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囁き  作者: てんの翔
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        11. 同日午後一時半


 茅場町駅で日比谷線に乗り換えようとしたところで、メールが入った。緒方からだった。

『至急、本庁に戻ってこい』──という文面だった。

 南砂町で連絡したばかりだというのに、何事だろうか?

 片瀬は、一本電車をやりすごして電話をかけた。声でも、緒方からの指示は変わらなかった。

 発車標には、次の電車が東武線直通の北春日部行きだと表示されている。指示を無視して、それに乗り込んでしまおうかとも思ったが、なんとかそれをとどめた。

 反対側のホーム──一番線に移動した。

 これからというときに機先を制された感じがして、フラストレーションがたまった。

 ここから警視庁へは、それほど距離はない。『至急』というからには、それなりにはやく戻らなければならないだろう。電話で「いま茅場町なんですが」と言ってしまったことも悔やまれた。

 しばらくして、中目黒行きが到着した。ほぼ同時に、二番線にも北春日部行きが入ってきたようだ。

 片瀬は、中目黒行きに乗り込んだ。

 となり合って停車する北春日部行きの車内に自然と眼がいった。

 本当だったら、これに乗っていたはずなのに……。

「え?」

 片瀬はその列車内に、ある人物の姿をみつけた。

 胸が高鳴った。

 あの喫茶店で出会った女性だ。

 むこうは、こちらに気づかない。

 席に座って文庫本を読んでいた。

(こっちを見て……)

 と、儚い希望は叶わなかった。

 すぐに、双方の電車は動きだしていた。

(あの人の名前)

 千載一遇のチャンスだったというのに。

 あのまま同じ電車に乗っていたら、と考えると切なくなる。

 もう、こんな偶然は二度とないだろう。

 めぐりあわせがなかったということか。

(せめて、名前だけでも知りたかった……)

 霞が関にある警視庁本部庁舎には、それから約二〇分ほどで到着した。

 すぐに緒方のところへ顔を出すと、深刻な表情が返ってきた。

「すまんな、面倒なことになった」

「どうしたんですか?」

「いや、上にバレてな、おまえの捜査のことが……」

「え? バレたって……上に話をつけてくれてたんじゃないんですか?」

「そういうわけにもいかんだろ、絶対的な確証がないかぎりは」

 緒方は、強面が台無しになりそうなほど困り顔だった。主任のような立場とはいっても、本当の主任ではない。

 緒方の階級は巡査部長であり、片瀬よりは上だが、警視庁内では「平」に近い。

 みんなから慕われ、頼られているといっても、命令をくだせる立場ではないことは、冷静に考えればよくわかる。

「で、刑事部長から呼び出しだ」

 一気に、逃げ出したくなった。

 刑事部長の階級は警視長で、一介の巡査が個人面談できるような存在ではない。遠い、遠い、遙か彼方の隔たりがある。もし問題をおこして「お叱り」をうけるのだとしても、直属上司の係長か、よほどの大不祥事だったとしても、捜査一課長止まりだ。

「沢渡管理官と雛形警部……いや、もう警視になったんだったな、とにかく二人も待ちかまえてるらしい」

「警視……」

 片瀬は、なかば本当に逃げるつもりになっていた。

 まわりの同僚たちのひそひそ話が聞こえてくる。

「むかしの彼女は、バリバリのキャリアで……」

「自分は『万新』だもんな……」

 そんな声が胸に突き刺さりながら、片瀬は緒方とともに、刑事部長のもとへ急いだ。



「片瀬巡査、どうやらキミ、よけいなことに首をつっこんでいるみたいね」

 開口一番、胃の痛くなるような言葉が襲いかかってきた。

 刑事部長の菅谷と、管理官である沢渡に視線を合わせたが、二人はなにも言うつもりはないらしい。

 刑事部長の専用個室──。

 菅谷は自分の席につき、そのすぐ横で付き従うように沢渡が立っている。

(刑事部長の呼び出しじゃないのかよ……)

 頭のなかで愚痴ってみたが、心は想像以上に晴れなかった。

 制服姿の女性こそが、雛形かえで──。

 年齢は片瀬と同じだ。

 だがどうみても、女子高生がコスプレをしているようにしか見えなかった。容姿だけで判断するのならば、とてもかわいい。アイドルの一日警察署長のようだ。

 パッチリとした大きな眼。

 瞳が、黒曜石のように輝いている。

 あきらかな童顔なのに、唇だけが厚く艶っぽい。

 身長も警視庁採用基準である一五五㎝に達していないのではないか。とはいえ彼女は国家公務員なので、そのルールはあてはまらないのだが。

 階級は警視。最下層の巡査である片瀬とは、四階級もの格差がある。俗に言う、キャリアと呼ばれる人種だ。

 警察庁入庁時には、すでに警部補で、警察大学校・見習い勤務を経て、一年後には警部に上がり、警察庁での研修勤務を二年間おえれば、警視に昇進する。彼女も順調に進み、ついこのあいだ警部から警視になったばかりだった。

 片瀬が警視に上がることができたとしても、五〇歳は過ぎているだろう。最短だと、ノンキャリアでも四〇歳前後で警視になれるのだが、片瀬は現時点でいまだに巡査。それを狙うのなら、片瀬の年齢だと警部補まで上がっていなければならない。

 雛形かえでの役職は、刑事部捜査一課の係長──第一七係のリーダーだ。刑事部では、課長職以下は私服で勤務しなければならないのだが、彼女はキャリアらしく制服でとおしている。

 第一七係が急遽つくられることになったのは、雛形かえでを係長にするためである、という噂もあった。だがそれも、警部だったときの名残にすぎない。警視になったからには、ワンランク上のポストが用意されるはずだ。

『雛形かえでは、管理官の座を狙っているのではないか?』

 そういう憶測が飛び交っていた。

 管理官という職は、通常ノンキャリアが就くことのほうが多い。現場を知らないキャリアには不向きなポストだからだ。

 警視庁捜査一課の管理官は一三名。だが、そのうちの一、二名をキャリアにするのが、ここ近年の慣例となりつつある。

 この春、警視庁に出向してきてからというもの、沢渡管理官と行動をともにすることが多い。それは、時期管理官への布石ではないか、とみるのが自然だ。いわば、管理官見習いといったところだろう。

 そもそも警部の段階で、警視庁本店へ出向してきたというのは、かなり実戦を想定しているといえる。本来ならば、出向は警視に上がってからだ。わずか二、三ヵ月とはいえ、研修過程での出向は、異例中の異例といえる。

 男性キャリアであったなら、管理官など、ただの通過ポストであり、特別意味のあるものではない。しかし女性管理官となると、話がちがってくる。

 お飾りではない、という宣言に値する。彼女は、本気で霞が関の中枢に根づこうとしているのではないか?

 警視庁、県警本部の課長職、部長職、そして各警察署長を渡り歩き、警察庁の局長ポストへ──キャリアの理想コースをたどり、そのさきに行き着くものは……?

 野望は、彼女のなかだけにある。

 だがこの女は、中堅どころの事務方で終わるような器ではない。そう思わせるような凄味が、どこかに漂っていた。

 外見の少女ぶりに惑わされてはいけない。それすらも彼女は武器として使うだろう。

「は、はあ……」

 その凄味に押され、片瀬は言いよどんだ。

「はっきり答えなさい」

 心なしか、沢渡管理官と菅谷刑事部長の口許がほころんだような気がした。

 この二人も、ごたぶんもれずキャリアである。沢渡は、見るからに若手キャリア代表といった感じで、警察官の風貌とは、かけ離れている。年齢は三二、三歳のはずだ。おそらく雛形かえでが管理官に就任すれば、しばらくして警視正に昇進するであろう。

 菅谷は、沢渡にくらべれば貫祿をそなえているが、むしろ緒方のほうがそれらしい面構えをしている。偉くても、キャリアはキャリアだ。年齢は、四〇代半ばほど。

 やはり二人の唇には、笑みが浮いているようだ。

 いまや本庁中に、この噂話は広まってしまったのだ。

『万新』片瀬仁と『飛ぶ鳥を落とす勢いの女キャリア』雛形かえでは、かつて恋人同士だったと──。

 自分には釣り合わないと、雛形かえでが、片瀬をふったというのが通説だった。

 しかし、現実はちがう。

 高校が同じというだけで、つきあっていたわけではない。親しかったのは、まちがいないが……。

 高校卒業後は、むこうは東大法学部、こっちは地方三流大学。

 もはや接点はなくなった。

 今年の春に警視庁で再会したときには、生きる世界がちがっていた。

「それはですね、自分が許可しまして」

 いたたまれなくなったのか、緒方が助け船を出してくれた。

「あなたにはきいていません」

 あっさりと撃沈された。彼女よりも遙かに先輩のはずだが、この超縦社会カーストにおいては、階級がなによりも物を言う。

「どうやらキミ、自殺と確定された件をさぐりまわってるようだけど」

「は、はい……そうです」

「ジンくん、わかってる? キミは、命令を受ける側。自分で考える必要なんてないの」

 ときたま、彼女は「ジンくん」と片瀬を呼んでいた。それが恋人疑惑の発端となっていることも知らずに。

「しかし──、まあ、わたしもキミの力は、よく知っているつもりよ。独自に捜査したことを報告してちょうだい」

「そ、それは……」

「いいから、はっきりと報告してみなさい」

 片瀬は、一枚の写真を雛形に渡した。

「この男は?」

「二件の自殺に大きく関わった可能性のある人物です」

「身元は?」

「わかりません」

 その答えを聞くと、雛形は嘲るような笑みをつくった。

「情けないわねぇ。何日もついやして、成果がそれだけなの?」

 菅谷刑事部長と沢渡管理官のにやけ顔が、より一層ハッキリとした。

「ガッカリだわ。キミがみつけられなかったものは、たった一個だけだと思ってたのに」

「……!」

 片瀬は、鋭く心をえぐられた。

 雛形と片瀬にしか通じない会話だった。緒方も、刑事部長も、沢渡管理官も、なんのことかと首をかしげている。

「でも、それで気がすんだでしょ? 名探偵の真似事はやめて、通常業務に戻りなさい。勝手な行動のことには眼をつぶるわ」

 雛形のその言葉で、この話し合いは終了するはずであった。

「GOD BLESS YOU──」

 口を開いたのは、緒方だった。

 どうしてだろう。菅谷刑事部長の顔が、驚愕のまま凍りついたではないか。

 沢渡管理官が、まずその異変に気づいた。

「刑事部長……?」

 雛形も、振り返る。

「どうなさったんですか?」

「その英文が、どうしたのかね!?」

 刑事部長は詰問口調で、緒方に迫った。

「片瀬が、二件の自殺現場でみつけたんですよ」

「現場で……だと!?」

 緒方は、二枚の写真を雛形に渡した。片瀬が預けていたものだ。

 わけがわからない、といった素振りで、雛形は写真を刑事部長のもとまで運ぶ。

「刑事部長」

「雛形君……」

 菅谷が、雛形に耳打ちする。

「え?」

 二人は、部屋の隅へ移動した。自分たちとの距離を嫌ったのだ、と片瀬は悟った。

 五分近く、ひそひそ話が続いた。時間が経つにつれ、雛形かえでの表情が深刻になっていくような……。

 遅れて、一人取り残されたようだった沢渡管理官が、突然、声をあげる。

「あ!」

 なにかを思い出したようだ。

 その声を合図にするかのように、二人のひそひそ話が終わった。

「なんてこと……」

 つぶやいた雛形かえでの唇が震えているように見えたのは、気のせいか?

「過去にも……同じ文字を見たことがあります」

 緒方が言った。

「そう……だからあなたは、ジンくんに捜査を許可させたのね」

 雛形は少し考え込んでから、

「わかったわ。捜査の続行を認めます。ただし、ジンくん、キミ一人でやること」

「え?」

 話がつかめなかった。

 どうやら、沢渡管理官にも心当たりがついたようだから、この部屋で事情がわかっていないのは、片瀬一人だけになる。

 自分の知らないところで、なにか得体の知れない出来事がおこっているような恐怖感をおぼえた。

「あの文字は、なんなんですか!?」

「その様子だと、なにも聞かされていないようね……いいわ。捜査続行のもう一つの条件は、なにも知らずに捜査をすること──いいわね?」

「ちょ、ちょっと!」

 抗議しようとしたが、もう雛形は片瀬に背を向けている。

「それでよろしいですね、刑事部長」

「うむ。課長には、私のほうから伝えておこう」

 その言葉を聞くと、再び片瀬のほうを向いた。

「ジンくん、あなたに一週間の休暇をあたえます。七日間で結果を出しなさい」

「そ、そんな!」

「言いたいことは以上よ、さがっていいわ」

 勝手に話が完結してしまったようだ。

 緒方と眼を合わせたが、なにも言ってくれない。

 仕方なく、片瀬は部屋を退出しようと扉を開けた。

 閉める直前。

「緒方巡査部長、あなたからの口外も許しません」

「わ、わかりました」

 緒方の返事が届いたのを確認すると、片瀬は扉を閉め切った。


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