信じる心
私は、込み上げてくるものを抑えられなかった。
温室の時と同じだった。
何もしていないのに、証拠もないのに、私だけが疑われてもおかしくない状況。
きっと、デイビット様なら私が犯人だと決めつけていた。
「マリサ。一緒に学園を見て回りましょう。……大丈夫です。絶対に見つけます」
「はい……、ありがとうございます……」
「お礼なんて必要ないです」
ユウト様の声は私を慰めるような口調だった。私の肩に手を置こうとして、けれど手を宙に彷徨わせ、結局ガラスケースを確認した。
「壊された形跡はありません。魔力をうまく使って鍵を開けて、持ち出していますね……。相当な魔力技巧者です」
私の頭の中で浮かんだのは、魔力が強力かつ技巧者であるデイビット様だった。あの人は確かに面倒な人だ。でも、こういった自分の正義に反することはしない。
「部員なら、勝手に持ち出す必要がない。僕に言えばいいだけです。それに……この子が僕にとって希望だって、みんな知っていますから」
「希望……」
ユウト様の言葉がとても重く感じられた。その横顔はとても同い年に見えないほど大人びていた。
触れたら脆く儚く壊れてしまいそうな雰囲気なのに、とても力強いオーラを感じる。
とても芯が強い人――私はそう思った。
あのケースの中にいたのは、ただの可愛いぬいぐるみじゃないんだ。それがひしひしと感じられた。
「……失礼、マリサさんにも今度お話しますね」
「はい」
部室を出ると、廊下の向こうからカツ、カツという足音が聞こえてきた。
私はその人の顔を見て、内心うんざりしたけど、顔に出さないようにした。
「そこで何をしている! ……またお前か、マリサ嬢」
風紀委員の腕章をつけた令嬢が立っていた。
長い金髪を高く結い上げ、青い瞳にきつい光を宿している。伯爵家の令嬢であり、騎士団長の娘の――ロゼッタ・グランスタ様だ。
学園でも有名な風紀委員長で、規律に厳しく、誰に対しても容赦がない。
そして――私のことをひどく嫌っている。なぜなら……デイビットの幼馴染であり、デイビットの一人目の浮気相手だったからだ。
デイビットを心の底から愛している。だから、決闘をしろ、と言われた中等部時代を思い出してしまった……。
「朝から騒がしいですね……、マリサ、あなた、また問題でも起こしたの? あの時みたいに」
温室の事件を言っているわけじゃない。中等部の時の事件のことを言っているんだ。私が……ロゼッタ様のリボンを盗んだ、という騒動。
私が何かを言おうとした時――ユウト様が一歩前に出た。
「失礼、ロゼッタさん。ちょっと研究室の『物』が無くなったから探しているだけ――」
ロゼッタ様はユウト様の前にずいっと踏み込み、鼻を鳴らし……侮蔑の目で私を見た。
「はんっ、泥棒猫はどこへ行っても泥棒猫ですわね! これで何度目なのかしら? あなたの周りで『物』が無くなるのは? 今度はどんな言い訳をするのかしら?」
「ロゼッタ様、私は――」
「黙って頂戴。あなたは私よりも下の家柄よ。私に喧嘩を売るというのでしたら、家ごと買いますけど? それに婚約破棄されたと思ったら、今度は公爵家に取り入る薄汚さ……、本当にデイビットはあなたから解放されてよかったわ……」
私は目を閉じて唇を噛んだ。口の中で血の味がした……。
なんだろう、心の中は萎縮しているわけでもない、怖がっているわけでもない。
ただ、父に謝ろうとしている自分がいた。
――父様、ごめんなさい。私、もう我慢はしません。
魔力を一瞬で高め――詠唱を《《破棄》》して魔道具を展開しようとした瞬間――
肩に温かいものが触れた。
その瞬間、私の高まりかけた魔力はふっと散って、展開しかけた魔道具が弾けるように消えた。
肩を優しく押されて、ユウト様が私を守るように前に出た。髪をかき上げて優しい顔つきが――変わった。
制服をバサリと脱ぎ捨てる。シャツにびっちりと覆われた筋肉隆々の身体が私の前にあった。
「――ロゼッタ……、聞き捨てならない。俺の大事な部員に喧嘩売っているのか?」
口調が荒々しく変わるユウト様。ロゼッタ様が後ずさる。
「ち、違いますわ、そ、その、過去の経験と私の勘が……そ、その……」
「ロゼッタ……、お前は優秀だ。それは色恋沙汰が絡まなければ、だ。……まさか私情で委員会の仕事をしているのか?」
「い、いえ、そんなことは……」
ユウト様の魔力の圧が凄まじかった。
「――決めつけるんじゃない。俺は――マリサを信じる」
魔力圧が廊下を吹き抜ける――ロゼッタ様はその圧によって動けなかった。今度は私がユウト様の肩を軽く触った。
ユウト様は少し驚いて振り向いた。
「心配してくださってありがとうございます」
と、その時――
「にゃ〜ん」
という鳴き声が聞こえた。
私とユウト様が顔を見合わせた。ユウト様の魔力によってシロにゃんが反応したのかもしれない。
その時、階段の下の方から聞き覚えのある声がした。
「ちょっと、いきなり走りだしてどうしたの! もう、動かないで! ちょ、どこ行くの! デイビット様にプレゼントするんだか……、え……?」
犯人は現場に戻る……。妹のフィオナが……シロにゃんを後ろに隠して、ごまかすように笑っていた。確かにフィオナの魔力の強さだったら、鍵は開けられる。
「あら、ロゼッタ様、ごきげんよう! え、えっと、あはは、し、失礼しますね」
私はツカツカとフィオナに近づく。フィオナの顔が真っ青になる。逃げようとしたところを、ロゼッタ様が捕まえた。
「……ユウト様、探し物はこちらでしょうか?」
襟首を掴まれたフィオナが肩をすぼめていた。ユウト様がシロにゃんを抱きしめる。
全身から安堵の空気が流れた。「よかったです……」という絞り出すような声が聞こえてきた。
「ち、違うんです! わ、私、姉様から借りただけです! だって、姉様の新しい部活だから、私だって遊んでもいいじゃないですか……。デイビット様は忙しそうだし……構ってもらいたかったんです……」
突然、泣き出したフィオナ。私はそんなフィオナに近づいて――言葉を放った。
「もう、嘘には騙されてあげません……」
呆然と私を見つめるフィオナ。
「……フィオナ、これは完全にやってはいけないことですわ。……あなたはユウト様から大事なものを奪おうとしたのです」
「で、でもっ、私……」
と、その時、廊下から聞き慣れた足音が聞こえてきた。それは段々と早くなり、駆け足に変わる。
デイビット様が私たちの前に現れた。フィオナの顔が花が咲いたような笑顔へと変わる。
デイビット様は私を一瞬見た後――ユウト様を見て嫌な顔をしていた。
「ロゼッタ。この状況は?」
ロゼッタ様がデイビット様に耳打ちをする。そして、デイビット様は自分の髪を強く掻きむしり、大きなため息を吐いた。
「……俺は正義感が強い男だ。不正は許さない……。くっ、この場は俺の顔に免じて許してくれ」
「で、でも――、あっ……」
フィオナはデイビット様の様子を見て、やっと自分が大変な過ちをしでかしたと悟ったみたいだった。
デイビット様がフィオナを連れて、足早に去っていった。去り際、なぜか視線を感じたけど、何か用があったのかしら?
「……今日は見逃してあげるわ」
ロゼッタ様もそう言い捨てて、廊下を去った。最後までユウト様と目を合わせようとしなかった。
廊下に残ったのは、私とユウト様、それにユウト様の腕の中に抱かれたシロにゃんだけだった。
さっきまであんなに騒がしかったのに、不思議なくらい静かだった。
「……無事で、よかったです」
そう言うと、ユウト様はシロにゃんを見つめたまま、小さく息を吐いた。
「はい。本当に……よかったです」
その声は、さっきまでの荒々しい口調とは全然違って、いつもの静かなユウト様の声に戻っていた。
私は少しだけ迷ってから、口を開く。どうしても聞きたいことがあった。
「ユウト様、どうして……すぐに私を信じてくださったのですか?」
ユウト様は穏やかな笑みを浮かべていた。
「だって、あなたはそんなことをする人じゃないでしょう? さあ、教室へ行きましょう。……あっ、さっきのロゼッタとの会話は内緒ですよ?」
胸の奥がじんわりと熱くなった。
ユウト様の態度が、今の私には痛いほど嬉しかった。
「……だって、君は僕と一緒なんですよ」
「え?」
「ううん、なんでもないです。じゃあ、今日の放課後は、僕の昔話でもしましょうか? 誰も信じられない男の話を」
「にゃんっ」
シロにゃんがユウト様に抱きしめられ、私に向かって何かを伝えようとしていた。なんだろう、その仕草が本物の動物みたいに思えた。
私の顔がぎこちなく動いたような気がした――
あの日、ううん、もっと前から私の笑顔は死んでしまった。感情を殺し、私はずっとずっとデイビット様のために生きていた。
ふと、目元が濡れていた。悲しみなんて無理やり抑えればいい、怒りなんて飲み込めばいい。優しさなんて……期待しなければいい……。
そんな私が――泣きながら――手を振って――
「は、い……。また、放課後、に……」
「……その顔のほうが、ずっといいです。教室まで送ります」
ぎこちなく笑っていたみたいだった――




