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風が廻る場所  作者: 飛水一楽
〈虚空の章〉
89/116

陽の当たる場所へ *

挿絵(By みてみん)

illustrated by mariy


 

 *


 ヘッドライトの光が数m先まで足元を照らしだす。

 予備の懐中電灯を腰から下げ、地図とコンパス片手に快晴は黙々と鍾乳洞を歩き続けた。

 化石の森から天文台までは地図上でおよそ3km。足場が悪いことを考慮しても2時間以内で辿り着かなければならない。


 快晴は左手首を引き寄せ、深い溜息をつく。肝心の時計を忘れたことに気付いたのだ。

「………………持ち物が多すぎだ」

 恨み言を言う相手は残念ながら自分しかいない。あとは自分の時間感覚が頼りだ。


 闇の中から次々と現れる鍾乳石。どこまで行っても似たような眺め。自分の足音と呼吸音だけが自分の存在を繋ぎ止めている。


 暗い。

 暗い。

 この闇はどこまで続くのか。

 本当に、終わるのか。


 覚めない夢の中を歩いているように思え始めた頃――突然ヘッドライトが消えた。



 *



『まさか、こんなに早いとは、ね』

 快晴はハッと足を止め、誰もいないはずの闇を見つめる。


 ――レイヴン?


『あなたはこんな処まで来ないと思っていたのに』

 今度は耳の側でくすくすと笑う声がする。


「どこだ!?」

 足取りもおぼつかず、快晴は辺りを見渡していると、足先が何かに当たった。急いで腰に手をやり懐中電灯を足元に向ける。

「!」

 瞬時に息が止まる。そこにあったのは深鳥の遺体だった。


 虚ろで精巧な、蝋人形のような体を快晴はすぐさま抱き込んだ。自分の息の音だけが聴こえる。浅く速く……うまく呼吸ができない。


『あなたのせいです! 深鳥さんがこんな風になったのは』

 気付くと、聡が快晴の襟元を押さえ込んでいる。

『深鳥さんはあなたの人形じゃない!』

 緩まない力に快晴は喘ぎながら手を延ばす。気が遠くなっていく。


 ――そうだ、俺が深鳥を………


「はぁ、はぁ……」

 四つん這いで地面に伏し、快晴は息を取り戻した。しかしその右手はいつのまにか御神刀の柄を握り締めている。


 快晴は逆手のまま静かに刀を持ち上げ、左手を添える。その切っ先を吸い寄せられるように自分の喉元に突き立てた。


『負けてはならん。魔に魅入られそうな時は、己の前に刃を立てよ』

 諭すように響く名倉先生の声。刃先がぴたりと止まる。快晴の首から血が一筋流れた。


『ならば、私が殺して差し上げよう』

 振り返ると刀を振りかざすレイヴンがいた。レイヴンの口の動きを、快晴は寸分違わず復唱した。

 

 お前さえいなければ、ソアラはーー。





 風の音が聴こえる。暮れなずむ墓地に快晴は一人佇んでいた。祈る手を解く。


 ――俺さえいなければ?


 母さんは死なずに済んだ。父さんも宇宙をさまようことなんてなかった。誰かを傷つけることも、大切なものを奪うことも――


『君は優しすぎる……きっと母さん似だ』

 父の手がふわりと頭に被さってくる。快晴はかぶりを振った。


 優しいわけじゃない。ただ弱いだけ。途切れない闇の嵐の中を、今も為すすべなく立ち尽くしている。

 びゅうびゅうと風が鳴く。ゆく当てもなく快晴は歩き続ける。さらに深い闇の中へと――



 *



『待って、そっちには何もないわ!』

 幼い時のソアラが、快晴の頭の中で叫んだ。長い夢から覚めたように快晴は我に返る。目の前は行き止まり、そして――足元には本物の(むくろ)があった。


 快晴は見えない壁に弾かれたかのように後ずさる。足が滑り、後ろの大きなつららに背中をぶつけた。

「……っ」

 それは触ったら砕けてしまいそうな人骨だった。いや――もう鍾乳石に変わりつつある。


 ――人も石になるのか? 


 苦しい息と跳ねる鼓動の中で、そう冷静に分析しだす自分がいる。


『昔、こういう洞窟は墓地だったんだ』

 不意に快晴は那由他の言葉を思い出した。そして、さっき見かけた供えられた土偶と勾玉のことも。


 ――この骸の(あるじ)はどうしてこんな奥に。迷ったのか、それとも……


 お前もここで死ぬか? そう骸が微笑いかけているようだ。誰にも気付かれずに、何千年も、石に置き換わるまで――もしあの時、庭の果てで引き返さなかったら、あの骸は今の自分の姿だったはずだ。


 ぶるっと体が震えた。温もりの中でこそ込み上げる寒気のように。快晴は心臓に手をやる。まだ自分は生きてる。……生きると、決めたのだ。


 握りしめていた地図を開き、来た道を再確認する。途中からずいぶんと道を間違えてしまったようだ。

 快晴はすぐさま元のルートに向かって引き返した。さっきよりも足早に、息を切らして先を急ぐ。


 帰ろう。

 帰ったら深鳥がいる。


 ここは寒くて暗い。

 陽の当たる場所へ……帰ろう。

 急いで、闇に飲まれないうちに。


 ――深鳥。


 快晴は足を止め、ヘッドライトの光を消した。前方の空間に光が漏れていて、うっすらと周辺の形が把握できる。

 小さな階段に気づいて快晴は上がった。コンコンと拳で軽く叩いてから頭上の扉を押し上げた。ぱらぱらと石片が降ってくる。


「……?」

 扉を外して顔を出すと、辺りは相変わらず薄暗かった。目の前には年代物のワイン、缶詰、それから様々な食糧のストック……一畳ほどの床下の食料庫だと快晴は思い当たった。さらに段を上がり、頭上にあるであろう食料庫の扉を押した。少し力が要った。金具に油を注しておかないと、と快晴は思いながら扉を開け切った。目の前に見慣れたキッチンがあった。


 カタンと近くで物音がする。

「深鳥……?」

 返事はない。快晴が体を引き出そうとしたその時。ばふっ、と顔に何かが被さった。

「…………………」

 毛の長い動物のようなものが快晴の頭と顔を覆いながら、もぞもぞ動いている。ものすごく埃っぽい。

 快晴はゲホゲホ咳き込みながら、それを片手で一気にひっぺがした。

「おーーーまーーーーえーーーーー」

 快晴は手元を睨んだ。快晴の不機嫌を感じ取ったのか、それは快晴の手からそそくさと逃げ出した。




「やっ………なに?」

 何かがキッチンの扉の隙間からするりと出ていくのを、深鳥は目撃した。

「ただいま」

「快晴!」

 キッチンの扉が開いて、快晴が姿を現した。深鳥が無邪気に駆け寄ってきた。

「帰ってきてたの気付かなかった」

「ああ……ちょっと裏口から――」

 快晴は後方に目をやる。


 深鳥が快晴の服を掴んだ。

「あのね! 今なにかいた!」

 これくらいの……と深鳥は手で囲うように大きさを表現する。

「もしかして、ゴ、ゴ、ゴキ……?」

 怖がる深鳥を快晴はすぐ否定する。

「いや、そんなでかいやつはいない(石炭紀じゃあるまいし)」


「あ、あれ!」

 深鳥が指差す方向には螺旋階段があり、件の動物らしきものが階段の端を角に添うように二階へ登ってゆく。

 階段の踊り場まで来ると、二人の視線が同時に固定される。

「これ、何?!」

 深鳥は快晴の後ろに隠れる。正体が分かって快晴は息をついた。

「ああ、これは、もf――」

 しまった、という風に快晴が拳を口に当てる。

「も……?」

 深鳥はぱたぱた目を瞬かせる。


 よくよく見れば、それはシェニール糸で作られたモップのようで……あるいは苔玉を扁平にしたようなクッションにも見える。

 その得体の知れない物体は空回りするようにその場を行ったり来たりしながらぞもぞ動いていたが、やがて体からころん、と飴玉のようなものを出したので、深鳥は気になって拾った。

「これ、なんだろ」

「あ、それは」

 深鳥の指先が一瞬で黒くなる。

「あ」

 さっきよりきれいな緑色に変わったそれがこちらをじっと見上げている。深鳥は思わず抱き上げた。

「かわいい!」

 快晴が慌てて止めようとする。

「バカ! 触るな!」

「わわっ」

 もわっと埃が立つ。その物体は深鳥の懐から飛び出して、踊り場の隅に体を寄せつつこっちを見ている。……警戒しているようだ。


 快晴は頭を掻く。

「これは、掃除ロボット。埃や塵をこんな風に圧縮して外に出すんだ」

 いくつか足元に転がる玉を拾ってみせてから、快晴は一旦近くの部屋に入ってそれらを捨ててきた。

「光合成するともっときれいな色になる」

 快晴が深鳥の服をはたいてやっていると、ロボットが快晴の足元に擦り寄ってきた。深鳥は快晴を見た。

「懐いてるよ?」

「……」

 快晴はぴたりと手を止めた。意に介さず、深鳥はその場にしゃがみこんで覗き込む。ロボットは快晴の足の後ろに隠れながらも、こっちをうかがっている。

「も……もぉ……もー………」

 快晴の足を前に深鳥が唱えていると、突然思いついたように手をぽんとたたいた。

「もふ!」

 深鳥が呼ぶと、飛びつくようにロボットは深鳥に擦り寄ってきた。深鳥は快晴を見上げる。

「もふって名前、かわいいね」

 目を輝かせる深鳥だが、快晴は目を合わせようとしない。

「ふふ、気持ちいい〜」

 うっとりしながら深鳥が撫で続けていると「もうおしまい」と言って快晴は足元のロボットの毛をつまみ上げた。

「あ――」

「こいつ下にほっぽってくる」


 快晴はロボットを持ったままさっさと階段を下りて行ってしまった。深鳥はその場に取り残された。

 何気なく辺りを見渡すと、たしかにもふの通った場所はきれいになっているように思う。深鳥がしばらく感心していると、二階の書斎の扉がキィ……と音を立てて開いた。深鳥はびっくりして、快晴を追いかけるように急いで階段を降りた。


 降りて2、3歩進んだところで、タオルを被ったまま洗面所から出てきた快晴と鉢合わせた。

「あ……」

 深鳥は吸い寄せられるように見る。快晴の前髪の先からポタリと雫が落ちた。こういう時、快晴はきれいだなと深鳥は思う。濡れて光る石みたいに。

 深鳥の視線を受けて、少し恥ずかしそうに快晴は視線をずらす。

「帰ったとたん、あいつに乗っかられて埃だらけになった」

 快晴は顔をしかめる。深鳥は笑う。

「きっと快晴のこと待ってたんだね」

 快晴は思わず深鳥を見た。深鳥はぐるりと見渡しながら体をひるがえす。

「この家は広くて、一人だと心細いね。私も快晴のこと待って――ひゃ」


 急に体を引っ張られ、深鳥は快晴の懐に収まった。傾いだ世界がゆっくりと軸を戻してゆく。

「……寂しかった?」

 内緒話をするように声をひそめる快晴。深鳥は両手を快晴の胴に巻いた。

「早く……帰ってきて欲しかった」


 堰を切ったように、快晴は無我夢中になって深鳥を抱きしめた。何度も、その存在を確かめるかのように。いつもと違う様子に、深鳥は喘ぎながらも心配そうに尋ねる。

「どう……したの?」

 深鳥の髪に埋もれたまま、快晴はかすかに首を横に振る。

「ううん……少し、寒かったんだ」


 深鳥は両手で快晴の体を受け止めながら、温めるように背中をさすった。そうして二人はしばらくそのままでいたのだが……

「髪、撫でて」

 快晴の要求に、深鳥は手を伸ばして快晴のつむじを探し当て、そっと撫で始めた。そして気付いた。もふにしたみたいに快晴はこうして撫でて欲しかったのだ、と。

「快晴? そろそろ……」

「まだ」

 そう言われ、深鳥は少し困ってしまう。


 一緒に暮らして分かったことがある。快晴は寂しがりやで、とても……甘えんぼだ。

「もふ」という名前は、幼い頃の快晴がつけたのでした。

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