銀の巫女 5
炎の海に、一人ポツンと立つ夢を見る。
とうに見飽きている筈の夢。夢だと分かっているのに、目覚めることの出来ない夢。
それは必ず、瞼を閉じれば現れる。
既に周囲が炎に囲まれ、一切の生命の存在を許さない空間。
けれど、人では無い私だけが生き残ってしまった。
どれほど高温の炎でも、それが自然のものであれば、私を傷つける要因にはなり得ない。
いくら炎が身体を炙っても、着物すら焼け無い。
―――誰が、こんな身体に生まれたいと願ったか
何も無くなってしまった里を見て、過去の姿と重ねる。
いや、もうそんなことは出来ない。
目の前に広がるのは、知らない場所になり果ててしまった。
―――何が嬉しくて、一人だけ生き残らねばならないのか
灰が舞い、空へと上っていく。
それを茫然と眺めながら思うのは、結局私は無力でしかなかったということ。
火で炙られても、水に沈められても、土に埋められても、私は死ねない。それが私は強さの証だと思っていた。
けれど、こんな結末を迎えて良く分かった。
私に影響しない世界というのは、裏を返せば私が干渉できないということ。
最強だと思っていたのは、単なる孤独な自分を慰める妄想に過ぎなかった。
―――こんなことなら、私は全てを―――
「その願いは今からだって、間に合う。それを君が望むだけ」
夢の中で、聞こえてはならない声が聞こえた。
里を炎に包んだ男の哄笑では無い、別の声。若い青年のそれは、すっと胸の中に入り込んでくる。
ここが夢だからそうなのか、分からない。
青年の声は特別な魔力があるようで、私は振り返る事も出来ずに問いかけた。
「私が・・・望む?」
「後悔しているのなら、いっそ全てを変えてしまえばいい。君にはもう何もない、なにも無いからこそ、何をやっても構わない。君には、その我を通すだけの力があるのだから、あとは自分自身を開放するだけ、違うかな?」
青年の言う通り、私の全ては炎に焼かれて消えてしまった。
しかしそれは本当に正しいのだろうか。
「さぁ、こんな炎の中に閉じこもっていることは無い。業火で自身を責め苛むことはないんだ」
なるほど確かに、彼の言っていることは正しい。
夢の炎は、私の犯した罰に対する対価だろう。私が、私自身を許せないが故の残酷な夢。
彼はこんな夢は無意味だと、取り払ってしまえと言う。
もしそんな事が出来るというのなら、私は―――――
「力を貸そう。この炎を、消せる」
私は促されるように、一つ頷いた。
それ以上青年言うことを聞いてはいけないという危機感とは別に、甘い誘惑を打ち消せない。
「さぁ、契約だ。君の力をもってして、全てを破壊すると誓え」
優しい問いかけが、荒々しい脅迫へと変わる。
傾いていた私の心は、あっさりと崩れた。
もう頼ってしまいたい。これ以上の恐怖に苛まれるぐらいなら、いっそのこと。
もう一度、自らの口で答えを返そうとして、もう一つの声が割り込んだ。
「逃げていいのか?」
それは上手く思い出せないけれど、耳に馴染んだ声だった。
人を説得する気なんてまったく無い、投げやりな問いかけ。けれど、それはまさしく自分の心にあった問いと同じもの。
ふっと、男の誘惑が薄れた。
それと同時に夢の世界が大きく揺れた。
私は地面に叩きつけられそうになって、慌てて手を突き出して―――
「くっ!」
夢から覚めると同時に、無意識に夢の中と同じ行動を取っていた。
手を突き出し、身を乗り出して私を覗きこんでいた青年を突き飛ばす形になって、私はようやく目覚めたのだと、ぼんやりと認識した。
「・・・アキト、何をしていたのです?」
「何ってお前、何だか苦しそうだったから・・・」
そう抗弁しながら、彼は私に叩かれた鼻を抑えて蹲ってしまった。
情けないその姿を見ていると、何だか悪夢などすぐ忘れてしまいそうだった。
変わった夢を見るものだと思いながら、ふと最後に聞こえてきた声が甦った。
逃げていいのか、という一言。
その声は、アキトの声と同じもののような気がした。
いや。真実その通りのなのだろう。
彼の声だった。
けれどそれを認めるのは、何だか癪だった。肩を揺すって起してくれたことも、別にお礼を言う気なんて無い。
「貴方が迂闊だからいけないのです」
「目覚めるなり、これか。お前はもう少しお淑やかだと思っていたんだが」
ようやく痛みが治まったのか、鼻から手をどけた彼は、私に不機嫌そうに言った。
「それは・・・咄嗟に、賊だと思っただけです。寝ている人に覆いかぶさって、貴方こそ何をしようとしていたのですか? 私の性別は、お分かりですね?」
そう言い返すと、彼はぐっと言葉を詰まらせて一歩後退した。
「何か申し開きがあると言うのなら、聞きますが?」
「まったく、こんな事なら助けなければ良かった」
アキトはそう言って、すぐに踵を返す。
ドアを開けて、すぐに去っていこうとする背中に、私は小さく囁くように言う。
「ありがとうございます、アキト」
「・・・・・・」
彼は何も聞かない振りをして、最後まで私の茶番に付き合ってくれた。
ドアが閉じて、一人きりになる。
腹部に手を置くと、まだ痛みが残っている。どれほど眠っていたかは分からないけれど、きっと長かっただろう。
布団の中で、膝を抱えて、その上に頭を乗せる。
見慣れない部屋を見ても、不思議と不安には思わなかった。目覚めるなり、彼があんな風に情けない姿を見せてくれたお陰かもしれない。
「アキトがいるから、不安ではない、か」
口に出して、思う。
これではまるで、彼に私が―――。
そこで、他愛も無い思考を切る。
疲れているに違いない。状況を整理したいのは山々だけれど、今は回復に努めるべきだろう。
アキトは見るからに健在で、後は彼に任せても大丈夫だろう。
静かに眼を閉じて、まどろむ。
夢の中に落ちていくと思っても、不思議と不安は感じなかった。あの下らない誘惑は、もう届かない。
私に届いたとしても、アキトが正してしまうだろう。
きっと私に、一言で教えてくれるだろう。
だから業火に炙られる夢を恐れずに、もうしばらく眠ろう。
/
神代琴音が見ていた夢は、残酷なものだった。
あの夢は、全てを焼きつくそうとしている。
彼女は最も辛い記憶を眠る度に見ている。それは彼女が自分自身に無意識で科している罰だろう。
それだけなら仕方のないことと、他人事だと放っておける。
しかしそれに付け込もうとする性質の悪い輩がいることを思えば、おちおち彼女から眼を離す事も出来ない。
彼女が、あの出来事を自分のせいではないと思えるまで、あの夢は終わらないだろう。
少し卑怯かもしれないが、彼女が過去に何を行ったのか、何をされたのか、どうしてあの業火に一人で立つことになったのか、その全てを知っている。
だからこそ思う。
もう彼女は自分を許してあげるべきだ、と。
第一章『銀の巫女』完結。加筆修正を加えつつ、最終的には1から5を纏めるかもしれない。




