断絶
*
千久楽の人々がシェルターで暮らし始めて二週間経った日の午後。
外でクラクションが鳴ったので、快晴と深鳥は料理の手を止めて玄関に向かった。相変わらずチャイムは壊れたままなのだっだ。
玄関に立っていたのは、雨具の上着を手に、長靴、マスク姿の名倉じぃだった。「突然すまんの」と言うように片手を上げて。
「元気しとったか二人とも」
思いがけない訪問客に快晴は目を丸くする。名倉爺は玄関に置いてあるポールハンガーに上着をかけ、よっこらせと後ろ向きに座り込むと、ズボン脱ぎながらマスクを下げた。
「おや、なんかいい匂いがする……煮込み料理かな?」
「ビーフシチューを教わってたんです!」
無邪気に答える深鳥に、名倉爺は孫を見るように目を細めた。
「おお、そうかそうか」
名倉じぃはそっとズボンをたたむと、揃えた長靴の上に乗せた。そして立ち上がったところで「そうだ」と懐を探りだし、快晴の懐に風呂敷包みを投げ入れた。
「それ、陣中見舞いじゃ」
その風呂敷包みの丸い形を見て、快晴の後ろから覗き込むように深鳥が目を輝かせた。
「七色バウム!」
その時ばさっと上着をはたく音がして、那由他が外から素早く入ってきた。快晴の後ろから被さる深鳥の姿に、仲良すぎるだろ! と非難めいた視線を送りつつ、
「荷物は後、先もてなし!」
と二人に向かって指示した。
居間には革張りソファーが向かい合ってあり、片方に名倉じいと那由他が座る。カチャカチャと磁器が触れ合う音がして、快晴がお茶一式を持ってきた。続いて、深鳥が切り分けたバウムクーヘンをお皿に載せて二人の前にそれぞれ置いた。
「ありがとう」と言って、名倉じいはカップを口につけた。
「ふむ、いい香りの紅茶だ」
部屋の隅では、掃除ロボットのもふが動きながら(静音運転)こっちをうかがっている。
「なんじゃあ、ありゃ」
那由他は眉をひそめる。
「あれは、もーーーーごもご」
答えようとする深鳥の口を快晴がとっさに後ろから塞いだ。那由他の視線が再び二人に刺さる。
こほん、と一つ咳払いして名倉じぃは言った。
「那由他が食糧を届けると言うのでな。ついてきたわけじゃ。(一応後見だしの)」
小声の内容に快晴と那由他ははっと顔を見合わせる。すっかり忘れていた。
名倉じいは宮司共々快晴の後見役で、親のいない快晴を幼い頃から面倒見てきた。また那由他と快晴の剣術の師匠でもある。
快晴は頭を垂れる。
「わざわざすみません」
師匠を前にいつもより礼儀正しい快晴を、那由他は物珍しそうに観察する。
「なーに、時間を持て余してるしの。それより、日々のお役目ご苦労。屋外の放射線量は幸い大したことになっとらんの」
快晴は頷く。
「平常に比べるとやっぱり数値は高いですが、今のところ問題のないレベルです。ただ、これから梅雨入りを考えると……」
「凪になって半月過ぎか……そろそろ風が吹かねーとな」
那由他がソファーに体を沈め、足を組んだ。
「シェルターでの生活はどうですか?」
快晴の気遣うような視線に、名倉じいは大丈夫、と目で返した。
「涼しくて快適。まあ、プライバシーはないがの。……大方隣町に移ったし、最初はひしめいていたシェルターも今はがらんとしてな。残ってるのは事情のある一部の家族と年寄りばかりじゃ」
「千久楽を出るつもりはないんすか? 先生の家族はとっくに避難したんですよね?」
今度は那由他が尋ねた。
「娘家族には呼ばれておるが……まだ千久楽に心残りがあっての。自ら移り住んできた土地じゃて」
名倉じい以外の三人は顔を見合わせる。名倉じいは紅茶を飲んでから再び話し出した。
「知っていると思うが、わしは元は千久楽人ではない。この言葉の通り……最初は大変じゃった。わしの若い頃はまだ古い言葉が生きてたから、なかなか馴染めなくての。この言葉で口をきいてもらえぬこともあったよ」
「ったく、昔は何でも閉鎖的なんだよな」
那由他が口を尖らせた。
「外から来た者としては、土地の言葉はなかなか難しいもの。逆に、土地の者は土着のもの以外を遠ざけようとする。致し方なかろう。……時代が進むにつれて、世代が変わるにつれ、皆、言葉を気にしなくなった。わしには有り難いことだったが…」
今まで黙って話を聞いていた深鳥が思いついたように尋ねた。
「先生はどうして、千久楽に来たんですか?」
「若い頃、ふらりと千久楽へ寄ってな、帰れなくなったんじゃ」
「帰れなくなった?」
深鳥が反芻すると、名倉じいは、にっと笑った。
「そのまんまの意味じゃよ」
今思うと、若かったの。まさに若気の至りじゃ。
あれはまだ〈沈黙の春〉以前……旧世界の時の話だが、わしは都心の大学で歴史学を専攻し、山人研究をしておった。
卒業論文のためにフィールドワークとして伝承地に赴き、帰ろうとした時だった。地下鉄のホームで駅名標に違和感を感じたのは。
次の駅名が書いていないにも関わらず、トンネルも線路もまだ続いている。
『ここは終点じゃないんですか?』
通りすがった駅員にわしは思い切って聞いた。
『ええ、実は。この先に行くには一日一本の単線に乗って行かないと行けません。実質ここが◯◯線の終点と思ってもらって構いませんので』
早々に話を切ろうとした駅員を再び呼び止めた。
『ああ、えと、私この辺りの歴史を調査に来ていて、隣町のことも少し教えてもらえますか?』
駅員は少し沈黙をして、
『あまり詳しくないですが……隣町とはいえ、だいぶ離れてますから、住民間の付き合いはほとんどありません。私は駅員ですから、業務上隣駅との関わりはあります……でも降りたことはありません』
『それはなぜ』
わしの問いかけに、駅員は辺りを伺ってから小声で話し始めた。
『子供の頃からね、親に聞かされたんです。あそこは異郷で、彼らは鬼の祭をする。言葉も通じないし風貌も違う。悪い風に当たって命を落とすから絶対行くな……とね』
わしは眉根を寄せた。
『それはまた……ずいぶん』
『この齢になるとそれも半信半疑ですが、何となく行く気はしませんね』
駅員は苦笑いする。
『行っても何もないと思いますよ』
ガイドブックの端にも載っていない、誰も見向きもしない僻地。真っ先に浮かんだのは隠れ里と言う言葉だ。
はたして今時、そんな集落があるだろうか――好奇心、または怖いもの見たさで、わしは結局、その単線に乗って明くる日千久楽に降り立った。
千久楽のホーム降りた途端、初めて来たのに知っているような不思議な感覚に襲われた。
ずっと見たかった景色がそこにはあった。……懐かしささえ感じた。何もかもが緑に埋もれている。人が自然に抱かれ暮らしていた昔にタイムトリップしたかのように。
――風…………………森の匂いがする。
「故郷を持たない他所者が郷愁など、おかしいと思うが……」
名倉爺は苦笑した。
「分かります!」
深鳥の勢いのある声に、みんな意表を衝かれたように見る。深鳥は注目されて恥ずかしそうにしている。
「あの…私も……千久楽に来た時懐かしいと思って」
名倉爺じぃは深鳥に向かって優しく頷いた。
『 ※ 花は根に 鳥は古巣に……きっとあなたもこの地に深い縁がおありなのでしょう』
「ここに住みたい、という若造の申し出に、先代の宮司は快く承諾して下さった。あれから数十年……」
名倉爺はふと溜息をついた。
「わしはわしなりに千久楽のことをずっと調べておった。様々な人から昔話を聞くうちに皆とも仲良くなり、家内とも出逢った。……亡くなった家内は語り部衆の一人でな。過去と現在の断絶をいつも憂いておったよ」
人が居なくなれば、自ずと伝承は途絶え、祭もなくなってしまう。
語り継がれた膨大な物語を前に、戦慄した。今まで積み上げてきた様々な観念が一気に崩れ去っていくのを感じた。
今まで自分が習ってきた正史と、千久楽の歴史との間に横たわる、深い深い河ーー何も無いと言われたこの地には、あらゆる秘密と可能性が眠っていた。
「これこそわしの役目だと思った。外から来た者だからこそ気付く事もある。………残さなくてはと思った。歴史の裏に追いやられ、忘れ去られていったの民族のことをな――」
※ 花は根に 鳥は古巣に帰るなり 春のとまりを知る人ぞなき /崇徳院




