探さないでくださいは探してくださいの訳
大概、物事の変転などに、前置きはない。
何てことのない朝だった。
いつも通りの朝だった。
―――そう、だからこの日も。
「、」
伊野は、濁った双眸に天井の木目を映し、
ムクリと起き上がる。
次に目にした時計の針は10時過ぎを指していて、あぁ、今日も無駄寝した、と腰を掻く。
その辺になり、寝ぼけた頭でも気付くことがある。
毎日、普段なら朝の9時頃ニコルが起きろといった意味合いで、伊野の頬を2、3叩いてくることがある。
最近になってその傾向は習慣化され、最早9時頃行われる儀式と言っても良かった。
ただ、それが今日はなかったのだ。
ふいに、押し入れに視線を移す。
空いた押し入れに、彼女の姿はなかった。
代わりに、布団を敷くためよけられたテーブルに、一つの紙切れだけ残して、
彼女はいなくなった。
「……マジでか」
人間失格、やや焦る瞬間であったりする。
▼.家出少女の失踪
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
《探さないで下さい》
可愛らしい字で、紙切れにはその一言だけあった。
こういった場合、やはり探すべきなんだろう、普通は、まず。
だが、当の人間失格は
「探さないでって言われたら探さないべきかな」
相も変わらず人間失格
《バカだ、お前は》
そして海外からの弁護士の叱咤
「やっぱり探すべき?」
《バカだ、お前は!!》
想像以上の怒声が受話器から耳を貫き、思わず反射的に顔を突き放してしまった。




