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風が廻る場所  作者: 飛水一楽
〈鳥籠の章〉
65/116

帰路

 *


 快晴は訳がわからないまま、辺りを見渡す。皆も同じように快晴を見つめている。

 

 ふと見ると、手の中に砂鉄のような粒が残っていた。息を飲み込む。喉の奥がむずがゆい。快晴は激しく咳き込んだ。しかしいっこうに震えが止まらない。

「俺が……やったのか?」

 ざり、と靴が砂を擦る音。那由他が快晴に近づき、抑揚のない声でつぶやいた。

「…………お前じゃない。風神(あいつ)が、さらっていっちまった」


 人さし指を立てた那由他の口元から息がすり抜けた。

 それは日頃、自分たちが祭っている風の神の名だが、やたらに呼ぶことはしない。風に命を取られると皆小さい頃から教えられてきたからだ。


「俺は、何をした?……覚えてないんだ。深鳥を押して、それから――」

 崩れそうな快晴の体を、那由他が支える。

「おっと……しっかりしろ。ここから出るにはお前の力が必要なんだ。仲良く気を失うんじゃねえぞ」

 那由他を見上げる眼は、普段とは考えられないほどに心もとなく、まるで庇護を必要とする幼な子のように思えた。

 しかし聡の支える深鳥の姿に目を止めると、快晴は我を取り戻し駆け寄っていった。


「深鳥」

 目の前に来た快晴を直視することなく、聡は言った。

「大丈夫です。もう血は止まってる。しばらく安静に――」

 聡が言い終わる前に、快晴の腕が深鳥をさらっていった。そして、快晴はその場でうずくまるように深鳥を抱きしめた。

「体温が戻ってる……良かった……」

 そう言って目を閉じ、快晴は息を吐いた。その心からの安堵の表情を、聡は間近で見つめていた。


 ――この人が、こんな顔するなんて。

 




 那由他、快晴、聡で代わる代わる試したが、鉛の扉はびくともしない。三人は荒い息で互いを見た。

「こんな怪我さえなきゃ」

 そう言って、那由他はどっさり座り込む。血が幾筋も腕を伝っていた。傍らでソアラが血止めのショールをきつく結び直した。「うぇっ」という情けない声を上げる那由他をソアラが叱る。

「もう! これ以上は無理よ!」


 聡は鉛の扉を触りながら、くまなく形状を確認する。

「暗くてあまり分からないけど……ピクシーの熱であちこち歪んじゃってる」

「力技は通用しない、か」

 那由他はあぐらに頬杖をついて考え込む。

「博士の設計なら、あなた何か聞いてない?」

 ソアラがすがるように快晴を見た。


『みんなが入れる秘密基地を作ってるんだ。一番に空の子を案内するよ』


 蘇る父の声と笑顔。しかし、その約束は果たされることなく父は宇宙へ消えた。快晴は首を振るう。ソアラが力なく俯いた。

「そう……」

 

 そうしてしばらく全員が考えあぐねていると、洞内にまた風が吹いてきた。

 ふと、快晴の脳裏にあるイメージがよぎった。さっき意識を失っていた時に見た幻だった。鈴の音と、自分を呼ぶ声が、化石の森に反響していたのを。


 ――化石の森はたしか……


 快晴はすぐさま頭の中で位置関係を組み立てる。

 学校から神社まではそう遠くない。神社のある高台の、中腹に座す祠の後ろは石灰岩壁で、そこにある岩の裂け目は今でこそ鍾乳石で塞がっているが、かつてはそこから鍾乳洞に入れたはずだ。

 鍾乳洞は千久楽の地下のすみずみまで繋がっている。ここから少し歩けば、その岩の裂け目から出られるかもしれない。


『八方塞がりに思えても、どこかに必ず抜け道はあるものだよ』


 耳に届き続ける父の言葉に、快晴は意を決した。


 ――いちかばちか、やってみるしかない。





「何か堅いもの、ないか?」

 快晴が呼びかけると、皆が一斉に快晴を見た。

「どうするんだ?」

 那由他は期待を込めて聞くと、快晴は鍾乳洞の壁を見て言った。

「石を軽く叩く」

「はぁ?」

 そう言いながらも、那由他はごそごそと自分の体を探り出した。

「こいつは? さっき折れちまった刀」

 ほらよ、と那由他は座ったままで軽く投げた。刀を受け止めると、快晴は耳を側だてながら、刀の柄で石灰質の白壁をコンコン、と少しずつずらして叩いていく。

「「 あ 」」

 快晴と聡が同時に声を上げた。快晴は叩くのを止め、驚いた表情のまま振り返る。耳の良い聡は、音の違いをいち早く聞き分けたのだ。

「手を貸してくれ」

 快晴の要請に聡が頷いた。


 せーの、で快晴、聡がともに壁を押す。すると嘘のように切り出しの壁が抜けた。その周辺を続けざまに押すと、一人が通れるくらいの隙間が難なく出来た。

「……すごい」

 聡が唖然とつぶやくと、快晴も普段は乏しい表情に興奮をのぞかせた。

「父さんのことだから、抜け道がどこかに作ってあると思ったんだ」

 那由他がひゅぅと口笛を吹く。

「たしかに、風通しは必要だな」

 ソアラも目を輝かせた。

「さすがイクオ博士ね!」

 

 足元には、ランプがぼんやりと照り、交互に並べられている。ソアラはつい立ち止まった。

「キレイね。まるでキャンドルアートみたい」

 比較的なだらかな道だが、表面が滑らかでしたたっているため滑りやすい。

 一同は慎重に足を運ぶ。快晴は深鳥を背負って先頭を進んでいたが、いよいよ風が強くなってきた。ランプが途切れた時には、辺りはうっすら明るくなってきていた。どこからか光が漏れているのだ。


『道に迷ったら暗い方に歩いてはいけないよ。とりあえずでいいから明るい方へ歩いていくんだ。そこに必ず道を教えてくれる人がいるから』

 途切れなく吹いてくる風に、父の言葉が次々と蘇る。快晴は立ち止まり、洞内を見渡す。


 ――父さんが、教えてくれてる?

 





 しばらく進んだ先で、快晴が足を止めた。後方から問いかける視線に、快晴は表情を緩めて振り返るが、皆に示すよう再び前方に顔を向けた。

 

 縦穴(ジバス)から降り立つ、いくつもの光の帯。青い水面に浮かぶようにして化石の森はそこにあった。

 

 この世のものとは思えない風景に、一同は驚嘆する。快晴は化石の森が現存していることに少なからず驚いた。様子も変わらない。ただし森を囲むようにあるつららと石筍は、時が経過した分だけ増えていて、とても歩きづらかった。

 

 快晴の案内で鍾乳洞の出口近くまで来たものの、大きなつららが塞いで通れそうになかった。溜息が聞こえる中、快晴は深鳥をソアラに託してから、つららのすぐ隣にある細い石筍(せきじゅん)を狙って刀を叩き付けた。

 砕けて手頃な長さになった石筍を右手に持つと、さっきの折れた刀を左手で逆手に持ち、石の表面に突きつけ、石筍で叩き込む。表面が欠けて飛び散った。


「のみと金槌?」

 半信半疑の那由他をよそに、

「いける」

 そう言って快晴は金槌代わりの石筍を脇に置くと、刀の折れた先でつららの表面に一周、ジリジリと傷をつけていく。

 その印に沿って左手で刃先を立て、右手に再び石筍を持ち、刀の柄を叩く。その作業を規則正しく、何度もくり返していく。


 コッ、コッ、コッ、コッ、コッ、……


 欠片が飛び散るといけないので、みな快晴から離れたところで見守った。


 那由他が手持ち無沙汰に話しかける。

「なあ、そんなのどこで覚えたんだ?」

「天文台の修復する時。レンガ割ってたんだ」

 快晴は手を休めずに答える。


 コッ、コッ、コッ、コッ、コッ、……

 コッ、コッ、コッ、コッ、コッ、……


 しばらくして那由他が大きなあくびをした。

「手早くなー。オレ血が足んねーんだからよ」

 快晴がむすっとした時、ソアラが声を上げた。

「ミドリ!」

「……ソアラ?」

 ソアラの腕の中で深鳥はうっすら目を開けている。聡も側にきて覗きこんだ。

「聡……くん?」

「深鳥さん!」

 ソアラや聡の声を聞き、快晴は手を止め、振り返ろうとしたが――

「ほら、よそ見すんな!」

 那由他はニヤニヤしている。快晴は那由他を睨んでから、元のように黙々と作業に打ち込む。そんな快晴の後ろ姿を深鳥はじっと見守った。

「快晴……」

 

 快晴が何カ所か打ち込んだ時、聡の耳が反応した。また快晴と目が合った。聡はすぐさま快晴のところへ行く。つららが折れると同時に出口を塞がないように奥へ押してくれ、とのことだった。

 

 聡が両手をつららに宛てがった。快晴と聡が目を合わせてうなずくと、快晴が最後の一振りを入れた。

 すると、横にみるみる亀裂が入り、つららが割れた。快晴も瞬時に道具を捨て、聡と共につららを奥へ押した。

 背中の方から一気に風が押し寄せてきた。汗ばんだ体にひんやりと心地いい。

「風向きが変わったな」

 にやり、として、那由他は快晴と聡を見る。息を整えながら、二人も那由他を見る。ソアラは男達の間で流れるものを感じ取った。

「チクラの男たちはなかなかね」


 聡が欠けたつららの下から覗くと、壁の裂け目の向こうに、祠の裏側と外の世界が垣間見えた。

「ここに通じていたなんて……」

 呆然とする聡の肩に那由他が手を置く。

「昔さ、こういう洞穴は墓地だったんだ。穴の先があの世へ通じてるってさ。……俺たちはあの世から戻って来たようなものかもな」

 

 快晴は深鳥の所へゆき、体の具合を尋ねる。顔色は良くないものの笑顔で返す深鳥。ソアラの手から、受け取るようにして快晴はそっと深鳥を抱き寄せた。

「済まない……」

 深鳥は首を振るい、快晴の背中をさすった。

「背中がね、心細そうだった」

 ぎこちなく寄り添う二人を見て、ソアラと聡はそれぞれに小さな溜息をついていた。那由他は「ったく」と言ってのっそり二人に歩み寄り、快晴の首根っこを掴んだ。

「充電完了。ぅら、行くぞ!」

 

 一同は一人ずつ、外へ出た。まず聡が出、ソアラに手を貸し、二人が外から那由他の手を引っ張り(体が大きいため、ややつかえた) 快晴が後ろから押し込んだ。深鳥を三人に託し、洞内を見渡してから、最後に快晴が出た。

 

 外はうっすらと明るかった。ずっと洞内にいたので時の巡りが分からなかったが、夜明けのようだった。快晴は目を閉じ、冷たく乾いた風を全身で受け止めた。

 皆、外の空気を胸いっぱいに吸い、しばらくその場に呆然としていたが、体が冷えるからと聡が神社で休むよう促した。しかしソアラだけは祠の向こうの空隙を見つめ、悲しみに暮れていた。

「ここでお別れなのね」

 快晴が引き返してくると、改めてソアラに詫びた。ソアラはこみあげるものを抑えるようにうつむいていたが、快晴が心配そうに肩に手を置くと、たがが外れたように快晴の胸に飛び込んだ。そして、快晴の胸の中でひとしきり泣いた。

 

 そう、欲しくてたまらなかったのはこの温もり。そしてそれを追うあまり、側にあった温もりをないがしろにしていた自分――全てはねじれた運命の中、どうすることもできなかったのかもしれない。

 けれど……数え切れない〝もしも〟が泡沫のように現れては消え、心を悲しみの海に沈めようとする。

「向こうはどうだったか知らないけど、俺は……ドクターを尊敬してた。眠れない夜は、父さんとの昔話をたくさんしてくれたよ」

「ええ……」

 快晴の胸に顔を埋めたまま、ソアラはうなずいた。

「追われてたけど、なんだか楽しい隠遁生活だったわ。みんなタイプが違うからちぐはぐな家族だったけど……嬉しかったわ。ずっとあのままでいたかった」


 ――あのままなら……あなたも、ドクターも失いはしなかった。


 快晴は堅く堅く目を閉じていた。

「あの頃に……戻れたら………」

 そうしてしばらく二人でドクターを悼んだ。

 

 やがて顔を上げてソアラは微笑んだ。涙をその琥珀の眼にたたえて。

「あなたは守るべきものを見つけたんでしょう。……大丈夫、私はこれから故郷に帰って力を尽くすわ。美しい 緑の丘にまたいくつもの虹が架かるように。それはきっとドクターも望んでいたことだったの」

 ソアラは快晴を押し戻した。

「だから、ね。行ってあげて。あの子を救えるのはあなたなのよ。そしてあなたを救えるのも……」

 

 二人の抱擁を見ていた深鳥の心は、なぜかチクンと痛んだ。深鳥は胸に手を当てる。どくどく鼓動が鳴っている。深鳥は首をかしげた。息が詰まるみたいに苦しい。……どうしてなのか、分からない。

 

 那由他が一点をみつめたまま、硬直している。

「なゆ兄?」

 聡も振り返り、ぎくりとしてつぶやいた。

「深鳥さん……それ……」

 深鳥は背中をおそるおそる見る。……白い羽根だった。

 

 透きとおりながらも、いつもよりはっきりとした輪郭を持って、背中に咲いている。ソアラの驚く声が聴こえた。


 ――どう……して……?


 突然、スイッチが切れたように深鳥の体がその場に崩れた。その衝撃でふんわり羽根が舞った。

「深鳥さん!!」

 聡の声が響いた。

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