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風が廻る場所  作者: 飛水一楽
〈鳥籠の章〉
47/116

交錯

 *


 びゅん、びゅん、とすぐ側でカラスが飛び立つ気配。その中に一瞬、鈴の音が混じった気がしたが……


 聡は目を閉じ耳を澄ませる。少し経って、中年の男が幕を上げ入ってきた。

「片付けご苦労さん。(わか)、鈴が裏に落ちてっけど、これ女手のもんでねえか?」


 聡はハッとする。深鳥の舞用の鈴だ。落として気付かないものではない。胸騒ぎがした。お礼を言うと、聡は作業を中断し、深鳥を探しにいった。


 境内は全て確認した。しかし残っているのは大人の関係者と、ちらほら老人と幼子がいるくらいである。

集会所の中で休んでいるのかも知れない。きびすを返し、聡は目的地に向かう。

 

 廊下を渡っていた時だった。前方から同様に足早に向かってくる音が聞こえ、聡は顔を上げた。

角を曲がり長い直線を歩いてくる。快晴だった。


 はち合うと聡は深鳥の居場所を尋ねた。

「奥の間で寝てる。酒飲んでるから起きないと思う」

 顎で示して、快晴はそっけなく通り過ぎる。その背中を聡はしばらく見つめていた。

 

 障子を一寸ほど開け中を覗くと、深鳥が眠っていた。きちんと合わさった布団の中で安らかな寝息を立てている。何も変わった様子は無い。聡はホッと胸を撫で下ろした。

 

 自分の取り越し苦労だった。そう思うと少し罰が悪い心地がする。何かにつけ快晴に疑ってかかってしまう自分がいる。ことさら深鳥のことになると不安で、悪い方に考えが向かってしまう。


  ーーあの人が深鳥さんに何もしないと、どうして言える?

 

 正直、分からなかった。快晴が本当はどういう人間で、何を考えているのかも。感情に乏しい表情は常に一切を明らかにしない。

 聡は障子をそっと閉めると、元来た道を引き返した。

 




 どこからか唄が聴こえてくる。円もたけなわ、祭の名残りを惜しむように、酔って心地よく、誰かが歌う唄。

「※なつか〜しき〜娘とばかり思ひしを〜いつか哀しき恋人と〜なる……」  

 祭の中の一段落着いたひととき、酔いしれて歌う老人、寄り掛かりうとうとする子供、大人の談笑。

 

 ちらっと横目で見やり、歩幅の大きいその男は、黙々と前の背中を追いかける。

「待てよ」

 

 篝火を背景に二つのシルエットが浮かぶ。羽織を脱ぐとひらりと肩に担ぎ、那由他は相手の数歩手前で足を止めた。

「戸締まりは、しっかりしろよ」

 沈黙を背に、快晴は自分を見下ろす体躯をにらむ。

「悪ぃ、立ち見するつもりはなかったが、これ無くしちまってよ、取りに来た」

 那由他は羽織を軽く上げる。

「一足違ってたら聡とかち合ってたぞ」

「……」


 頑なな表情のままの快晴に、那由他は困った風に眉根を上げた。

「良く言って道連れ、悪く言えば共倒れか……まぁ、依存するなとは言わないさ。でもあの娘はちゃんとお前の気持ちを――」

 風が声を掻き消すように那由他の羽織をはためかし始める。快晴の表情に惑いが浮ぶのを、那由他は見逃さなかった。

 




 羽織を取りにいった時のこと。

 集会所の廊下を歩きながら、那由他は思わず身震いする。

「う……さみぃ」

 まだ秋の初めとはいえ、北国に位置する千久楽では朝晩は急に冷え込む。おまけに風が吹き荒ぶ土地で、その体感温度はさらに下がる。

 

 確か羽織の予備が奥の間の手前にしまってあったはずだった。数歩歩いて止まる。部屋はまだ先だ。しかし、那由他はしばらくその場に留まり、今度はそろり、と足を運び出す。


 ーー風だ。


 それはある予感を伴って吹いてくる。通り過ぎる刹那、風が記憶した映像が那由他の脳裏にふわりと、浮かび上がる。

「……」

 

 半信半疑だった。予感は結局、一瞬の映像を判断材料にその先を己が想像しているにすぎない、と思う。

過信などしたことはない。いつでも最後まで疑っているのは、他ならぬ自分自身なのだから。それでも確かめたくなるのが人の性なのか。

 

 那由他は部屋の前に立ち、一寸開いた障子をのぞく。程なく、その場を後にした。


「羽織、宮司に借りるか……」

 ふと溜息が漏れた、が、すぐに流される。風がさらさらと森を鳴らしていく。片手が額を覆う。指の合間からちょうど月が見える。だがその月は今、彼の杜若色(かきつばた)の眼には映っていない。 

 

 風神を見送った後も、娘はその姿を想い舞い続けた。…それから? 娘はどうしたのだろう。舞い疲れて眠ったのだろうか。

 続きは誰も知らない。那由他だけは知っている。

 

 夢の中で、娘は風神に抱かれていた。…いや、風神に扮した人間に、だ。

 





 快晴は那由他から視線を逸らし、自分の手のひらを見る。

「……見えてんだろ。風を読めるあんたには、この先も何もかも………知って傍観してんだろ」

 何も無いはずのその手には、未だ絡まるうつぶし色の髪が見えた。

「もう………手後れだ」






 ーー見えたって、どうにもならないことの方が多いのさ。


 那由他は歩きながら舌打ちする。

「先に分かったって人の気持ちは変えられねえ。…ったく、お手上げだよ」

 夜空を見上げるソアラの横顔を思い出す。

「一足違いでkiss & cryか。……いや、実際にはもっと離れていたかもしれねえ」

 ふと足を止める。はるか上空の風が、星を激しく瞬かせた。

「運命てのは、どこまでも残酷だな」

  



 森の奥には唄が響いていた。夜の空気に溶けるような、静かで幻想的な調べ。星はさんざめき、森は揺れる。世界はレンズの中で干渉し、屈折して、歪んだ像を結んでいた。

 その中を誘われるように飛んでくる、黒と白、ニ羽で一対の渡ガラス。

「いい子ね」

 左右の手でそれぞれの体を撫でると、ソアラは胸元のネックレスを外した。


『君のためなら、何でもしよう』

 あの甘美な声が、耳の側で聴こえた気がした。

 ソアラは自分の手が震えているのに気づく。心に忍び寄る影をかき消すように首を振るった。


 ーー私は、大丈夫。


 自分を見つめるつぶらな眼に微笑む。白いカラスの首にネックレスをかけると、カラス達は大きな羽音と共に飛び去っていった。ソアラは目眩を覚え、側にあった幹にもたれかかった。

「最後のチャンス、だったのにね」

 ソアラは力なく笑い、風を防ぐように、那由他から借りた羽織に顔を埋めた。どことなく、彼の匂いが残っている。

『いつでも胸貸すぜ?』

 なんだか憎たらしいような、那由他の笑みが浮かぶ。

 吐き出すようにソアラも笑う。笑いたいのか、泣きたいのか、自分でも分からない。

 

『何かあったら私を呼びたまえ……』

 耳に再び蘇る声。これは私の問題だ、とソアラは自分に言い聞かせる。黒いカラスなら「助けて」、白いカラスなら「大丈夫」の合図。……これでもう、助けは来ない。


 結局、自分は何にもすがれない。でもきっと、これで良かったのだ。これからの行く先にどんな運命が待っていたとしても。

 自身の手で終わらせる。それが、破滅への前奏曲(プレリュード)だとしてもーー




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


※懐かしき…竹久夢二「港屋風景」より

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