魔女と子犬
アルクス・コロナ《虹の王冠》と呼ばれる七色の宝珠を司る七つの国には、多種多様な種族が住まう。
大陸に在る六つの国の内、縦長に三本の柱のように走る大地の一番左に位置する橙のラランジャには数多くの獣人が暮らしている。
対して柱の三本目、一番右にある藍のコルデアニルには人族が多く、王冠の左右で雲形の島国である赤のベルメリオでは竜人が、紫のヴィオレッタでは魔人と呼ばれる者達が人口の多くを占めていた。
考えてみれば、両端の赤と紫は天空の都ヴェルデへの通路が在る国。魔術を使う魔人や、空飛ぶ竜の姿を持つ竜人が住まうのも頷ける話である。
さて、私の話をしよう。
生まれも育ちも魔人の国、紫のヴィオレッタ。生粋の魔女だが、恐らく魂の生まれは違う。何故かと言うと、生まれつき他の種族よりも知的発達の早い魔人であることも相成って、母の胎内にいる頃から、所謂「前世の記憶」を覚えていたからだ。
普通はなかなか理解して頂けない話だが、知的欲求の高い魔人達は、荒唐無稽な話もはじめから否定はせず、あらゆる可能性を検証しようとする。親族達が好奇心に任せて様々な実験を私で行おうとするのに辟易して、今では友好国のコルデアニルに居を構えている。小さな村の外れにある森は自然豊かで採集できる薬草や魔石の原石など、魔人にとっては正に宝庫のような土地だった。かといって自国ほど道具類が揃っているわけではないので、同朋にはほぼ出会わないのだが。
一人暮らし用の小さな小屋を建てて自適に暮らす毎日。自分一人だけを食べさせていけば良く、時折の魔術の依頼をこなし、村の薬師紛いのことをしていれば、魔人が少なく重宝してくれるこの国では、幸いにも税金などほぼ免除して頂けた。やはり前世も今世も、手に職を持つものが強いのであろう。
ちなみに、生まれる前、私は「地球」と称される青い球体の惑星の中にある、日本という国に住んでいた。この世界はどうもここが惑星であるという概念がない為、非常に他者には説明しづらい――親族に言えば嬉々として根掘り葉掘り記憶にないようなことまでほじくりかえして説明を求められることがわかっていたから、敢えて何も話さなかった――のだが、そこで特に有効な資格も持たず就職に失敗し、非正規雇用を巡る日々を送っていた。それ故、手に職を持つことの大切さが身に染みる。
その日は、相も変わらず、森に採集に入ったばかりであったのだが――理解不能な珍しいものを見つけてしまった。
木の陰に隠れて、こぼれ落ちそうな大きな黒い二つの眼が、じいっとこちらを、正確に言えば、軽い昼食用に持ってきていたおにぎりを見ていたのだ。…………余談だが日本で一般的な米などの食物はほとんど存在していた。凝り性の日本人は、魂レベルで舌が肥えているらしい。日本人にとって恋しい食材が存在していて本当に良かった。
ぐぅぅぅ、と場の抜けた音が響く。涎すら垂らしそうな様子に、思わず声を掛けてしまったのも、致し方ないことだろう。
「……食べる?」
「………!」
ぴん、と立った柔らかそうな黒い毛に包まれた耳が、非常に愛らしかった。
結論から言うと、我が家に居候が増えた。
見るからに十を越えたかどうかといった年齢の、獣人の幼子だったので、国の機関にかけあって保護してもらい、親元に連れていってもらおうと思ったのだが、断固として本人から小屋から動くことを拒否され、ともすれば自決しかねない様子だった為に諦めたのだ。
獣人は仲間意識が高く、群れで行動し、縄張り意識が強く他の種族の地へは移動することが皆無といっていい習性を持つ。
勿論他国との交流もあるが、基本的に自国にこもる性質なのだ。それ故に獣人が隣国のアズゥですらなくその隣のコルデアニルにいるということは――獣人の密猟、からの人身売買かと疑った。しかもここは王都ではなく、山を越えればヴィオレッタという、辺境といって良い辺鄙な村外れだ。奴隷商人から命からがら逃げ出して来たのかと思った。
とにかくどうしても国に帰れない理由があるのか、何故か獣らしい唸り声以外に言葉を発してくれない子どもを放り出すわけにもいかず、共に暮らすことにしたのだ。
後に狼の獣人とわかることになるのだが、この頃はまだ犬かと思っていた彼――一緒に風呂に入ってから気づいたが雄だった――の身体の至るところに残る傷痕から、何とか心を開いてもらおうと懸命に働きかける日々は、ことのほか楽しいものでもあった。ちなみに風呂では見事な毛艶の素晴らしいもふもふが現れて、思わず堪能してしまった。
一人きりは気楽だったが、やっぱり寂しかったのだろう。
威嚇されようが噛みつかれようが気にせず、手を引いて採集に向かい、食事を与え、寒い夜は湯たんぽの代わりに抱き締めて眠り……という暮らしを始めて一年ほど。
心痛から言葉を話せずにいたらしい彼がはじめて、「あまべる」と名を呼んでくれたことは、今でも人生でとても嬉しかった出来事の一つだ。
それからたくさん話せるようになり、紆余曲折を経て、あっという間に十年近い日が過ぎ、もう独り立ちしても良いのだよと寂しいながらに弟子のようになっていた彼に告げた途端。
豹変した弟子に襲われた。
魔人や獣人といった亜人は総じて寿命が長く、青年期も長いので、前世で言うアラサーの私も見た目は十代後半から二十代前半のまま変わらなかったのだが、そのせいか。
「アマベル、好きだ。オレを追い出そうとしないで…………」
「フォル、私は君を追い出したかったわけじゃないから……」
項垂れ、捨てられた子犬のような目で見られたら、何も言えない。
そのままなし崩しでいつの間にやら夫婦になり、三人もの子どもを産むことになり――何故だかラランジャの宝珠を清める神子に出会い、実は王族の血を引いていた彼が王位継承問題に巻き込まれたりと――その関係で異国に逃げていたらしい――すったもんだあったけれど。
結局、その生を閉じるまで、末永く共に暮らしたのだった。
どうしてこうなった、と内心思うものの、答える者はない。
彼女の前世、地球の日本にて、あるゲームが流行っていたことを知らないまま、彼女は転生していた。
もふもふパラダイス、と巷では有名だったゲームだ。ゲームタイトルは別にあるのだが、謳い文句が「もふもふと触れあいながら恋を育むRPG」という異色のもの。
五十年に一度、アルクス・コロナの国々には、宝珠の歪みが生まれ、蓄積されていく。それを浄化し正す力を持つ者として神子が現れる。その浄化の力を増幅させるという特殊な能力を持つ主人公の少女もしくは少年が、もふもふと触れあいながら、各国の宝珠の浄化を手伝い、同時に出会った主要キャラクターと愛を育む物語であった。
一国に一人ライバルキャラがいるのだが、自身がゲームでは、その所謂「悪役キャラ」だと知る由もないままその生涯を閉じたのだった。