命の火
『人はなぜ生きるのだと、思う?』
そう尋ねると、幾生博士はその問いかけの意味をそしゃくしているのか、しばらく宙をみつめ、椅子ごとくるりと向き直った。
『どうしてだろう?……ね』
博士は丸眼鏡の向こうで目を丸くしている。
『何か論文でも? ウォルタ』
『変なことを聞くと思うだろうが』
ウォルタがこほんと咳払いをしてみると、博士は手元のミルクティに口をつけて、
『とても、いいテーマだと思うよ』
と言って、眼で笑ってみせた。
ことりとカップが置かれる。
『同じことを、考えたことがあるんだ』
ウォルタは思わず博士の方を見る。
『妻を失ったとき、私は分からなくなってしまった。本当に大切な人を失って、どうして生きていかなくてはならないのか……快晴がいなければ、こうして生きていることもなかっただろうね』
『ヒナタ……』
『人は生物界の頂点に君臨し、生存競争から外れた。飢餓の心配もなく、子孫を残すことさえ必然ではなくなった。そんな世の中で、生きる意味を見失い、命を絶つ人は後を絶たない。そう……人には常に死ぬ選択は用意されているし、いつかは誰もが死を迎える。なのに、どうして最後まで人は生きようとするんだろう?』
そう言うと、博士は口をつぐんだ。
ウォルタはおもむろに煙草を取り出す。
『生かされている……DNAによって?』
自分の手元に転がる、彼の愛用ライターに気づいて、博士は火をつけ差し出した。
『〈The Selfish Gene (利己的遺伝子)〉てやつだね』
揺れる火を博士は見つめている。
『人の存在も、想いも全ては二次的なものでしかない』
火が消えた。
『これは私の故郷の話だけど……』
私の故郷は、冬が厳しい所でね。昔からひと冬越せずに、絶えず人が死んだ。
夏の風は恵みだけど、冬の風は命取り。時には口減らしをしなくてはならず、赤子を川に流し、年寄りを野山に置いて来た。
どんな気持ちだったろう…自分の子供や親を自らの手にかける地獄。いつか老いた自分も同じ運命をたどるという絶望。
誰が悪いわけじゃない。そうするしか方法がなかったんだ。全ては生きるために…
『どうして人は生きるのか………生きなくてはならない』
この命は自分一人のものではないから。命を捨てることは許されはしない。
本来なら全うすべき命を、それが叶わないならせめて、次の命に代える。そうすることで、先祖は命を繋いできた。
風前の灯火のような命に、さらなる命をくべ、決して絶やさぬように…その火が今の私たちの命だと言うなら。
『生きなくては、ならない……か』
ウォルタは溜息を漏らした。
アトリウムの回廊を、少女が走っていく。
『おや……こんな遅くに』
博士は丸眼鏡を外し、目を細める。
『たしか』
ああ、とウォルタは答える。
『彼女には昼の喧噪がまぶしすぎる』
『引き取ったんだって?』
『私の同郷でね。ソァラスと言って』
『Solas……もしかしてゲール語?』
『そう。〈光〉という意味だ』
さて、我々も…とウォルタが煙草を愛用のタブレットケースに押し当てていると、「あ」という博士の声が聴こえた。
『そうだ……自分のためでなく、誰かのために生きるっていうのはどう?』
『誰かのため?』
博士はにっと笑ってみせる。
『君にはソァラスがいるじゃないか。君たちはきっと、いい家族になる』
ウォルタはふと笑い、
『だといいが』
と肩をすくめてみせた。
『ちょっと手強そうなんだ』




