第一章 侯爵になった猫
アルフォンス三世は、猫を愛していた。
少し好きだとか、王宮で何匹か飼っているとか、そういう程度ではない。朝起きて最初に確認するのは王国から届いた報告書ではなく、寝台の足元で丸くなっている猫の機嫌だったし、晩餐の席では外国から来た大使よりも、自分の隣の椅子に座った白猫が魚を食べる様子のほうを熱心に眺めていた。
臣下たちは最初、それを微笑ましい趣味だと思っていた。
王というものは、何かしら変わった趣味を持つ。
先王は狩猟を好んだ。祖父王は古い硬貨を集めていた。曾祖父は庭園の薔薇に夢中になり、珍しい品種を手に入れるためなら南方の商人へ金貨百枚を惜しまなかったという。
それに比べれば猫など安いものだ。
宰相エドガーも、最初はそう考えていた。
「陛下、本日の御前会議でございますが」
朝の執務室で、エドガーは分厚い書類を机に置いた。
「南部三州の租税についてと、東の街道整備、それから北方国境の要塞修繕費について、各担当から上奏がございます」
「うむ」
アルフォンスは答えた。
しかし書類を見てはいない。
机の中央で、白猫が前脚を舐めていたからである。
王が最も愛する猫、ミルクだった。
全身が雪のように白く、耳の先だけがわずかに灰色を帯びている。青い目をした、美しい猫だった。
「今日もかわいいな、ミルク」
「陛下」
「分かっている。仕事もする」
アルフォンスは苦笑しながら一枚目の書類に手を伸ばした。
その瞬間、ミルクが身体を伸ばし、机の上を二歩進んだ。そして、その紙の上に腰を下ろした。
エドガーは目を閉じた。
「……陛下」
「見たか、エドガー」
「何をでございましょう」
「ミルクが、この書類を選んだ」
「おそらく紙が暖かかったのでしょう」
「違う」
王は断言した。
その紙は、辺境伯爵家の当主死去にともなう爵位継承承認の書類だった。
アルフォンスは猫の喉を撫でた。
「爵位というものに興味があるらしい」
「猫でございますので、ないかと存じます」
「お前は猫の気持ちが分かるのか」
「陛下よりは分からないでしょうな」
宰相の皮肉を、アルフォンスは聞き流した。
そして少し考えた後、冗談のような口調で言った。
「では、ミルクにも爵位をやろう」
部屋にいた書記官が笑った。
侍従も小さく笑った。
エドガーだけは笑わなかった。
アルフォンスが冗談を言うとき、彼はいつも目元が先に笑う。だが今は違った。
「……陛下。本気でございますか」
「もちろんだ」
「猫に爵位を?」
「何か問題があるか」
「問題しかございません」
アルフォンスは不思議そうに首を傾げた。
「王は爵位を授ける権限を持っている。違うか」
「違いませんが、通常は人間に授けます」
「法に、人間に限ると書いてあるか」
エドガーは黙った。
書いていない。
なぜなら、猫に爵位を与える王など、これまで想定されていなかったからである。
翌日、勅令が出された。
白猫ミルク。
王家への多年の忠節を認め、侯爵位を授ける。
王都中が笑った。
酒場では酔客が猫に向かって頭を下げた。
市場では魚屋が「侯爵閣下に献上する鯖だ」と売り声を上げた。
貴族たちも、宮廷で顔を合わせるたびに笑った。
ただし、一週間後。
笑っていた者たちは皆、少しだけ真顔になった。
爵位には俸禄が伴う。
ミルク侯爵へ支給される年金は、人間の侯爵と同額だった。
「陛下」
エドガーは再び執務室へ入った。
「猫に金貨三千枚を与えて、いったい何に使わせるおつもりですか」
アルフォンスは、その質問に真面目な顔で答えた。
「猫なのだから、自分では使えまい」
「その通りでございます」
「だから世話をする者が必要だ」
翌月。
ミルク侯爵家の家政機関が新設された。
専属料理人二名。
侍従四名。
毛並みを整える係二名。
医師一名。
寝台係一名。
魚の品質を確かめる係まで置かれた。
さらにアルフォンスは、ミルクだけを特別扱いするのは不公平だと言った。
黒猫ノワールが伯爵になった。
三毛猫マリアンヌは伯爵夫人になった。
赤毛のバルトロメオは男爵になった。
王宮を走り回る猫は、次々と爵位を得た。
半年後。
王国には、人間ではない貴族が二十三匹いた。
「おかしな国になりましたな」
エドガーが呟くと、アルフォンスは笑った。
「平和な証拠だ」
その言葉を、宰相は否定しなかった。
少なくとも、その頃はまだ。
猫に爵位を与える程度で滅びる国などないと、彼も思っていた。




