷くフるような奴の事なのか?」
こういう風に相手を傷つけるのは、苦手だ。相手に自分の気持ちを否定させるようなやり方は。
俺の評価が下がるのは別段構わない。
クラスか学年単位で少し俺への風当たりが強くなるだけの事だ。その程度を苦にするなら、そもそもこんな生き方はしていない。
だから、俺は後で自分が痛い目に遭う事も厭わずにこういうことが出来てしまう。
事実、星川は言葉を失っている。
「答えられないなら、そういう事だ」
吐き捨てるようにそう言って、俺は踵を返す。
そして、屋上のドアノブに手を掛けようとした瞬間、俺はもう一度振り向いてしまいそうになるのを必死に堪えた。
「アタシの気も知らないで……ッ!」
著しい怒気を孕んだドスの利いた声が、俺の耳に響く。
その言葉が、奇しくも俺を今の俺たらしめるに至った理由と言えるものと同じだったから。
激しい後悔と自責の念が蘇る。
だがそれは、星川への罪悪感から来るものではなく、過去に囚われた者の弱さだった。
「悪いな」
切り捨てる様に、最低限にさえ満たない心の無い謝罪だけを残して、俺は屋上を後にした。




