運命を信じる愚か者(養母視点)
人とは幸せになる為に生まれてきたの。
だから、すべて運命だと思っていたわ。
あの人と出会ったことも、リリーローザが生まれたことも。
わたしが幸せになるのに必要なこと。
けれど……これがわたしの運命だと言うの?
貴族の子爵家の令嬢として生まれ、なに不自由のない生活をおくってきた。
でも、そのことで傲慢な考えを持つことなどなかったわ。
領民が居るからこそのわたし達の暮らしがある。
孤児院などに寄付するような上位貴族ほどの裕福さはなかったけれど、綺麗なドレスが着れて、豪華な食事を食べられる。不満なんてあるはずもなかった。
そんなわたしも年頃になるにつれて、夢を持つようになったの。
だいそれたことではないし、女の子だったら誰もが一度は思うことよ。
好きな人ができて、その人と結婚したいって。
政略結婚がほとんどの貴族社会だけれど、夢を持つことぐらいは許されると思っていたし、できるなら恋愛結婚をしたいと望んでいた。
そんなわたしに運命の出会いが訪れた。
彼、チェスティ・ヤヌアール伯爵子息との。
素敵な人だと初めて見た時から思っていたし、周りの友人達も彼を見かける度に瞳を輝かせて騒いでいた。
その彼がわたしを好きになってくれるなんて、まるで夢のようだった!
甘い言葉を耳元で囁いてくれて、大事に大事にお姫様のように扱ってくれる。
プロポーズされた時は天にも昇る心地で、両親もすごく喜んでくれた。
けれど……。
彼の両親に挨拶に行って、わたしは現実を突き付けられたの。
『チェスティ、貴方はコリーニ嬢を妻にするのではないの?』
困惑した彼の両親の言葉に、私は衝撃なんてものじゃないぐらい動揺した。
コリーニ。
コリーニ・ガルテン公爵令嬢。
美しく可憐な人。
社交界で男性達が、こぞってダンスの相手をしたがっているのを何度も見たことがあった。
でも、その男性達の誘いに答えたことは一度もなく。
誰か想う方がいるのだろうと、友人達が話していたのを思い出す。
まさかチェスティ様の幼馴染だったなんて思いもよらなかった。
爵位も、美貌もなに一つ叶わない相手に戦慄していると、チェスティ様は叫んでくれたの。
『なにをおっしゃっているのですか! コリーニとは幼馴染みであり、それ以上の関係ではありません! 母上もご存知のはずです!』
嬉しかった。
と同時に不安も押し寄せてきた。
きっとコリーニ様の想い人はチェスティ様だ。
長年一緒に過ごしてきた時間を持っているコリーニ様にわたしは勝てるのだろうか、と。
チェスティ様は「君だけだから」と何度もなぐさめて抱きしめてくれた。
でも、不安だった。
不安でたまらなかった。どうしようもなく。
そして、コリーニ様がわたしの前に現れた時、すべてを諦めなければいけないとわかったの。
コリーニ様は微笑みながら、ずっと私と話してくれていたけれど、瞳の奥には隠しきれない嫉妬が渦巻いていた。
チェスティ様の為に別れてほしい。
コリーニ様と結婚した方が、チェスティ様には色々な恩恵が与えられる。
コリーニ様が笑顔でわたしに話すことは刃になって、私の胸を抉った。
わたしの子爵家にはコリーニ様ほどの爵位もなければ、財力もない。
コリーニ様の形のいい唇から「不釣り合いでしょ?」と言われて、頷くことも出来ずに俯くしかできなくて。
コリーニ様が怖かった。
だから、姿を隠していてほしいという願いを承諾してしまっていた。
両親にも打ち明けずに家を出て、コリーニ様の用意してくれた使用人が数えるほどしかいない屋敷で息をひそめる毎日が一年以上続き。
ある日、使用人達の会話を盗み聞きしてチェスティ様とコリーニ様が結婚したことを知ってしまった!
誰にも告げずに自分から逃げ出しておいて…………ショックだった。
泣いて、泣いて、泣いて。
ああ、わたしはこんなにもチェスティ様を愛していたのだと気付いたの。
会いたくて、会いたくて、会いたくて!
コリーニ様への怖さもなにもかも忘れて、チェスティ様の面影だけを追って会いにいって、その胸に飛び込めば、強く、けれど優しく抱きしめてくれたわ。
『私が愚かだった!』
そう言って泣いてくれたチェスティ様が本当に愛おしくて。
戻ってきてよかったと思ったの、心から。
チェスティ様の計らいで両親の元に戻り、わたしは不安もあったけれど、抱き締めてくれるチェスティ様の体温の熱を感じて、いつも落ち着いた。
コリーニ様と別れて、わたしと一緒になると約束してくれたチェスティ様をわたしは信じた。
そうしてわたしに宿った命に、神様が祝福してくれているんだと思ったわ。
誰もがわたしを祝福してくれた。
なのに…………どうして…………。
「おかあさま! あそびましょう!」
幼い時と変わらない笑顔で、娘のリリーローザは笑う。
手を伸ばしてくる。
やめて……。
「おかあさま? どうしたの?」
お願いだから、こっちにこないで……!
「おかあさま?」
伸ばされた白く細い手を反射的に叩き落としていた。
「こっちに来ないで!」
ぽかんとまるでなにが起こったのかわかっていない顔をしていたリリーローザは、けれど、叩かれたことがわかって泣き出しはじめた。
「泣かないでちょうだい! リリーローザ!」
叱っても叫んでも、リリーローザは泣き止まない。
ほどなくして騒ぎを聞きつけたのか、チェスティ様が部屋に入ってきたけれど。
「おとうさま!」
「リリーローザ! 大丈夫かい? ジェーヌ……いい加減にしてくれ」
呆れた声音にカッとなる。
どうして、わたしの気持ちをわかってはくださらないの!
「こんなのはリリーではありません! お医者様にきちんとみせて、」
「いったい何人の医者にかかったのか忘れたのか? もう、リリーローザはこのままなんだよ」
「そんなことありませんわ! あなたはリリーを甘やかしているんです!」
リリーローザがこんな状態になってしまってから、出歩くことすらままならなくなってしまった。
友人達とひらく大好きなお茶会も、ドレスの新調にあれこれと悩む嬉しさがある夜会にも出られない。
出たところで突き刺さるのは非難の目ばかり。
なにもしていない! わたしはなにもしていないのに!
「……行こう、リリーローザ」
話しても無駄だと思ったのか、チェスティ様は未だに泣き続けるリリーローザを連れて室内を出ていく。
どうしてわかってくださらないの!
あなたが守るのはリリーローザだけなの!
わたしはあなたの妻ではないの!?
誰もいない自室で唇を噛み締める。
どうして! どうして! どうして! どうして! どうして! どうして! どうして! どうして! どうして! どうして! どうして! どうして! どうして! どうして! どうして! どうして!
どうして! どうして! どうして! どうして! どうして! どうして! どうして! どうして!
泣き疲れて目が覚めると、もう夜中で。
喉が渇いて、ふらふらとした足取りで廊下を歩いていて転びそうになった。
「危ない!」
危ういところで助けてくれたのは、最近この屋敷に雇われた若い庭師だった。
「大丈夫ですか!? 奥様!」
「……ごめんなさい。ありがとう。今までお仕事だったのね。ご苦労様」
「いえ! 勿体ないお言葉です! それよりも大丈夫ですか!? 誰か呼んできましょうか?」
若い男の瞳は心配そうにこちらを見てきているが、その瞳の中に僅かな炎があることにジェーヌは前々から気付いていた。
そっと庭師の肩に手を回せば、びくりと跳ねる体が可愛い。
そうよ……。 わたしは間違えたのよ、運命を。だから。
「ディデュ! こんなところにいたのか!」
「ジェミオス~」
人通りの多い通りを抜けて、人の波がまばらになった道で一人の少女が泣いていた。
その少女に慌てて駆け寄る少年がいる。
人とぶつかったのだろう。
少年が駆け寄った少女の傍には年配の女性も倒れていた。
「お母様にあまり遠くには行くなと言われていただろう! それに人にぶつかるなんて! すみません、ご婦人! 大丈夫ですか!?」
ジェミオスは小さい手を女性に差し出した。
か細い声だが、ありがとうと聞こえてきて、ほっとする。
「ご、ごめんなさい~」
「泣くな! ウィスティリア公爵家の令嬢として恥ずかしくないのか!」
ジェミオスの手を取ろうとしていた女性の手が、ディデュを叱る声にピタリと不自然に止まった。
ジェミオスはどうしたのだろうと屈み込もうとして、その女性の顔を見て一瞬ぽかんと口を開けてしまいそうになる。
その直後、馬の蹄の音が聞こえてきてウィスティリア公爵家の家紋が入った豪勢な馬車が近くに停車した。
「ジェミオス、ディデュは見つかったの?」
「お母様!」
馬車から降りたミネレーリに飛びついたディデュは、また泣き出してしまう。
そんなディデュのドレスが転んだせいで土がついていることに気付いて、ミネレーリは苦笑してドレスの汚れをはたいた。
「ディデュは泣き虫ね。ジェミオス、あら? そちらの方は?」
倒れている女性に気付いたミネレーリの視界で、その女性がゆっくりと顔を上げる。ミネレーリに向ける妙な視線が不思議だったけれど、現状を知っているであろうジェミオスに尋ねる。
「なんでもありません、お母様。帰りましょう」
「そう? ならいいのだけど」
ミネレーリが一瞥すると、ばちりと女性と視線が重なり合う。
疲れ切った顔をした、綺麗な年配の女性だったが、気に留める必要はないというジェミオスの言葉に従い、馬車に乗り込んだ。
ジェミオスが女性をあのままにしているのは、きっと理由があるからだ。
父親であるカクトスに似て、子供ながらに紳士的なジェミオスがいいというのだから放置しよう。
動き出した馬車の中で、未だに泣くディデュをあやしながら、ミネレーリはすぐにその女性の存在など遠い彼方へと忘れ去った。
「本当に似なくてよかったわね~。ミネレーリに」
王都で最近流行の店で買ってきたという紅茶に口をつけながら、ミンティは何度目かもわからない言葉を紡ぐ。
「そうね。それはミンティと同意見だわ」
「毎回毎回思うけど、皮肉なんだから言い返しなさいよ」
「本当のことに言い返してどうするの?」
「……カクトス様の血のおかげね。ミネレーリの子供達がまともなのは」
溜め息を零して紅茶に砂糖を足しながら、そういえばとミンティは思い出す。
「そういえば、ミネレーリはもう聞いたの?」
「なんのことかしら?」
「ヤヌアール伯爵家のことよ」
ああ、とミネレーリは相槌を打つ。
「お養母様が若い庭師の青年と駆け落ちしたと聞いたわ」
「その後のことは?」
「興味がないわ」
相変わらずだとミンティは思う。
二児の母親になってもミネレーリは変わらない。
なにひとつ。
「戻ったらしいわよ。ヤヌアール伯爵家に。そのお養母様」
「……聞き間違い?」
「いいえ。聞き間違いじゃないわよ。戻ったのよ、駆け落ちして数ヶ月してね」
それはまあ、なんとも恥知らずというか。
「貴族の令嬢として暮らしてきたから、民の暮らしにすぐに根を上げたみたい。まあ、さすがにヤヌアール伯爵も一緒にはもう住めないってことで別宅を与えたらしいけど。使用人はほとんどいないみたい」
「そう……お母様を選んでいたら…………違う結末だったのかしら」
ミンティは、そのミネレーリの呟きになにも返してはこなかった。
狂うほど父を愛していた母なら、どんなところにでもついて行っただろう。
死ぬまで、ずっと。
けれど、それが父にとって望まないことだったから今があるのだ。
考えても仕方がないことなのかもしれない。
ミネレーリはそっと瞼を閉じた。
今ではもうおぼろげにしか思い出せない母の面影を思い浮かべながら。
「ミンティおば様、お帰りですか?」
「あら、ジェミオス。ええ、今帰るところよ。次来るときはなにかジェミオスとディデュの好きなものを持ってくるわ」
丁度帰ろうとしたところで出会ったジェミオスに笑顔を向ければ、ジェミオスは少し困った顔をした後、口を開いた。
「ミンティおば様……言おうかどうか迷ったんですが、おば様には伝えておこうかと。あ、父上にはもう伝えています。先日町でお母様の義理のお母様にお会いしました」
「は!? え!? ちょ、ちょっと待って!?」
「お母様はなにもおっしゃらなかったんですよね。無理もありません。お母様は気付いておられませんでしたから」
ディデュがぶつかった女性。
その人が絵姿でしか見たことのない母の養母だったのにはジェミオスも心底驚いた。
しかも、使用人一人も連れずに貴族夫人らしからぬ格好で歩いていれば尚更。
まるであれは隠れるようだったとジェミオスは思う。
「…………気付かなかったの、ミネレーリは」
「はい。まったく」
養母が顔を上げたとき、ミネレーリを見て驚いていたというのに、ミネレーリはまったく動揺もせずに普通にしていた。
馬車に乗り込むときに一瞬だけ見た養母の顔は、なんとも言い難い。
「ジェミオスは教えなかったの?」
「はい。必要ないと思いましたから」
母に必要がないのであれば、あえて教える必要はどこにもない。
そう言い切るとミンティは頭を抱えて壁にもたれかかった。
「おば様? 大丈夫ですか?」
「……やっぱりミネレーリの子供だわ……」
末恐ろしいとミンティがミネレーリの代わりに頭痛を抱えていく羽目になるのは、この後のこと。




