公爵家のユウト
「やっぱりこの時間に起きちゃったわ」
日が昇る前の時間。デイビット様の婚約者であった私は、毎日この時間に起きていた。
侯爵家に行くための準備、それに自分自身の私的な時間は限られていたからだ。
勉強、魔法の鍛錬を一通り行った後、水晶端末で帝都の貴族の動きや、政治経済のチェックをする。
一日だって同じ日はない。
デイビット様に手紙を毎朝渡していた。それはある意味、私のルーティーンでもあったから、苦ではなかった。特に報告するようなことがない日でも、私は何かしらの文章を書いていた。
婚約破棄宣言――婚約継続をしていた創立祭前でも、手紙だけは必ず書いて従者に送らせていた。
でも今日は、その必要がない。
机の前に座ったまま、私はしばらく何もせずにいた。胸に手を当てる。
――デイビット様との婚約破棄を考えても、心が乱れていない。うん、私は本当に氷の心を手に入れてしまったんだ。
元々、私は表情が豊かではなかった。周りは私を見ていなかった。だから私が笑う必要は無かった。
左手はまだ少し痛む。温室でぶつけたところが鈍く熱を持っていた。魔法は万能ではない。だから、魔道具の研究が面白いんだ。魔法では手が届かないところも、魔道具では手が届く可能性がある。
「あらっ、そうだわ。手紙じゃなくて、色々なものを書いてみようかしら」
小説でもいい、レポートでもいい、研究でもいい、学園の恋愛事情でもいい、何でもいいから書こう。
「その前に勉強と鍛錬をしないといけないわね」
時間が経つのが早かった。デイビット様が好きだったストレートの髪型はやめて、帝都で流行りの髪結いをした。
薄く化粧をして部屋を出る。
昔は違ったけど、今の帝都の貴族は中央集権だ。領地経営なんてしない。貴族は国政の重要なポストについている。
キリサキ子爵家の侍女は数が少ない。元々は裕福な資産家だったけど、父が投資詐欺に騙されて、潰れる寸前まで陥った。私も父を手伝ってなんとか盛り返したけど、まだまだ借金はある。
部屋を出ると、フィオナとばったり会ってしまった。フィオナは苦い顔でうつむく。
私は驚いて、開いた口が塞がらなかった。こんな時間まで屋敷にいるからだ。
「フィオナッ、早く出ないと遅刻ですわよ? デイビット様はお時間にうるさいですわ」
「そんなのわかってるって! なんで起こしてくれなかったの!」
フィオナがイライラした様子で私の横を走って通り過ぎた。……やっぱり、教室でのしおらしい態度は……演技だったのね……。
私は深呼吸をして気持ちを切り替えた。
お父様がそんなフィオナを見送っていた。……昔からそうだ。私は手間がかからない子と言われ、フィオナしか見ていなかった。
……お父様は本当にフィオナに甘いのですから。
でも、それで良かった。本当の自由を手に入れられたから。
***
「そういえば、私ってお友達が誰もいないですわ」
学園は何事もなく過ごし、放課後を迎えた。むしろ、デイビット様のそばにいなくて良くなったから、手持ち無沙汰感はある。
私はもう生徒会室へは向かわなくていい。そのことが、自分でも可笑しいくらい新鮮だった。
廊下を歩いていると、生徒会の役員とすれ違った。相手は何か言いたそうな顔だったけど、それでも結局、何も言えずに頭を下げた。
私は微笑みだけ返して、そのまま通り過ぎる。
特に大変な仕事ではなかったけど、生徒会は面倒な仕事には変わりなかった。もう自分には関係ない仕事はしなくていい。
そのことを考えると、足取りが少し軽くなった。
「やっぱり、ちょっとだけ嫌だったんですね」
と、そんなことを考えているうちに、魔道具研究部の部室に着いた。中から何やら慌ただしい声が聞こえてきた。
「そこ、線を繋ぎ直して!」
「だ、駄目です、逆流します!」
「部長、暴走します!」
「いや、まだ大丈夫です。今回は魔力が安定してます。魔導人形を完成させて――あっ、マリサ」
部長のユウトの声で一瞬で部室の空気が止まった。
次の瞬間、部員たちが一斉に振り返る。魔導人形試作型はシュイーンという音と共に動かなくなってしまった。
「あっ、マリサさん!」「お、おはようございます!」「き、今日も来てくださったんですね!」
……なんだろう、すごく歓迎されているわよね。
戸惑っていると、ユウト様がいつもの落ち着いた顔でこちらへ歩いてきた。
「おはようございます、マリサ。左手、まだ痛みますか?」
「え? あ、少しだけ痛みますけど……」
「ちょっと待っててくださいね」
そう言って、ユウト様は机の上から小さな布を持ち上げた。布はシールみたいに粘着性を持っていた。
ユウト様が私の手を触ろうとしたけど、少し考えた末、ユウト様は女子生徒に小さな布を手渡した。
「これは簡易薬草シートです。昨日作った魔道具なんですが、打撲などの怪我に特化した薬草を魔法で封じ込めた魔道具です。……そんなに効かないかもしれませんけど、結構自信作ですよ?」
女子生徒が「失礼します!」といって、私の左手にシートを貼った。スーッとするミントの香り。魔力が循環しているのがわかる。
「これ……すごいです。痛くないです……。だって、回復魔道具は最高難易度で……、膨大な魔力が必要です」
人の身体を治す。回復魔法というのは存在するけど、膨大な魔力が必要だった。ということは、回復魔道具は膨大な魔力を込める必要がある。
「あははっ、僕は魔力量だけは自信があるんですよ。落ちこぼれでも公爵家の血を引いていますからね」
「それでも……、いえ、ここはありがとうございます。ですね」
「うん、そっちのほうが僕も嬉しいですよ」
私も嬉しい。こんな風にさり気なく気遣ってもらえたのは、何年ぶりなんだろう?
「さて、これで魔道具をたくさん作れますね! マリサは考えてくれましたか? この部活に入ることを」
「わたしが正式に入ってもいいんですか? だって、ユウト様は公爵家の……」
「はは、気にしないでほしいですね。別にここは、他の委員会や部活と違って貴族クラブじゃないです。マリサなら何の問題もないですよ」
私は少し考えてから、部室を見回した。
「わかりました……。それでは正式にお願いいたします」
***
「マ、マリサ様、すごい整頓術ですね。私たちはいつも適当なので……」
「マリサ様! その魔力の使い分けはどうやっているんですか! すごい、この年齢でここまで魔力を使える人はいない」
「自作の魔導水晶……? これ、市販の魔導水晶の数倍スペックが高いですぅ。作れる人なんて初めて見ました! 一緒に見てもいいですか!」
部活のみんなは高位貴族の方も多いはずなのに、とても気さくで好意的だった。普通の貴族と違い過ぎて、私は戸惑ってしまった。
「はは、ここは貴族に馴染めない貴族が集まった部活なんですよ。なにせ、僕がそうですからね」
明るい雰囲気のみんなを見ながら、ユウト様が小さく笑った。
「……でも、マリサはすごいですね。細かいところまで本当によく見ています」
「そんな、大げさですわ。ただ、使う方が困らない方がいいと思っただけなので」
ユウト様は真っすぐに私を見た。
「僕たちは作ることに夢中で、周りを見るのが苦手なんです。マリサがいると安心できますね」
その言葉に、胸の奥が少しだけ熱くなった。
「では、改めて。マリサ、研究部へようこそ」
「……はい。こちらこそよろしくお願いいたします」
部員から歓迎の声が飛んできた。私はこんな状況は初めてで目を丸くしてしまった。
「あ、ちょっと待っててくださいね。いいものを見せてあげますよ」
手招きをするユウト様。部室の奥にあるガラスケースを見せてくれた。中には、小さな白い猫ちゃんのぬいぐるみが入っていた。
「自立型魔導ぬいぐるみ試作一号『シロにゃん』です。僕が初めて成功させた、自立型魔導人形の試作品なんです」
「……かわいい」
思わずそう言うと、ユウト様は少しだけ照れたように視線を逸らした。
シロにゃんの鼻をポチッと押すと、『にゃ〜ん』と鳴き声をあげて、ユウト様に甘えだした。
「この子は動物の見た目ですが、僕にとっては特別なものです。……いつか、僕は必ず魔導人形を完成させます。その最初の成功例で……宝物です」
ユウト様は『シロにゃん』を愛おしそうに撫でる。
……私はこの時思った。これが愛情というものなんだ。私は今までの生活で、心なんて壊れてしまった。
「大切なものなんですね」
……余計なことかもしれないけど、自分の悪い癖が出てしまった。私はケースの金具を見て、どうしても気になってしまった。
「これ、鍵の管理をもっと厳しくした方がいいですわ。もしも……誰かが興味本位で持ち出して……。だって、これは明らかに現代魔導技術から見たらオーバースペックですわ」
ユウト様は感心したように頷いた。
「やっぱりマリサにはわかるんですね、この異常さを。……うん、保管には気を付けます。そのうち鍵を増やしますよ」
私はこの部室に侵入できる入口があるか見渡した――
その時、半開きの入口の扉の向こうに一瞬だけ人影が見えた。デイビット様が部室を見つめていた。……でも、すぐにどこかへと消えてしまった。
***
翌朝、私は早めに学園に登校して、屋敷にあった魔道具研究用の私物を部室へと運んでいる時だった。奥の部屋の扉が開いていた。
「……あれ?」
ガラスケースの扉が、少しだけ開いていた。
嫌な予感がして近づく。中を覗き込んだ瞬間、息が止まった。
「……なんで、ないの?」
試作一号『シロにゃん』が、消えていた。
その時、背後で扉が開く音がした。振り向くとユウト様が立っている。
私はその瞬間、温室の事件のことが頭に浮かんでしまった。
状況がまるで私が犯人だと言っているみたいで……。
「マリサ?」
「ユウト様……『シロにゃん』が……」
ユウト様はケースの中を見て、一瞬だけ表情を失った。けれど、すぐ水晶端末を操作して、防犯水晶を確認する。
「駄目だ。何か強い魔力で視界を消されていますね。これだけ強い魔力の持ち主は一部の生徒しかいません」
私は声をあげられなかった。だって、また、私は――、あの時の悔しさが、あの時の悲しさを思い出して……。
「――マリサ。一緒に学園を見て回りましょう。……大丈夫です。絶対に見つけます」
迷いのないその一言に、私は顔を上げた。
「わ、たしを、疑わないのですか?」
「マリサを? ははっ、あなたのことは信じていますよ。むしろ、早期に発見してくれてありがとうとお礼が言いたいですよ」
私を疑うのではなく、最初から心の底から信じている声だった。
私は――その言葉に込み上げてくるものが抑えられなかった――




