氷解
時村家の玄関の戸が開くやいなや、両親が飛び出してきて深鳥を抱きしめた。遅れて出てきた祖母が真っ直ぐ快晴の方に歩いてきて、同じように抱きしめた。
「おかえりなさい、貴方も……」
深鳥を送り届けた後、那由他と快晴はその足で近くの神社まで寄った。
「いらっしゃい。大変だったわね」
労るように笑顔で出迎えてくれたのは聡の母だった。
「お二人は朝は食べたの?」
那由他と快晴は互いを見合わせてから首を振る。すると奥から宮司の声が聴こえてきた。
「何か用意してやってくれ」
「ええ、ちょうど今……さ、とにかく上がって」
居間に入ると、那由他が慣れた風にテーブルにつく。快晴も遅れて椅子に座る。おにぎりと味噌汁、漬物、佃煮、剥いたリンゴ等々……次々と目の前に置かれていく。二人は軽く頭を下げ、箸をつけた。
「あれ、そういえば聡は?」
あらかた食べ終わったところで、那由他がお腹をさすりながら尋ねる。
「それが……そろそろ降りてくると思うんだけど」
食後に聡の母がお茶を淹れてくれる。出されたお茶を一口二口飲んだところで宮司が顔を出した。
「快晴、落ち着いたら奥の間に来なさい」
「今、行きます」
快晴は椅子から立ち上がり、宮司のすぐ後をついていく。
「あら、まだ淹れたばかりなのに」
聡の母は部屋から顔を覗かせ、廊下を行く背中に呼びかける。
「後で持って行きますからね」
快晴は振り返ると、続けて宮司がちらっと後ろを見る。
「茶はいい」
「まぁ……」
「そういう雰囲気のお話じゃないってか」
他人事のように那由他はお茶をすすっている。
「……心配だわ。大丈夫かしら」
お盆を抱えたまま、聡の母は再び廊下に出てみる。すると足音がして、聡がちょうど階段から降りてきた。
「お母さん、お客さん? ……あ、なゆ兄」
部屋の前で面と向かうと、那由他はにやっと笑う。
「すげぇ鼻声」
聡はややぼーっとした様子で頷く。鼻周りが赤い。
「昨日から熱があって。聡、ご飯食べられそう?」
「うん、お腹すいて降りてきた」
聡は息をついて椅子に座った。
「騒がして悪いな。朝、深鳥ちゃん実家送って、さっきここに快晴連れてきてよ」
「……え」
聡は顔を強ばらせる。聡の母が那由他の方を伺い見る。
「深鳥さんが見つかったことは、電話もらってすぐ聡にも伝えたんだけれど」
目の前にコトンと湯のみが置かれたが、聡はそれに気づきもせず、那由他を食い入るように見ている。
「それで、あの人はどこに?」
那由他は顎で示す。
「奥で宮司と話してる」
柔らかな早朝の日差しの中、奥の間に向き合う二人。
「ご心配をお掛けしました」
快晴は膝の前にそっと手をつき、頭を垂れる。
「那由他から少し聞いた。……旅に出てたというのは本当か?」
「……はい。父さんと行こうって約束した場所に」
沈黙が続き、快晴は言葉を足す。
「父が長年追っていたことを確かめに行っていました」
宮司が半信半疑で問いかける。
「一年も、一体どこに」
「それは…………」
快晴は俯いたまま、視線を素木の床に投げる。
まさか行き先が〈庭〉という異空間で、しかも一ヶ月のつもりが一年になってましたとは――どう説明したものかと快晴が口ごもっていると、
「……本当のことを言ってくれないか、快晴」
今まで聞いたことのない重低音が宮司の口から漏れる。快晴は急いで顔を上げる。口を開こうとするのを遮るように、宮司が苦々しい面持ちで問いかける。
「天文台を空けた理由は、それだけではないだろう?」
(おい、聴こえるか?)
(うーん……叱られてるみたいだけど、聴こえづらい)
(風邪で耳やられちまってるのか……ったく)
那由他と聡が廊下の角で聞き耳を立てている。
「周りがどれだけ心配したか、分かっているのか?」
咎める宮司の眼はやや赤く、声音には微かに怒りがこもっている。
「千久楽中はおろか、那由他が外へ探しにも行った。しかし探す手立ては無く、月日だけがいたずらに過ぎた」
「……」
「快晴のことだ。何か考えがあるのだろうと名倉先生はおっしゃっていた。私も、名倉先生もきっと君が戻ってくると信じていた。とはいえ、心のどこかで最悪のことも考えた。それほどに……一年前の君は尋常じゃなかった」
たしなめる中にも宮司の心配を見て取り、快晴は自ずと再び手をつき、先程よりも深く深くお辞儀をする。
「勝手なことをして………申し訳ありませんでした」
しばらくして宮司から息が漏れる
「とにかく君が無事で良かった。もういい、頭を上げなさい、快晴」
しかし、快晴は一向に上げようとしない。
「……快晴?」
「深鳥は自分にとって大切な存在です」
そのはっきりとした答えに、宮司はまじまじと目の前の少年を見る。同じ頃、聡も仰天して那由他を振り返る。那由他はぽかんと聡を見ている。
「それなのに、ただ側にいることもできない……深鳥が雛と分かって、側にいるのも許されないような気がしました」
押し殺した声が、力を失ってゆく。
「分からなくなった……自分がどうするべきなのか……本当はどうしたかったのか」
「君は……後継を選んだのではなく、結果的に雛を選んでしまった」
「……はい」
「Arcのことは君や那由他からたしかに説明を聞いた。深鳥さんが狙われていた事も。それについても……君は責任を感じていたのではないか」
宮司が肩に手を添える。正面から快晴を見据える。胸の奥にしまい込んだ言葉達が、快晴の口からこぼれ落ちる。
「深鳥をあんな風に傷つけたくなかった。これからも自分の存在が深鳥の妨げになるなら……そう思い、記憶を消しました。けど、それは違った。深鳥も同じように自分を必要としていた。……知っていたはずなのに、俺は深鳥を失うのがただ怖くて、自分の心にも背いて――」
「素直で宜しい」
不意に宮司に体を包まれ、快晴は戸惑いを隠せない。
「君はあまり本心を見せようとしなかったが……深鳥さんといることで心を開くことを覚えたようだ」
ぽんぽん、と背中をはたかれる。
「舞の後継であり……千久楽の守人。ずいぶんと重い荷を背負わせてしまった」
宮司は体を離す。
「父親を早くに亡くした君はずっと一人で暮らし、常に理路整然として、我々大人も大丈夫だろうとほったらかしてしまった節がある。……いいか快晴、もう少し周りを頼りなさい。君はまだ16だ。自力でやれることもあれば、やれないこともある。それは分かるね?」
快晴は頷く。
「……はい」
「聡が君に色々言ったようだが、どうか許してやって欲しい」
「いえ、それは……」
「あれの気持ちもよく分かるが……まあ、白黒つけないと済まない年頃というのもあるんだろう……と、つまらない親心だ」
宮司は咳払いをする。
「よし、じゃあさっそく高校への編入手続きをするとしよう」
聡はすっと立ち上がり、来た方に戻る。
「おい、なんて言ってたんだ」
聡は肩越しに視線を投げ、小さく呟いた。
「よく聴こえなかった……上で寝てくる」
那由他は手のひらで額を覆う。
「あーあ……」
正確には、快晴はまだ15歳なのですが。……ウラシマ効果ってやつです。




