幕間 悪役たる由縁
面を上げたアデラとラティフは真っ直ぐに視線を合わせる。
思えば五年ぶりの事であった。
「最後に臣下として進言を。苟絽鶲国への野心は捨て置きくださいませ。それよりも国内貴族への根回しと国内の政治的な安定を第一にお考えください。それから国内で食糧を備蓄するための倉庫の設置と関連法の整備をなさいませ。過去の資料から試算して、あと数年後に、この国は干魃による飢饉に見舞われます。そのために今から備えるのです。後ほど部屋へ備蓄倉庫設置計画書と関連法の素案をお届けいたします。」
「だが苟絽鶲国は緊急時の食糧支援を約束しただろう?」
「それに頼り切るという状況が危険なのですわ。今まで苟絽鶲国上層部は公には他国への野心を持ちませんでした。今上帝もそういう野心の低い方のようですし、私がおりますから大事にはならないよう手を尽くします。ですが私達が死した後、これからもずっとそうとは限らない。食糧支援を要請することは自国が食糧難であることを知らせていることと同じ。つまり苟絽鶲国からすれば絶好の機会なのです。」
バセニア皇国を侵略するには。
和平条約を結んだ隣国と甘く見ていると痛い目を見る。
ラティフは言外にそう言われているような気がした。
「そんな危険な国へと嫁ごうというのだぞ、アデラ。」
「"国が栄えるための礎となるのなら本望"ですわ。国を導く立場にある方が簡単に自身の考えを曲げてはなりません。それからこれは家族としての提案です。アリフィナのお相手は国内高位貴族の子弟になさいませ。」
「姉様!!ひどいわっ、自分ばかり良い思いをしてっ!!私をそんなに憎んでいるの?」
「それなら貴女、自分の意志で人や国を動かせるの?」
「えっ、そんなことができるわけないじゃないですか?」
心底不思議そうな表情を浮かべるアリフィナ。
アデラは深くため息をついた。
それからラティフを軽く睨む。
「口うるさい私がいないからとアリフィナを自由にさせすぎですわ。彼女の無自覚な言動で相手国を貶めれば比例して我が国の評価も下がり、国同士の友好関係も崩れます。ご自身の立場に置き換え考えてみて下さいませ?もし正妃が『侍女の言葉どおりにしたまでで私に咎はありません』と子供じみた言い訳をしたらどう思われますか?まさかそれを鵜呑みになさる事はありませんでしょう?国内貴族の子弟ならば目の届く範囲におりますし、直接的、間接的にも諌めることもできましょう。アリフィナの身の安全も確保できますし、万が一の時は速やかに彼女を保護することができるはずです。」
「姉様…。」
「アリフィナ。貴女の現状から推察するに、貴女の周りにいる侍女は貴女に忠義を尽くす者ではないわ。むしろ貴女に集まる利権、甘い汁を吸おうとする者が大半ということよ。」
アデラの台詞は、まるで断罪する側のようではないか。
白く清らかなアリフィナ、黒く邪な存在であるアデラ。
使用人の話を裏付けるように、彼らを貶める台詞を紡ぎながらアデラは顔色ひとつ変えない。
彼女の使用人に対する容赦のなさ、アリフィナに対する冷淡さが忌避され憎まれた由縁。
だが、なぜだろう。
アリフィナをいじめる悪役のように扱われた彼女が、妹のためと正しい道を示しているように思えるのは。
では今までアリフィナを守るとして正義を振りかざした使用人達は一体何であったのか。
彼らのいう正しさとは何だったのか。
「私は悪役でもかまわないのよ。それが巡って民の幸せに繋がるのならば。」
どれほどの覚悟があれば、この台詞を言えるのだろうか。
ラティフは意図せず湧き上がった黒く醜い感情にとまどう。
「王が厳格であれば王妃が寛容を、逆に王が慈悲深いのならば王妃は冷淡でなくてはならない。わかりやすく悪役程度が演じられなくて、為政者の妻が務まるものですか。」
あり得ない。
大国の皇帝である私が、たかが一国の姫である妹に嫉妬するなど。
ただ疎ましいだけだと思っていたアデラの存在が脅威に思えた。
一方で、アリフィナはアデラの言葉を自身とは違う方向にとらえたらしい。
彼女は悔しそうに表情を歪める。
優しい妹は侍女を家族のように大切にしていると聞くから、そう思われるのは不快なのだろう。
「いやだわ、姉様は私が侍女に愛されているから嫉妬なさってそんなことを申されますのね?」
「なら貴女がそれほど無知なのはなぜ?」
「無知?侍女だけでなく先生方も、皆、よく教えてくれますわ。確かに私は兄様や姉様のような政治や駆け引きには疎いです。でもそれは兄様のような殿方が取り仕切る政務を邪魔しないために、むしろ知らない方がいい事でしょう?それに女性は出しゃばらず、控えめにして殿方が働きやすいような環境を整えるのが務めではないですか。」
曰く、主人が恥ずかしい思いをしないように常に美しく完璧に着飾ること。
曰く、守り立てるためにお茶会などを通じて情報収集を怠らないこと。
アリフィナは一つ一つ数え上げるように自らがどれほど真剣に学んできたかを説明する。
「まさか、それだけか?」
「はい、これで十分だと先生方が仰いましたから。」
アリフィナが教えられたという勉強の内容の薄さにラティフは愕然とした。
それは一般的な貴族の女性が他家へ嫁ぐために教えられる程度と同じレベルではないか。
皇室の女子へ授けられる教養とは視野の広さも根本的な視点も異なる。
はなから誤って教えられてきたとは。
何が正解かを学ぶ場を与えられずにアリフィナは答えだけを求められてきた。
さぞかし困惑したことだろう。
答えがわからなければ第三者に尋ねるしかない。
だから彼女は思慮が浅く、他人の言いなりであったのか。
なんと哀れな。
表情を歪めた私にアデラがちらりと視線を投げて寄越す。
『甘やかした父母だけでなく貴方にも咎がある』、そう言っているような視線だ。
たしかにアリフィナはアデラのようにならないよう、控えめに従順にと育てるよう指示した。
だがそれは皇室に相応しい教養を持った上でのこと。
それがまさか自分の意志を持てぬまで愚かに育てられるとは。
このままでのアリフィナは他国へ嫁に出すわけにはいかない。
「早急に講師や侍女を入れ替えることをお勧めしますわ。適齢期までは数年猶予はありますもの。自身の才覚で身を守ることができるのなら、他国の嫁ぎ先を視野に入れて良いかもしれません。あと、先程の備蓄倉庫設置の予算に、私に充てられる衣装代を組み込んでおりますからアリフィナには限られた予算内で使い回すという金銭感覚を身につけさせてください。再び予算が足りないと泣きつかれても、兄上の予算から分け与えるなどという事はなさらないでくださいね。でないとアリフィナは他人の意志によって国庫の金を喰い尽くしますよ?」
金だけでなく、付随する資源もアリフィナを素通りして誰かの手に渡っている。
愚かに育てられたのは、その方が甘い汁を吸いやすいから。
これ幸いとばかりに周りの者の手で愚かになるよう育てられたのだろう。
ラティフはため息をついた。
ここまでくると私の責任でもある。
アデラのこの遠慮のなさ、油断ならない存在感は苦手だし、気に入らない。
だが、それとこれとは別の話だ。
「わかった、そうしよう。」
「そ、そんなっ!!私から愛する家族を奪うおつもりですか?!」
叫ぶような彼女の言葉にアデラが皮肉げに唇を歪めた。
「…ねえ、アリフィナ。貴女には父と母、そして兄上や私という家族がいるのよ。その状況で他の誰を家族と呼んでいるのか、その理由も含めて教えてもらえるかしら?」
アデラの指摘にアリフィナは青褪め、顔色を変える。
「だって姉様は、些細な事で怒るのですもの。きっと私のことが嫌いだからそんな風に意地悪をされるのでしょう?それに兄様やお父様、お母様が、表向き私を可愛がるふりをされているのは賢い姉様と比べて私の出来が悪いからだとわかっています。それでも、そんな期待外れで出来の悪い私でも彼女達は見捨てる事なく、温かく見守ってくれていたのです。『ご家族の理解を得られずとも、姫様は今のままで十分魅力的だ』と。血の繋がりがなくとも理解し支えてくれる彼女達を家族と呼んで何が悪いのですか?」
「…ですって、兄様。あれだけ貴方達の愛情を独占しておきながら全く伝わってませんよ?それどころか、良くない方に曲解されて思い込まされている。」
呆れたようなアデラの声音。
ラティフは愕然とした。
両親や自分の愛情を存分に注がれて育てられたはずなのに、これ以上何が不満なのか。
それに侍女の言ったとされる台詞も気に入らない。
…魅力的なのは侍女達にとってであり、思い込みで理解しないと決めつけるのは不敬だ。
ここまでくると洗脳されているに近い状態ではないのか?
昔はここまで愚かではなかったのに、どうして。
いつからこうなったのか知りたくとも、幼い頃に付けていた側付きの者は誰も残っていない。
アリフィナの侍女は美人揃いで気も利くし重宝していたが、裏で良からぬ事を画策していたのではなかろうか。
ここに至って、初めて彼女達に疑いを持った。
「やはりアリフィナの講師や侍女達は早急に入れ替えよう。」
アリフィナはうっすら涙を浮かべる。
「兄様、姉様に良いように言いくるめられただけですわ!今まで兄様は姉様の言うことを真に受ける事はありませんでしょう?鬱陶しいと、厄介な事ばかり言うってあれだけ仰ってましたのに!」
「それは兄上にだけではなかったけど自覚はあるからね。城にいた頃は、相手とまともにぶつかるやり方しか知らなかったし…若かったなー。」
口調を緩め、感慨深い様子で呟いたアデラは苦笑いを浮かべる。
そこには、かつて見られなかったような余裕があるように感じた。
「旅はずいぶんと性に合ったようだな。」
「学びの場として最高でしたわ!!」
庶民の暮らしに触れ、感化された結果という事だろうか。
ふと、アデラの連れていた美しい女性の姿が脳裏に過った。
「そういえば、あの美しい人とも旅先で知り合ったのか?」
「…あの方は私の命の恩人なのです。手出しなさらないでくださいね?」
途端に軽く睨まれ、釘を差された。
アリフィナは思い出したようにポンと手を叩き、笑みを浮かべる。
「そうですわ、堅苦しいお話はここまでにいたしましょう!!そろそろ準備が整ったと思いますから、名残惜しいですが姉様を最後にお茶でもてなしたいのです。よろしいでしょう、姉様?兄様も後ほどいらしてくださいね!!」
「最後に、ね。」
「そうそう、姉様の客人である彼女もご招待いたしますわ。絶対に連れてきて下さいね。」
「多分嫌とは言わないとは思うけど、もし貴女の侍女達が礼儀作法に拘るようなら、そういう教育を受けた方ではないから私と共に退席するわ。それでもいい?」
そういう教育を受けた方ではないからというアデラの言葉に首を傾げる。
「彼女はどのような身分の方なのだ?」
「詳しくは省きますが、私が護衛として雇用した平民です。」
「…護衛とはいえ、身元の定かでない平民を勝手に城内へ入れたのか?」
「だって私の身が損なわれれば国への信頼が失われますでしょう?ですから致し方なく、ですわ。でも彼女の素性や身分に拘るなら、やはりお茶会への参加を見送ります。このまま速やかに苟絽鶲国へと参ることにいたしましょう。」
「仕方ない。どこの誰ともわからぬ人間を身内の席に参加させるわけにはいかぬ。」
「では私は不参加といたしますわ。アリフィナ、ごめんなさいね。」
速やかに苟絽鶲国へ向かうのが得策と考えたのだろう、アデラは残念そうな表情を浮べつつも席を立つ。
結納品を受けた以上、彼女の身は苟絽鶲国のもの。
それ故に彼女が雇った人物が国の意に沿わない者だとしても勝手に処罰はできない。
だがアリフィナを諌めたアデラが、規定を破ってまで彼女の同席に拘る理由が知りたかった。
「そこまでして、なぜ彼女の同席を求める?」
「旅先で出会い、素性はわからなくとも命を預けるに足ると判断できたのは彼女だけでした。短時間でそれを判断できる程に信頼した相手を、ここまできて失うわけにはいかないのです。」
アデラは躊躇う事なく答える。
彼女の優美な顔立ちと、小柄な体躯。
男と並べば見劣りするような柔い身体のどこに、そのような強さを秘めているというのか。
俄然、興味が湧いた。
「いいだろう。せっかくのアデラの吉事だ。この際彼女の身分は不問にしよう。」
「…承知しました、彼女を連れて参加いたします。」
「素晴らしいですわ、兄様!!姉様も私の侍女達の働きを見れば認識を改められるに違いありません。」
ひとつ、ため息をついてからアデラは頷いた。
それから思い出したかのようにラティフとアリフィナの顔を交互に見て言った。
「最後に伺いたいのですが、私の身代わりとなる者を手配したのはどちらですか?」
ラティフはアリフィナを見、アリフィナは小さな声で答える。
「その…私の侍女のうちひとりが『よく似た容姿の侍女見習いがいるから』と代役を立ててはどうかと勧められたらのですわ。私、まさかこんなふうに姉様が帰って来られるとは思いもしませんでしたので兄様へお伝えしましたの。」
「許可した私も同罪とでも言いたいのだろう。そもそもは、連絡のひとつも寄越さないお前がだな…!!」
「こうなっては今更ですわ。わかりました、それでは着替えましたらアリフィナの部屋へ伺います。」
今更というのなら、ここで問うた理由はなにか?
アリフィナと二人、顔を見合わせる。
不思議に思う我々を残してアデラは足早に部屋を出ていった。