彼が住んでいた家
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自家用車で片道三時間。
やがて三十になる体には、なかなかしんどい道のりだった。
智菜に自分はおじさんではない、と言っておきながら、衰えを感じてしまって些かショックを隠せない。
「いやいや、俺はまだヤングだ。うん」
大きく伸びをし、両肩を手で揉みながら言い聞かせるものの、既にそれがかなり痛々しい。
仕上げに首を軽く回して。
桃馬は上着の内ポケットから借りて来た年賀状を取り出す。
写真で見る限り、家族が普通に生活するには十分な広さと環境が整った一軒家だった。
桃馬は年賀状に書かれている住所をスマホのナビに入力し、その通りに歩き出す。
ナビに表示された目的地までの時間は約十分。
辺りを見てみると、コンビニと小さなスーパー、クリニックも点在していて、立地も結構良い場所のようだった。
何度か角を右へ左へと曲がり、更に少し直進したところで、ナビが「目的地に到着しました」と告げる。
同時に立ち止まった先。目の前の建物は正に、年賀状に印刷された住宅そのものだった。
年賀状とスマホを仕舞い、表札に目を遣る。
「西島」と刻まれているそれを見つめて、桃馬は微かに目を細めた。
智哉を引き取った夫婦の苗字は「井上」
確かに、既にこの家には、彼等とは違う家族が暮らしている。
井上夫妻が智哉を引き取ったのが三年前、施設に年賀状が届いたのはその翌年のみ。
去年は施設から年賀状を送ったものの、この住所にはもう住んでいない、と返送された。
施設で話を聞かせてくれた片桐の言葉を整理しつつ思い出しながら、桃馬は一抹の不安を感じ始めていた。
そんな短いスパンで、持ち家を手放す理由は……まあ、色々あるだろう。
一番可能性があるのは、持ち主が転勤になったとか、不慮の事故で亡くなったとか。
だが、そういうありふれた事象が、必ずしも平和的に止むを得ない理由である、とは限らない。
物事を悪い方へ悪い方へとつい想定してしまうのは、元探偵の悪い性質のせいだろうか。
ともあれ、ここでただぼんやり佇んでいても仕方がない。
下手をすると不審者と思われて通報されるかもしれないし。
桃馬は邪念を打ち消すように一つ大きく息を吐いて、西島邸のインターフォンを押した。
『――はい』
「突然申し訳ありません。私、東雲桃馬と申す者ですが、以前、このお宅でお暮らしになっていた方を探しておりまして……お時間は取らせませんので、宜しければ少し、お話を聞かせて頂けないでしょうか?」
『……はあ、少々お待ちを』
インターフォンの向こうで応じてくれたのは、声の感じは五十代くらいの女性だった。
努めて柔らかい物腰で用件を伝えたが、やはりかなりの困惑と警戒を滲ませながら、通話を切られる。
ものの数分も経たぬうちに、玄関のドアが開かれた。
そこから現れたのは、見るからに厳格そうな、やはり五十代前後の体格の良い男性だった。
頭髪こそ白髪が少し目立つが、半ば睨むような眼差しは、それだけで気の弱い悪い奴等なら怖気付いて逃げてしまいそうだった。
その後ろには、隠れるように女性の姿もある。
インターフォンで応対してくれた女性だろう。
けれど桃馬は別段怯んだりすることはなく、門を挟んで深々と丁寧に頭を下げる。
「突然申し訳ありません。東雲と申します」
きちんと挨拶をすると、男性の方が気難しそうな顔のまま、桃馬に近付いて来る。
門は開けようとはしない。桃馬を警戒しての事だろう。
桃馬は内ポケットから名刺を取り出して、男性にそっと手渡す。
「想い届け屋? 何ですかそれは。新しい宗教の勧誘ですか?」
「いえ。その名の通り、想いを届ける仕事です。何処に居るのか分からなくなってしまった相手を探して、長い間伝えられなかった想いが綴られた手紙を届ける、という事をやっております」
「……早い話が郵便屋さん?」
「似たようなものですが、郵便局員ではありません。住所不明の相手を探す所から承っておりますので」
桃馬の説明に、男性は怪訝な顔をより濃くする。
胡散臭い、と思っているんだろう。いつもの事だ。
桃馬は苦笑しつつ、今度は預かった年賀状と智菜の手紙を取り出して、西島夫妻に差し出した。
「去年か一昨年くらいまで、このお宅には井上さんという方がお住まいになっていたと思うんですが、その井上さんの養子でいらっしゃる智哉さんに、妹の智菜さんから手紙を預かりました。お引越しされて以降、どちらに行かれたか分からなくなってしまったようでして、今、行方を捜しているんです。何か、西島さんの方で分かる事があれば、教えて頂きたいんですが」
西島夫妻は、年賀状と智菜の手紙をそれぞれ困惑の目で見遣り、ややあってから互いに目を見合わせた。
「……確かにこの家は、井上さんと仰る方から、不動産屋を通して私達が買い取った家です」
桃馬の丁寧な態度を少しは信用してくれたのか、夫の方が静かに口を開いた。
「でも、井上さんご家族の事は、私等も詳しくは知りません。顔を合わせたのは、内見の時と契約を交わした時だけでしたんで」
「そうですか……」
「ただ、引っ越した後、変な噂は聞きました」
夫の腕を掴み、僅かに身を乗り出すようにして、妻も言う。
「噂?」
「その……井上さん御夫妻がこの家を手放したのは、ご主人が会社の若い女性と不倫して、それが会社にバレて異動になって、奥さんとも離婚したからだ、って」
不穏な言葉に、桃馬は眉を顰めた。
「しかもそのご主人、相手を妊娠までさせてたらしくて……奥さんと別れてその人と再婚した、とか……」
本当かどうかは、分かりませんけど……と、妻は目を泳がせながら締め括る。
住み始めた後にそんな噂を聞かされては、彼女もあまり穏やかな気分ではなかっただろう。
「息子さんの事は、何か聞いていませんか?」
「さあ……息子さんについては特には……」
「まあ、何にせよ、あまり良い噂は聞かない一家だったみたいですよ。そのせいで私等も、最初の頃は警戒されてましたし。良い迷惑ですよ。私等は井上さん一家とは何も関係ない、ただ家を買っただけなのに」
最後は心底うんざりした口調で、夫の方が吐き捨てた。
同時に、渡した年賀状と智菜の手紙を、半ば突き返すように差し出される。
「とにかく、私等は井上さんの事は良く知りません。ご近所さん達に訊いた方がいいんじゃないですかね」
「……分かりました。お時間を頂戴して申し訳ありません。どうもありがとうございました」
年賀状と手紙を受け取り、桃馬は西島夫妻にもう一度深く頭を下げる。
――どうにも不穏な話になって来た。




