第097話:【実食】氷霜巨角鹿の極上ロース肉ステーキ〜雪山ベリーソース〜
ジュウウウウウウウウウウッッッ……!
白銀の太陽が照りつける「氷壁の踊り場」。
平らな大岩の上に据え付けられた、ぶ厚い黒鉄板から、天を焦がすような爆発的なシズル音が轟いた。
鉄板の表面でパチパチと弾けているのは、先ほど巨角鹿から採取したばかりの、純度100パーセントの『純白温感ラード』。
融点が極めて低く、人肌の温度でサラリと透明に溶け出すその脂は、熱せられるとナッツのような甘やかで香ばしい薫香を放つ。
そこへ――老狩人バルツが、解体大刀で切り分けたばかりの【厚さ5センチの超極厚ロース肉】を、豪快に並べ置いた。
ジューーーーーーーッッッ!!!!
立ち上る猛烈な白い煙。
透き通るような美しい桜色の赤身肉に、雪の結晶のように細かく散りばめられた純白のサシが、鉄板の強火を浴びて一瞬で飴色に色づいていく。
肉の表面のアミノ酸と糖が結合し、極限の香ばしさを生み出すメイラード反応。
獣臭さなど爪の先ほどもない。
何千年も霊峰の清らかな雪解け水と神聖な高山ハーブだけを食んで育った神獣の肉は、まるで最高級の熟成和牛と野生の滋味が奇跡の融合を果たしたかのような、圧倒的な気品に満ちた芳香を雪原いっぱいに撒き散らしていた。
「ひゃあぁぁぁぁぁ……っ! な、なんという匂い……! お肉の焼ける匂いだけで、頭がクラクラして気絶しそうですわ……!」
シェリルが両手で頬を押さえ、うっとりと目を潤ませて身悶えした。
ニーナも鼻の頭をヒクヒクと激しく動かし、木のお皿とお箸を両手に持って、足踏みしながら待っている。
「おじちゃん、まだニャ!? あたいの胃袋が、もう我慢の限界ニャーッ!」
「慌てるな、肉焼きの極意は『表面カリッと、中は人肌のロゼ』だ!」
バルツは解体ナイフの腹で肉を軽く押し、弾力を確かめた。
「鹿肉の赤身は、火を通しすぎるとタンパク質が凝固してパサつく。強火の温感ラードで表面を瞬時にキャラメリゼして肉汁を閉じ込め、中は五十度の低温でゆっくり火を入れるんだ。鹿の赤身肉にはな、脂肪燃焼を促進するカルニチンと、良質なヘム鉄が牛肉の数倍も詰まってる。極寒の雪山で冷え切った身体の基礎体温を跳ね上げるには、これ以上の滋養強壮薬はねえんだよ。ティオ、塩を振れ!」
「はいッ!」
ティオが削り立ての雪山岩塩を、高い位置からサラサラと雪のように振りかける。
岩塩が熱い肉の脂と混ざり合い、パチパチと心地よい音を立てる。
さらにバルツは、シェリルがすり鉢ですり潰したばかりの、野生の甘酸っぱい『雪山クランベリー』と、雪下熟成の蜂蜜、そして温感生姜を煮詰めた【特製・雪山ベリーソース】を、鉄板の肉の上から一気に回しかけた!
ジュワッ、ジュワワワワワッ……!
ベリーの鮮やかな深紅の果汁が、香ばしい肉汁とラードに溶け合い、甘酸っぱく艶やかな黄金のソースとなって肉全体を包み込む。
濃厚な獣肉の旨味を、ベリーの爽やかな酸味が完璧に引き締める、雪山ブッシュクラフト至高のフルーツソース。
「よし、焼き上がりだ! 食えッッッ!!」
バルツの豪快な号令とともに、木皿の上にドスンと盛り付けられた極上鹿ロースステーキ。
表面はこんがりと香ばしい狐色に焼き固められ、ナイフを入れた断面からは、ルビーのように美しく艶めく桜色のレア肉が顔を覗かせる。
そこから、温感ラードと混ざり合った透明な肉汁が、滝のように溢れ出していた。
「い、いただきます……っ!」
待ちきれない様子で、エレナがナイフとフォークを握り締めた。
名門貴族の令嬢としてのテーブルマナーを保とうとするが、震える手先がその興奮を物語っていた。
厚切りに切り分けたステーキのひと切れを、たっぷりのベリーソースに絡め、口の中へと運ぶ。
――サクッ、ジュワワワワワッ……!
「んんんんんんんっっっ……!!?!?!」
エレナの全身が、落雷に打たれたかのように硬直した。
両目が見開かれ、フォークを取り落としそうになる。
信じられなかった。
歯を立てた瞬間、表面のカリッとしたクリスピーな香ばしさが弾け、次の瞬間――まるで温かいバターのように、厚切り肉が舌の上でフワリと解けて消えたのだ。
溢れ出す、途方もない量の肉汁。
赤身肉の力強い鉄分とアミノ酸の旨味が、口内の粘膜を一瞬で支配する。
だが、少しのしつこさもない。
きめ細やかなサシとして溶け出した温感ラードが、絹のような滑らかさで喉を滑り落ち、雪山ベリーの甘酸っぱいフルーティーな酸味が、後味を驚くほど爽やかに洗い流していく。
「な……なんという柔らかさ……! 噛む必要がありません……! お肉が……お肉が舌の上でとろけて、甘い肉汁の泉が溢れてきます……!」
エレナが両手で頬を押さえ、涙をボロボロとこぼしながら絶叫した。
「王都の王宮晩餐会で供される、金貨百枚の最高級牛ステーキすら……このお肉の足元にも及びません……! 美味しい……美味しくて、身体の芯から温かい力が満ち溢れてきます……っ!」
「うめええええええええッッッ!!!!」
ティオがステーキを大口で頬張り、豪快に咀嚼しながら叫んだ。
「なんだこの肉!? パサつきゼロどころか、噛むたびにジュワッ、ジュワッて肉汁が噴き出してくる! ベリーの甘酸っぱさと塩気が、鹿の脂の甘みと完璧に合体してるぞ!」
「んん〜〜〜っ! 天国の味ですわ!」
シェリルが身悶えしながら、フォークを休めることなく次々と口に運ぶ。
「野生のベリーの酸味が、温感ラードのコクを限界まで引き立てていますわ! 一口食べるごとに、魔力回路の隅々にまで極上のエネルギーが染み渡っていくようです!」
「お肉の王様ニャーーーッ!!」
ニーナは木皿にかぶりつき、口の周りを真っ赤なベリーソースだらけにしながら、ハフハフと熱々のステーキを貪り食っている。
エレナもまた、あっという間に厚切りステーキの一皿目を平らげてしまった。
口の周りを真っ赤なベリーソースと黄金の肉汁でテカテカと輝かせ、空になった木皿を両手でバルツへと差し出す。
「ば、バルツ様……! あの……お、おかわりを……! もう一枚、いえ、もう所望いたします……!」
「はははっ、いい食いっぷりだ! いくらでも食え、2トンもあるんだからな!」
エレナは目、目のステーキまで綺麗に平らげ、甲冑のベルトをまた一つ緩めて、ぽっこりと膨らんだお腹を幸せそうにさすっていた。
そして――村人たちもまた、配られたステーキを口にした瞬間、全員がその場にへたり込み、涙を流して天を仰いでいた。
「う、美味い……! こんな美味い肉、生まれてこの方食ったことがねえ……!」
「身体が……身体が芯からカッと熱くなって、凍傷の痛みが消えていく……!」
「神獣様……バルツ様……ありがとう……本当にありがとう……!」
極寒の雪山の頂で、数百人の村人たちと若き狩人たちが、切り立ての極上ステーキを囲み、至福の笑顔と歓喜の涙を分かち合っていた。
何十台ものソリに積み込まれた、2トンを超える桜色の極上鹿肉。
青空の下、そりを引く若者たちの威勢のいい掛け声と、感謝の歌声が白銀の谷間に高らかに響き渡る。
極寒の地獄を乗り越えた寒村に、大自然の恵みと狩人たちの真心が、奇跡の春を運んできたのだ。
誰もが満面の笑みを浮かべ、胃袋も心も極上の幸福で満たされていた。
一行は歓声を上げながら、いよいよ数百人の命を救う「奇跡の大炊き出し」が待つ、麓のスノウベール村の中央広場へと堂々たる凱旋の進軍を開始した!




