銀の巫女 1
古諸という土地は非常に多くの地脈の走る霊地である。
地脈とは風水や陰陽道に使われる言葉で、地面の下を流れるエネルギーや気のことを言う。
この流れを調節する事で、土地は栄える。
逆を言えば、地脈を乱せば土地は枯れる。
古諸には多くの地脈が走るが、その中でも特に大きいもの五つを、龍脈を呼ぶ。
民話の中に登場する白い龍が、五つの地脈の流れを抑え、人々の生活を安定させたことからそう呼ばれる。
それ以前の古諸は、酷く荒んでいた。
地脈にもっとも翻弄されるのは人間というが、地脈から漏れ出した力はこの世にあってはならない物まで生み出してしまう。
怪物が生まれ、怪異が頻繁に起きる。
魔境と化した古諸には、それを鎮める者達が多く集まった。
魔を鎮める力を持った者。特別な力を持った者。
民話では、彼らは龍が統治する以前より土地に根を張っていた。
しかしそれは大昔のこと。民話を信じるのであれば、千年もの昔。
古諸という土地には、僅かに陰陽の術を使われたと思われる史跡があるばかりである。
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神代琴音という少女は、古諸の土地に今も残る異能者の一人であった。
民話によって過去のこと、またはおとぎ話とされていることは、彼らが長い年月の中で封印してきた現実である。
そのことを、古諸の土地に住む者は既に作り話として扱っている。
それが日常に生きる者と、非日常に生きる者、両者に都合のよいことでもあった。
日常を生きる者は何も知らず、非日常に生きる者は全てを闇の中で処理してきた。
何十、何百年と続けられたそれは、この古諸という壊れた霊地にある不文律。
しかし、それは破られつつあった。
夜な夜な繰り返される闘争は、古諸という土地に古くからある盟約が揺らいでいる証拠でもあった。
《守り人》と呼ばれる連合がある。
古諸の土地に根を張った異能者達が、各々の利権を侵害しない事、土地の安定を図る為に組織された巨大な自治組織である。
けれど、それがここ最近はまったく働いていない。
働いていないどころか、秘匿すべき異能力を使って戦いを行っている。
神代琴音は闘争の爪痕を見て回りながら、小さく嘆息した。
調停者を名乗り、戦いを止めた時とは装いが違う。白のロングスカートにシャツ、それに茶色のカーディガンを羽織った、目立たない服装に変えていた。
琴音は昨晩の戦いの痕跡を確かめに来ていた。
通行止めにされた道路の先、進入禁止の赤いコーンと黒と黄の縞柄のバーの向こう側は、コンクリートが割れ地面が顔を見せている。
そして道路標識も途中から折れ曲がり、ここで起きた異常な事態を嫌でも想像させられる。
実際に闘争の場を見ていなくても、これではいずれ、彼女達の世界は一般人に露呈してしまう。日常を侵食することは、琴音にとっても彼らにとっても避けるべき事柄であるはずだった。
「忌々しき事態です。すぐに闘争を止めさせなければ、一般人に被害が出る可能性も大いにあります」
はっきりとした声で、琴音は背後に控えていた青年に語りかけた。
「だからって、俺達がやる必要も無い」
琴音は振り返って睨むと、青年は肩を竦めながら一歩下がった。
春の暖かい陽気には不釣り合いな、黒のロングコートを着込み、黒い髪で目を隠すようにしている。
如何にも不審人物といった風情だが、神代琴音が今現在、唯一信頼できる男であった。
「貴方には、道徳というものを説く必要がありそうです」
「はいはい。じゃあまずはここから離れてから聞くとするか」
そう言いながら、アキトは琴音の肩に手を添えて強引に歩き出す。
琴音は不愉快そうに手を払いのけると、アキトに敵意を込めた視線を投げかける。
「馴れ馴れしくしないでください」
「オーケー、分かった。もう近付かない」
踵を返して歩き出した琴音を見て、アキトは小さく安堵の吐息を漏らした。
彼が振り返った先で、現場の修繕作業にあたっていた業者の中で、一人だけ琴音とアキトを注視している男がいた。
彼はこの現場が一般人に異能力が漏れないように監視する《守り人》の一人であった。
アキトはこれ以上不審がられる前にと、琴音の後を追って歩き出した。
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「アキト。ここ最近の土地の乱れは龍脈によるものか、それとも人為的な物なのか、調べがつきましたか?」
事件現場から少しは離れた所で、琴音はやや後ろを歩くアキトへと問いかけた。
「実に簡単な理由だった。お前だって、だいたいの推測はしてるんだろ?」
「私は・・・結果を聞いたのですけど」
「分からないのか?」
当てて見ろというアキトの挑発に乗って、琴音は自らの推理を語りだした。
「統治の能力が落ちているのは見れば分かります。これは守り人の元締めに、諌めるだけの力が無くなったのでしょう。問題は元締めにあると、これは間違いありません。あとはあり得そうな候補から、もっとも確率が高そうな理由をと考えると、跡目争いですか?」
「・・・正解だ」
アキトはつまらなそうに息を吐いた。
「慧眼だな。こういう奴って、大人には可愛がられるんだが、同年代の子供にはなじめないんだよな。お前、友達いないだろ?」
「えぇ、いませんでした。良く分かりますね」
「・・・・・・」
嫌味を真顔で返されて、アキトは何とも言えない表情で押し黙った。
琴音はいつものように、澄ました表情で数歩進んだ後、何でもない事のように呟いた。
「そういう貴方は、友を無くすのが得意ではありませんか?」
「くっ。嫌味を無視した上で、嫌味を返しやがった・・・」
事ここに至り沈黙は美徳という言葉の意味を理解したアキトは、黙って琴音の後を影のように付き従った。
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琴音とアキトの二人は、たまたま通りがかった公園に立ち寄った。
平日の昼ということもあり、小さな子供を連れた主婦が井戸端会議に花を咲かせている。子供は勝手に公園の砂場やブランコで遊んでいる。
そんな平和な風景を見ながら、琴音はちょうど木陰にあるベンチへと腰掛けた。遅れてやってきたアキトは琴音に向かって自販機で買ってきた缶を放った。
驚いた様子も無く受け取った琴音は、缶をまじまじと見つめてから呟いた。
「コーヒー」
「嫌だったか?」
「いいえ、冷たいものが飲みたいと思っていたところです」
そう答えたものの、琴音は一向に缶を開けようとはしなかった。
両手で握りながら、遠くで子供が遊ぶ様を見ていた。
乙女湖公園という名のその公園は、学校にありそうなトラックほどの大きさの人口池があり、その周囲を散策できるようになっている。そして琴音達のいる公園の半分が、遊具も少なく芝生の敷かれた一般的な公園となっている。
目の前で子供が二人駆けて行き、途中で男の子が転んで泣き声を上げた。
「平和ですね」
「そうだな」
ベンチに座らずぼんやりと公園を眺めていたアキトが答える。
琴音は缶コーヒーをベンチに残し、転んだ子供へと駆け寄った。
そして近くに親がいない事を確認すると、五歳ほどの子供を抱えて水道へと向かった。
傷口を洗って、治癒術でも施すのだろうと他人事のように思っていると、アキトの前に不意にボールが転がって来た。
それを見ていると、ワラワラと子供が五人ほどボールを追いかけてやって来た。
アキトの目の前で立ち止まった一人の男の子は、じっとアキトを見上げてから、にっと満面の笑みを浮かべた。
「いっしょに遊ぼうよ!」
「――――」
アキトは無言を貫いたが、人見知りしない男の子はアキトのコートの端をグイグイと引っ張った。
他の子供たちも、アキトが加わることに異論は無いらしく、瞳をキラキラさせている。
「あー、俺は球技全般、苦手なんだが・・・」
ずるずると引きずれるアキトは、降参というように手を上げた。
琴音が子供の治療を終えて、魔法使いのお姉ちゃんという呼び名を貰ってからベンチに戻ると、アキトの姿は消えていた。
その代わりに、黒のコートとジャケットがベンチに掛けられている。
置いていった缶コーヒーもそのまま。
「一体どこに?」
そう呟いたものの、琴音はすぐに見付けることが出来た。
砂場で一人、周囲の子供よりも大きい背中が見える。
どうやら一緒に遊んでいるようだが、琴音にはその光景が意外で仕方が無かった。
他人に無関心で、人が傷付く事を何とも思わない。
それが神代琴音の持つ、アキトという不思議な青年のイメージだった。
邪魔をする必要も無いと、ベンチに座って琴音はじっと砂遊びに興じる子供たちとアキトを見詰めていた。
巨大な砂の山を築きあげ、子供たちに大喜びされながらアキトは戻って来た。
いつものように、緊張感の欠片も無い気配。
白いワイシャツを砂遊びで汚した姿は、琴音にとって滑稽だった。
思わず笑うと、アキトは不満そうに目を細めた。
「貴方でも子供を楽しませたりするのですね」
「仕方なくだ。人を無理やり引っ張っていくあの子供、将来大物になるな」
「・・・その割には、随分と楽しそうだったではありませんか」
「冗談はよせ」
ベンチに引っかけていたジャケットとコートを着込み、黒尽くめの姿に戻ったアキトは、琴音の手に未だに開けられていない缶コーヒーを見付けて顔をしかめた。
「せっかく買ってやったのに、飲まなかったのか?」
「はい。砂場の遊びが随分楽しそうだったもので、見ていたら忘れていました」
そう言った琴音は、澄ましたような表情では無く、柔らかく笑っていた。
しかしそれも一瞬のこと。
そんな物は幻だったかのように、琴音はいつもの澄ました顔に戻って缶コーヒーをアキトに突き出した。
とっさに受け取ってしまったアキトは、首を傾げた。
「要らないって事か?」
「・・・・・・」
琴音は僅かな間を置いて、勤めて冷静な口調で言う。
「開け方が、分からないのです」
「――――」
カツンと、軽い音を立てて缶コーヒーが開けられる。
アキトはそれを手渡して、琴音は一口飲んで呟いた。
「良く出来ていますね。これを考案した方は素晴らしい」
「開けられもしなかった癖に、よく言うよ」
二人はそれから、缶コーヒーを飲み終わるまでの僅かな時間、公園の平和な風景を眺め続けた。




