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風が廻る場所  作者: 飛水一楽
〈鳥籠の章〉
33/116

覚めない夢

 *



 西日の射し込む、天文台の窓辺。

 室内には温かな空気の下に、冷気の層が身じろぎ一つせず沈んでいる。薄まっていく光を威嚇(いかく)しながら、間もなくやって来る暗がりを、じっと待ちわびているかのように。


 古ぼけた書斎の机に顔をくっつけて眠る、小さな体。いつの間にか冷える室内に、男の子は肩をすぼめる。その肩にそっと上着が掛けられる。

「父さん?」

 よく本を読んだままうたた寝してしまう男の子に、父はいつも優しく上着を掛けてくれるのだ。


 顔を上げる。まだまどろんだ目を、最後の()のきらめきが射抜く。目を細めながら振り返ると、そこには――

「!」

 よろけながら男の子は後ずさる。椅子に足が引っ掛かる。書斎だったはずの部屋に宇宙空間がぽっかりと、大きな口を開けていた。


 肌を逆撫でするように、恐怖が皮膚の上を這い回る。近づいて来る闇。男の子は震える足を後ろへ一歩ずつ引き込む。

「来るな」

 闇が大きく変形し、触手を伸ばしてくる。

『おいで、快晴……』

 頭の中に響いてくる父の声。一切を拒むように快晴は頭を振り、目を堅く閉じる。

「…んか……お前なんか父さんじゃない! こんなの夢だ……夢なんだ!」 

『そう……これは君の夢。いつまでも覚めない、長い夢』

 とたんに体が引っ張られる。思わず快晴は目を開けた。


 視界に広がる無限の宇宙。そこに漂う父の姿。耳に届くのは雑音混じりの、くぐもった声。

『…か…い……せい………』

 ブツッと途切れる音。その後に続く、永遠の沈黙――  





「うあぁっっーー!!」

 叫ぶと同時に飛び起きる。コチ、コチ、と刻む秒針の音。布団に大粒の汗が落ち、荒い息とともに体に汗が伝う。ふいに痛みが走り、快晴はシャツのボタンをむしるように外した。


 青みがかった(あざ)が、肩から腕にかけおびただしくうねる。蛇がとぐろを巻いているように。

 いつからか時折出ていた。それが最近は出る頻度が増し、範囲が確実に広がってきている。

 手のひらをそっと当てると、熱を帯び、わずかに盛上がっている。気味悪さといらだちに頭痛がする。快晴は濡れた額を手で覆った。


 強ばった体を引きずるようにベッドを降り、小さなテーブルに手を延ばす。飲みかけの珈琲を少し含み、乾ききった喉に流し込む。カップを置くと、半ば開いた両窓を外へ完全に押しやった。


 夜明け前の、何にも冒されない澄んだ冷風が快晴を撫で回す。濡れたシャツが体温をじかに奪ってゆく。汗はもう引いていた。

 

 眼下に広がる森の海。

 目覚めたばかりの淡い空の下、地平線の方に、悠然と横たわるもやがある。日が差すまでもやの下は暗く、森は未だ眠っているようだ。

 数分間といえ千久楽の日の出を遅らせるそのもやは、長い間、千久楽と外界を隔ててきた。

外界の存在感を失わせ、同時に千久楽の存在を遮蔽することで、外界から千久楽を守って来たのだ。

 

 森の上を渡る鳥がある地点で急に折り返し、こっちへ向かってくるか、別の方向へ飛び去っていく。それは千久楽の外れに位置する天文台からは、見慣れた珍景の一つに過ぎない。

 ここからさほど遠くない千久楽の境では、猛烈な風が対流し、外気を拒み続けている。拒まれた外気が停滞して淀み、もやに見えるのだ。鳥はおろか、何も抜けられない。

 

 かつては父が見守り、そしてこれからは自分が見守っていくべきもの。


 ――風の結界……


 快晴は再び、冷めた珈琲をすする。体に残る悪寒を鎮めるように一つ深く、息を吐いた。



 *



 放課後の3―2の教室。帰りのHRが終わっても、何人かの男子は机に座りながらおしゃべりしている。

「……ったく、ナニモンだよあいつ」

「あぁ、なんせインターミドル3連覇。頭下がるよ」

「こいつさ、こないだ幾生におもいっきり〈面〉くらってやんの」

「そう、たかが体育の選択で容赦無いんだもん。へこむって」

「頭がだろ? どれどれ……」

 どっと笑いが起きる。

「でもさ、幾生ってなんで部員にならなかったんだろ」

「釣り合わねーから、じゃん? 剣道部の奴らだってそれが気に食わないって話。一緒にいても会話無いつったし。顧問だってあいつより弱いらしいし。ま、道場に通う方がましなんだろ。バカだよなぁ~俺なら絶対、衣川さんがいる場所を選ぶ!」

「ばぁか。衣川さんがお前の相手なんかするかよ」

「でも奴、親善試合の時はガタガタだったんだろ?」

「怪我してたらしいぜ。それでもむりやり出るくらいだから、よっぽど憑かれてるよな。ほら、怪我って奉納舞の時に時村を庇って……」

「押し倒して、の間違いだろ」

 密やかな笑いが起きる。


 その時、大きな咳払いが聞こえた。蒔が仁王立ちでにらんでいる。その後ろに縮こまる深鳥がいた。

「……あんたら、さぁ。話すならも少し聞こえないように話してくれる? 耳障りでしょうがないんだけど」

 その場にいた全員が、よそよそしく解散した。


 蒔は溜息をついた。

「男子の噂ってタチ悪いんだから。深鳥も怒れば良かったのに」

「ほんとのことだし……私は大丈夫」

 和やかに笑うものの、深鳥はふと視線を落とした。

「だけど…快晴が……」

「周りがうらやましがってるだけって分かってるから大丈夫だよ。……妬みも少し入るケド」

 

 8月の下旬、短い夏もすでに追いやられたように、涼しい風が教室を通り抜ける。教室の一帯を照らす光が淡くなり、秋の訪れを確実に告げていた。

「何にせよ彼は大人だから相手にしないし、慣れてるよ。……って、あまり教室にいないか」 


 千久楽にある学校は例外なく夏休みが短い。その代わり、秋の祭の前後にまとまった休みがある。冬休みは一ヶ月以上もあるので、その時ほど話は積もらないはずだが、休み明けの学校では連日、休み中にあったインターミドル(中学総合体育大会)の話で持ちきりだった。

 

 いくつかの種目で、多分な成績が修められていた。千久楽の子供は基礎体力が高いのだと、大人達はよく自慢げに話している。

とりわけ剣道に関しては、快晴がインターミドル個人戦優勝・3連覇という快挙を上げた。その吉報は休みの間にも広まり、一度落着くものの、目新しいことが少ない土地柄、久々に顔を合わせると話題は再燃する。

 何より千久楽の外へ行くこと自体珍しいので、恐いもの知らずの何人かは、給食中に(さすがにこの時間は起きているので)快晴から外の情報を聞き出していた。


「……で、深鳥はどうなのよ」

 黒板消しをはたいていた深鳥の横で、蒔は手すりにもたれる。

「幾生君とは上手くいってんの? 花櫛、もらったんでしょ?」

 

 七夕の夜、星形の花を髪に挿し、快晴と共に時をさかのぼった。太古の星空を見つめる遠い眼差しを、近くでふと見せる優しい眼を…深鳥は思い出していた。

 

 なぜだろう。ほとんど話さなかったはずなのに、その無言の空間が心地よかった。

風の音、そよぐ草のしぶき。辺りに潜む生き物達の息づかいや、星空の賛歌がありありと肌に伝わってくる。不思議な安堵感に包まれていた。

 

 ずっと、こうしていたいと思った。目を閉じ星に耳を傾ける、そのあどけない横顔を、こっそりと、いつまでも見ていたかった。なぜか分からない。その夜を思い出す度、深鳥は胸がすこし窮屈になった気がした。

「うん……」

 手を胸に当てる。蒔はさして気にせずに、深鳥をこずいた。

「何? どした?なかなか名前呼んでくれない、とか?」

 蒔は深鳥の背中を軽く叩く。

「よくあるよくある。男子ってそうだよ。変に恰好つけたがるとゆーか……恥ずかしいんじゃない? 幾生君なんて輪をかけてオクテの気が――」


 深鳥が後ろのドアを心配そうに見る。始業一時間目に、快晴が先生に運び出されたのが、ずっと気がかりだったのだ。

「ん?」

蒔も同じ方を見る。

「快晴、大丈夫かな」

 すぼまる深鳥の声に、蒔も肩をすくめて、

「最近の彼はどうしたんだろうね。連日、沈没だよね。どんだけ寝てないのよ」

「田島先生が見かねて保健室に運んだって。快晴、最近おかしいの。話しかけてもぼーっとしてたり」

「寝ぼけてたんじゃない? まぁ、幾生君の保健室ステイは今に始まったことじゃなし、そんな気にすることないと思うよ?」


 その時、急にドアが開いたので、二人は思わずびくっとした。

「お、なんだ?俺の噂でもしてたか? いーぞいーぞ、どんどん広めてくれ。いい噂ならな」

 ニカっと笑う田島先生の足がぴたりと止まる。

「あ、そうだ日直、プリント渡すついでに幾生の様子見てきてくれないか? 先生これから職員会議なんだ」

 時計を見る。ぐらつく教卓からプリントを取ると、すばやく蒔に渡した。

「もし何か……ないだろうが、あったら机の上にメモでも残しといて。頼むなっ」

 

 開けっ放しのドアの上で〈3―2〉のプレートが揺れていた。その揺れが止むのをつい見守ってしまう蒔と深鳥。3年2組の守護神が起こす、嵐の後の静けさである。

 

 我に返ると、蒔はプリントを深鳥に押し付けた。

「深鳥! 行ってきなよ保健室」

「え? でもまだ日直の仕事……」

「そんなのあたしがちょちょいのちょいでやっとくから、ほ~ら~心配なんでしょ?」

 蒔はずいずいと深鳥を廊下に押し出す。

「蒔ちゃん~~~」

 二人の足音が廊下に響く。蒔は声を潜めてそっと耳打ちする。

「いい? もしまだ寝てたら、優し~く起こしてあげるんだよ。なかなか起きなかったら、唇にそっと魔法をかけてあげるの。そしたら一発で起きるよ♪」

「魔法?」

「きゃぁっ私ってば! さぁさぁ深鳥、ほら行っといで♪」

 パシンと扉が閉まる。プリントを片手に深鳥は締め出されてしまった。

「……」





「失礼しまーす…」

 そっとドアを開ける。保健室はがらんどうだった。

「快晴?」

 仕切りのカーテンから内側をのぞく。ベッドはもぬけの殻だった。プリントを持ったまま、深鳥は立ち尽くす。カーテンが夕日に透けてふわりとひるがえる。プリントがはためいた。

 

 窓が一寸ほど開いていて、その隙間から校庭を渡る快晴を見つけた。深鳥は教室へカバンを取りに戻り、急いで後を追った。 

 

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